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help RSS § 老後をどうするのか? 墓を誰に見てもらうのか?

<<   作成日時 : 2010/03/12 10:43   >>

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 ゲイに生まれついて、もはや、かなりの年齢に達し、やはり”いい歳をした大人”のパートナーに恵まれて一緒に暮らしている状況の中で、僕らは脳天気なのか脳味噌回転不足なのか、
「老後をどうするのか?」
「墓を誰に見てもらうのか?」
といった”不安”におそわれたことなど、今のところ、ただの一度もない。


 ゲイの人生をかえりみると、いろいろな段階がある。例えば、結婚適齢期に達すると、いつまでも独り身でいることを、親に案じられる。すなわち、結婚しろしろと言ってこられたり、縁談をどこかから運んでこられたりする。いわゆる結婚攻撃である。

 ゲイであることに気づく年齢は、ひとそれぞれなので、僕みたいに小学校の頃からゲイだと自己認識でき、
「僕は、ゲイという名のたくさんの仲間の一人なんだ!」と知って有頂天になったような変わりものもあれば、上述した結婚適齢期に近くなってから、初めて、性的指向がゲイなのだと自認し、結婚攻撃の嵐の中で、苦しみながらゲイ・アイデンティティーの確立を模索しなくてはならないひともある。

「老後をどうするのか?」
「墓を誰に見てもらうのか?」
などの不安は、子どもができないことに起因しているはずだ。ゲイ=同性愛者は、原則的に子孫を得られない。当たり前の話だが、同性間には生殖が起こらないからだ。生殖なき愛――それが同性愛なのだ。自明のことである。

 しかし、性別・性的指向の別・性自認の別にかかわらず、たぶん脳遺伝子的にあらかじめインプットされた本能(的)情報の一つに、生殖がある。

 つまり、
「オレは同性愛だとか言ってっけど、生殖のほうはどうすんのよ?」
という自問自答を、脳のどこかで本能的にくりかえすのだろう。

 いたしかたない。僕らは生物なのだから。生物すべてに備わった本能(的)情報の中に「生殖のほうはどうすんのよ?」があるのだ。あたかも、犬が大便をしたあとに、そこがコンクリートの上であろうと鉄板の上であろうと、後ろ足を盛んに蹴って、掻き掘った土を大便の上にかぶせようとするかのような動作をすることと似ている。
 
 この問題は、ゲイよりもレズビアンのひとたちのほうが深刻なように思う。なぜなら、レズビアンのひとの身体には子宮があって、子どもを胎内に宿し、出産するだけの完全な機能が備わっているからだ。身体がそのようにできているから、脳遺伝子的にあらかじめインプットされた本能(的)情報の生殖項目についても、「出産したい」といった能動的衝動が発現するよう仕込まれているに違いない。

 それゆえ、性的指向が同性愛方向へ寄っていることに気づいた後になって、それでも「どうしても出産したい」との思いが強く継続したり、増幅していったりするような『場合もある』のだろうと推察する。

 レズビアン・カップルの一人Aさんが、例えばパートナーBさんの親族男性などから精子の提供を受け、人工授精によって妊娠→出産。レズビアン・カップル=AさんBさんの子どもとして(の認証を受け)育ててゆく――そんなことが、アメリカなどLGBTムーヴメント先進国では少なからず行われているようだ。日本のような同後進国では、ついぞ聞いたことのない話だが。

 こうした側面を捉える限り、レズビアンはゲイより、明らかに幸せなのでは……と、僕は感じている。確かに一般論として、ゲイ・カップルにも養子を得る方法がある。子どものできない男女カップルが、養子を得ることで幸せを獲得することができた実例は、たくさんあるのだろうから、そのことを以て、ゲイ・カップルが養子を得ることで幸せを得る可能性を論じることはできる。そうした『意味』において、一定の問題処理は完結し得るのだが、肝心かなめなことは、ちっとも解決していない。

 ゲイは男性の肉体を有しており、ゆえに子宮を持っていない。したがって、レズビアンがみずから出産できるのと比較するとき、脳遺伝子的にあらかじめインプットされた本能(的)情報である生殖が、絶対に不可能である点について、ゲイは決定的な喪失感を覚えることをみずから肝に銘じておかなくてはならない。

 もしここに、
「老後をどうするのか?」
「墓を誰に見てもらうのか?」
と、ひどく悩んでいるレズビアンのひと、あるいはレズビアン・カップルがおられるとしよう。

 僕は言う。
「落ち込むことなんか、全然ありませんって。だって、ゲイには出産さえできないのですよ……」と。

 とは申せ、ゲイ・レズビアンの老後生活/介護/死後は遺骨を誰が供養するかといった問題の数々を(個々のケースには、いろいろ臨機応変な解決策があるかも知れないが)総じて、大きな枠でとらえて考えるとき、やっぱりゲイ・コミュニティーあるいはレズビアン・コミュニティーが持つ役割というものが大きい。そして、各々のコミュニティーが発達し、ゲイ・レズビアンの老後……を受容できるだけのキャパシティー有しないことには、お話にならない。

 ゲイ・レズビアン=同性愛者あるいはLGBT総体が、
「老後をどうするのか?」
「墓を誰に見てもらうのか?」
といった苦悩に直面することは容易い。明確に、さもなければ、薄らぼんやりと、誰もが、いつかは一度、考えるテーマだろう。

 だからこそ、僕らゲイ・レズビアン・LGBTは、何らかのかたちで、力強いコミュニティーを構築しなければならないのだと、つくづく感じる次第だ。



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