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help リーダーに追加 RSS ♂ゲイ小説 Just the Way You Are 〔36/42〕

<<   作成日時 : 2008/09/05 07:53   >>

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※※〔35/42〕より、つづき

 私が、ここまで物語を綴って来るための、一切の基礎的情報は、靖一の内偵調査依頼を受けるに当たって、背景を理解するために、私自身が、かつて“鏡子たん”――すなわち鏡子から直接、詳細に聞き出してあった彼女の過去の記憶と、探偵の身分を隠してゲイ・バー・タチェットに出入りし、靖一と潤吉に接触、そして互いに交流を深め、それぞれ本人が話してくれたことなどから組み合わせたものだった。それと、私が優美と他愛もない会話をするうちに、これまた直接、いろいろ教えて貰った逸話なども、貴重な資料となっていた。正直なところ、言葉のやりとりなどの、ごく些細な点については、当然、若干の創作で補い、穴埋めした部分もあった。
 また、付随する情報については、それぞれ然るべき機関などからの資料開示や聞き取り調査など、地道で周到な裏付けを取ってのものだ。
 しかし、いまでも私の手元に残る資料の多くは、鏡子からの依頼に基づいて調査するべき項目が、全部完了していた段階“以降”のものばかりである。――そうなのだ。私は、鏡子に靖一の内偵調査最終報告を文書で提出した後も、個人的に、靖一と潤吉の、あの夜“以降”の動向を、ずっとずっと調べ続けていたのだった。
 べつに、悪意や好奇心からではなかった。他人のプライヴァシーに首を突っ込むことなど、仕事以外でやりたいとは思わなかった。何よりも、そもそも私は、鏡子からの内偵調査依頼だけは、奇妙なほどしっくりこなくて、どうしても乗り気になれなかったではないか。靖一の愛娘・優美と、私のせがれ・英真が、たったの一歳違いと、まるで同じに見えてしまったことが、その理由の第一だったのは本当だが、靖一の内偵調査を依頼されたときには、私自身がまだ気付いていなかった、もっと根源的な、潜在的な、私の心の奥深くで蠢いていた動機があった。
 遠因は、そこに潜んでいた。それによって、私は引き続き、その後の靖一と潤吉の歩みを追うこととなったのである。
 悪意でも好奇心でもなかった。そうではなく、一義的には、私の率直な贖罪の念からだった。
 靖一は、私が、鏡子から依頼を受けて、靖一と潤吉の関係を内偵調査していた探偵だったとは、もちろん、その一切を知らない。私は、いまこそ、あのときの罪滅ぼしをしなくてはならない。

 ◇◇◇

 グリーン・ティー・クワイア・アンサンブル定期公演、ハイドン作曲“四季”の全曲演奏会が終わった――あの同じ夜、
 ――すなわち、それは'79年十二月八日の夜だったのだが――、
 歌舞伎町の焼き肉・居酒屋“満堂”で行われた打ち上げの宴会を途中で切り上げ、潤吉のアパート・葵荘に向かう道すがら、靖一は国電・山手線の五反田駅にあった公衆電話から赤坂の家に電話を入れた。午後九時少し前のことだった。鏡子には当初、演奏会のあとには打ち上げがあって、帰りが遅くなるとは告げてあったのだが、――そのようなことはもはや、どうでも良かったのである。
 かねてよりの作戦を敢行するべき瞬間がついにやって来たからだ。
(とっくに、ぼくの決心は固まってる……)
 あの夜は、潤吉のアパートにそのまま泊まってしまうことになっていた。二人で、ゆっくりとまず一夜を過ごし、一週間ぐらい連泊してから、堂々と帰宅するのだ――と。
 そして鏡子には、靖一の机の、一番上の大きな引き出しに仕舞ってあった、“告白の手紙”を読むように、公衆電話から伝える腹積もりだった。
 その手紙には、自分が同性愛者であること、それを隠して鏡子と結婚してしまったこと、現在は、饗庭潤吉という運命の恋人が存在すること、彼とは、二年越しの付き合いになっていたことなど、靖一が、それまで秘密にしていたことの一切が、正直に記されてあったのだった。彼女への謝罪の言葉とともに。
 やるしかない――と、どんなに強く心を引き締めおいても、家に帰って鏡子や優美の笑顔を見ただけで、告白を躊躇ってしまった。この“手紙作戦”は、いつまでも、なかなか告白に踏み切れなかったがゆえの、苦肉の策だったのである。
『もしもし。……あ、ぼくだけど。……今夜は、家に帰らないからね。……それからね、済まないんだが、ぼくの机の引き出しの、一番上……』
 ところが、赤坂の池星邸では、
《アナタ! すぐに帰ってらして! 大変なのよ! お義父さまが! お義父さまがっ!》
 全く予想していなかった状況が展開されていた。
 ――栄五郎が倒れたのである。
 救急車が駆け付けていたが、靖一が電話を入れた時点で、栄五郎の心肺は完全に停止し、蘇生は全くままならない状態で、ほとんど絶望的だった。大事件の発生に慌てた靖一は、五反田から急遽、タクシーで赤坂へ向かおうとしたのだが、ここで一旦、同じ公衆電話へと引き返し、潤吉のアパートへも電話を入れ、栄五郎の危篤を伝えた。
 すでに決断していた靖一との別れ話を、どのように切り出そうかと思案していた潤吉は、取り合えず、この緊急事態を見守って、一件が収束してから、改めて話をしようと考えた。とてもそれどころではないだろうという判断だった。
 こうして、潤吉が立てていたプランもまた、崩れたのであった。
 潤吉は、結局のところ、靖一に対して別れ話を持ち掛ける機会を永遠に失うこととなったわけなのだが――。

 ◇◇◇

「なあ、靖さん。覚えているでしょう? お父上が亡くなったときのこと?」
「どうして、そんなことを訊くんですか? シンちゃん?」どことなく、警戒しているような靖一の様子だった。
 私は、笑いながら答えた。
「ただの、むかし話ですよ。今日は、いろいろ話しましょうよ。私たちが潜ってきた時代のことを」
 コーヒーをひとくち啜った。
「うちへ帰ったら、親父はもう死んでいました。家政婦のおキクさんが、二階の親父の部屋で、へたり込んでいましたっけな。目を真っ赤に腫らして……。それだけですよ」
 靖一は、突き放すように言って、視線を落とした。
 栄五郎の死因は、独りで自宅の風呂に入っていたとき心臓発作を起こして倒れたとの調べは付いている。心臓疾患で治療を受けていた事実は無かったから、突発的なものだったと想われる。
 浴室と脱衣室は二階にあって、栄五郎の自室のすぐ隣りだった筈だ。毎日そうであったように、家政婦の河合キクが栄五郎の入浴中に着替えを持って脱衣室へ入ったのだが、そのとき、キクは浴室から栄五郎の呻き声を確認した。
 午後八時三十分すぎ頃だった――。
 驚いて浴室へ飛び込むと、栄五郎が倒れており、全身が痙攣を起こしていた。キクは、ただちに隣りの栄五郎の書斎兼寝室にあった電話から救急に一報を入れた。
 一階のリヴィングスペースで私と電話で話していた最中に、キクの尋常でない叫び声を聞き付けた鏡子が二階の浴室へ駆け付けたときには、栄五郎の全身痙攣は停止していた。騒ぎで目を覚ました優美も、奥の部屋から自分で脱衣所の前へ赴き、一部始終を目撃していた。
 以上は、救急本部と警視庁への調査、それと優美自身への聞き取りによって確認されている。
「それだけですか?」
「ああ、そうですよ。……んん? 訊きたいのは鏡子のことですかな? ……涙ひとつ、こぼすような女じゃなかったですわな。……鏡子は、医者に死亡診断書をどうするとか、警察への報告についてとか、いろいろ訊いていたかな。秘書の佐藤と常務の中村にも電話して、葬式の手配はどうやるのかとか、段取りの話ばかりしていましたな。わたしは、真っ先にこれからのことを考えていましたよ……。ジュンとのことをね……、鏡子に告げる決心をした矢先だったですからな。とにもかくにも、正直言って、あの親父と縁を切れることが嬉しくさえ感じていました。……なに、会社のことや家のことは、計画ができていたんです。ちょうど良かったんです。何もかもが……」
 むかしの記憶は、やはり驚くほど明瞭だ。
 だが、靖一は、暗い影のある顔になって、低くてハスキーな声を出していた――。脂汗をかくのか、しきりにタオルで顔面を拭っていた――。
 かつて、私が潤吉から聞いたことのあった、
“あの当時、悩み抜いていた頃のアニキの表情”とは、きっとこういう風だったのだろうと理解できた。

 ◇◇◇

 池星栄五郎の葬儀は、青山の葬祭場で執り行われた。
 記録も残してある。一日じゅう防寒コートを着込んで歩いたような、とても寒い日の夜だったから、印象的でよく覚えている。十二月の中旬だった筈である。そう――、記録を紐解いてみると、韓国で粛軍クーデターが起きた日で、十二月十二日の水曜日――となっている。
 私は現場で、葬儀の事実だけを確認し、参列することは控えた。もちろん、それは、どのように些細な私の素性であろうと、靖一に伝わることを避けるためだった。あれだけ盛大な葬式だったのだから、何千人という参列者のうちの一人となれば、靖一の知覚が私の顔をヒットする可能性は低かった。それでも、あのときの私には、靖一や潤吉と接触する場所を、新宿二丁目だけに限定するべきだという思いがあった。それ以外の場所では、なるべく彼らと接触しないとの原則は、栄五郎の葬式以降も暫且に亘って有効だった。
 父・栄五郎の葬儀は、靖一にとって再生の起点となった。
 親戚の主だった顔触れは、それぞれの神妙な仮面の内側に、栄五郎の莫大な財産に纏わるアンテナを構え、敏感に、探査の触覚を巡らせていたようだった。

 ◇◇◇

「予想した通りだったんですがねえ……、わたしにはもう準備ができていたんですよ。そうだ、以前にも、シンちゃんには話したのじゃなかったでしょうかね?」
 靖一は、少しリラックスしてきたようで、若い妻が入れてくれたコーヒーを手に取って、カップを弄ぶようにしていた。
「忘れてしまいましたよ。何があったんでしたっけねえ……」
 狡いとは思ったが、私は何も覚えていない振りをした。
「親父の財産は、ハナから相続放棄することにしていました。時間はたっぷりあると想っていましたから、何も慌てることはなかったなあ。慌てていたのは、親類たちのほうだった……。親父が死ぬのを待っていたのですから、奴らのほうが卑しかったのではないでしょうかねえ……」
「葬儀の席で、早速、相続の話を?」
「いやいや……、そんなことではなかったですよ。さすがにね。……いずれにしろ、わたしは一銭も要らないと宣言しました。親父の遺書に、何が書いてあろうと、わたしには“びた一文”くれなくて構わないとねえ。各々、取り分を取ったら、わたしの分は、好きに分けて欲しいと……。ただ……」
「……ただ?」私は、ポケットからむかし使っていた調査手帳を取り出した。
「鏡子が……。……いや、違ったかな。……ああ、そうそう、順番が逆でしたかなあ……。鏡子がいなくなりおったのが、先でしたわなあ」と、彼はカップに何度か口を付けた。
 靖一には、若干、記憶の入れ違いがあるように、私は感じた。
「葬式が済んで、うちへ戻ってやれやれ、ホッとしたところでね、鏡子が、わたしにこう言ったんです……。たしか……、
“お義父さまがいらっしゃらなくなったということは、アタシの役割も、これでお終いでしょ”とか、そういうようなことを、思いっきり、言いおりよったんですわな」
 そう言って、靖一は大口を開けて笑った。
 私が、鏡子に報告書を出したのは、たぶん、葬儀の二日前辺りだった。池星靖一は同性愛者で、交際相手は潤吉、――と、ごくごく綺麗に結論は出ていた。これほど、すっきりした報告書も、そうしょっちゅうあるものではなかった。
“お義父さまがいらっしゃらなくなったということは、アタシの役割も、これでお終い”――とは、ずいぶんと辛辣な言葉ではなかったか。靖一が同性愛者=ゲイであることを、もはや取り繕う必要はなくなったのだと、鏡子のほうから告げ、引導を渡した恰好となったわけだ。
「鏡子は、わたしに“謝るな”と言いましたよ。自分はそれなりに良い生活をさせて貰ったからとねえ。わたしを労るようなことまで言っておりました。隠し通すのも、大変だったろうにと……、そんなことまでね」
 靖一は、今度は少し辛そうな様子になった。
 笑っているのか泣いているのか、判断の付けにくい複雑な表情に変わった。

※※〔37/42〕へつづく

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