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僕が小学生だったのは、いまから40年近くもむかしのことだ。 ・ 東京の都心。すぐ間近に首相官邸や国会議事堂、霞ヶ関の官庁街があるような地域で、僕らは生まれ育った。人口の空洞化現象などと呼ばれ、子どもたちの数は少なかった(……いまでは、もっと少ない)。僕らが通った小学校は、1〜6年生の全てが1クラスしかなかった(……いまは廃校になって存在していない)。つまり、小学生の6年間を、僕らは一度のクラス替えも無しで、過ごしたのだった。 ・ さぞかし、仲の良いクラスメイトたちだったろうと想われるかも知れない。たしかに、そうした一面もあった。だが実際は、ひどいイジメが横行していた閉鎖社会―――。それはもう、言語を絶するものがあった。 無視イジメが常に行われていたのだ。大抵、その対象は一人ずつ。 例えば、先月いっぱいまではAちゃんが無視のターゲットだったから、今月からはBくんにしよう―――のようにして。その無視イジメを「取り仕切っていた」恐怖の独裁者が君臨していたのだ。 所詮、子ども社会のこととは言え、恐怖の支配には厳しいものがあった。担任たちは、そうした実態に気付いていないはずはなかったが、ついに僕らが卒業するまで、何の対処もしてくれなかった。独裁者に従属することが馬鹿馬鹿しいことぐらい、ちゃんと分かっているクラスメイトもいたが、表向き(学校にいるあいだだけ)は独裁者の言いなりになって、集団無視イジメの指令に従った。それは、6年間:1クラスの閉鎖社会を生き抜くための知恵だった。 実際は、放課後になれば、無視イジメされていたクラスメイトの家へ、僕を含め何人かは内密で遊びに行ったものだった。親友だったから。 それでも、次は自分が無視イジメの対象になることを恐れ、僕らは各々、学校(教室)にいるあいだだけは、独裁者の指令に表層的に従っていた。 左様に、僕らが強いられた無視イジメには形式的な側面もあったのだが、独裁者に媚びへつらう密告者たちも居るには居たから、敵味方を選り分け、言動には細心の注意が必要だった。いずれにせよ、伸び伸びとした小学校生活とは全く程遠いものを、僕らのクラス一同は経験していたのだった(……おそらく、あの独裁者を除いて)。 そうしたストレスは多大なものだったから、いまにして想えば、当時の僕らクラスメイトの中から、よくぞ不登校や自殺未遂が出なかったものだと言える。 ちなみに僕は、妙に大人びていたり身体が大きいほうだったせいか、滅多に無視イジメには遭わなかった。 6年生の最後、卒業式を数日後に控えたある日、僕らのクラスではついに革命が起こり、独裁者は(担任の教師によってではなく)クラスメイトたち自身によって断罪された。独裁者はみんなの前で謝罪し、僕らは彼を許した。 僕が、自分を「ゲイかしら」と意識し始めたのは、その小学校の高学年時代で、少なくとも中学に入った時点では、完全に「我はゲイなり」との認識を持っていた。 きっかけは、ゲイ雑誌「さぶ」だった。どういう雑誌かは皆目知らずに、ちょっと特別な予感を覚えて、思わず万引き―――。自室へ帰還し、その雑誌を開いてみたら、そこには自分がそれまで密やかに追い求めていた性的願望の世界が、扇情的、そしていとも肯定的に描かれていた。 僕は、自分と同じく同性を好きになり同性に欲情する人たちが、世の中には大勢いることを、雑誌「さぶ」の存在を以て確信した。そのとき僕は、心から嬉しく、高揚した気分になった。踊り出したいほどだった。 中学に入って、一度、僕がゲイだとの噂(実は事実)が学年中に拡がってしまったことがあった。僕が、ちょっと手を出した相手の男子生徒が(まさか喋らないだろうと高を括っていたのが間違いで)、その翌日だか、何人かの同級生に僕がゲイだと大々的に告げ歩いてしまったのだ。あっという間に、そのニュースが学年中を駆け巡った。 もちろん、そのときの僕は火消しに躍起だったが、どういうわけだか騒ぎは短時間で沈静化した。その後も、僕がゲイだからとイジメられたこともなく、疑惑(事実だが)を蒸し返されたこともなかった。かえって、数人の男子から「お前もオレと同じなのかよ」という調子で、ゲイだとカミングアウトされてしまったほどだった。 どうして、こうもすんなりとことが運んだのか、理由は全く分からない。僕はラッキーだったと言うほかない。 いまの子どもたちは、僕らの時代より遙かに豊かな情報の中で、精神的にも大らかに生活ができているものだとばかり思っていた。だが、それは全くの勘違いだったようだ。 たしかに、インターネットなどを媒体とした同性愛関連情報は豊かになった。TVにも、たくさんのゲイタレントたちが出演している。しかし、同性愛/LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の子どもたちから、セクシュアリティーゆえの苦悩が霧消したのかとなると、全然そうではない。 情報が増えたからと言って、カミングアウトが容易な環境が子どもたちに与えられているわけではない。大人の同性愛者たちにとっても、そうでないのと同じように。 いまの子どもたちは、僕らの時代よりも一層、学校やプライヴェートの友だち付き合いの中で、迎合性が求められているらしい。共通の話題に参加できないと、即刻イジメの対象になり得る。同じテイストで面白い話題を提供できる友だち。同じリアクションで座を盛り上げることのできる友だち。同じ価値観で諸々の事象に可否を述べられる友だち。―――こうした友だちでなければ、友だちとは呼べない風潮が強みを増しているようだ。 その迎合的ムードに同調できない個性的な子どもたち、異なるオーラを放つ子どもたち、感覚傾向や思考回路がユニークな子どもたちを、除け者扱いしようとする黙示が、一定の力学を以て、子ども社会、教室や学校の隅々にまで及んでいる。 僕の小学校時代。極めて特異な存在だったあの独裁者が、現在では、どのクラスにも複数人、ごく普通にいて、教室のあちこちでクラスメイトを取り仕切っているような状態なのだろうか……。 現代は、中学生や高校生のうちから、早くもゲイ(同性愛系)ブログを立ち上げ、活発に日頃のゲイ(同性愛)的心情を書き綴っているような若者たちも散見できる反面、やはりむかしながら、なかなかゲイ(同性愛)関連情報媒体に接する機会がなく、悶々と自らの性的指向に苦悩を覚える若者たちもまた、多くいるに違いない。 学校教育の中で、セクシュアリティーについて、きちんと理解のできている教師が、進んでセクシュアリティー教育に取り組むことが求められる。 でき得れば、同性愛者の先生方が積極的に登壇し、自らのセクシュアリティーを明らかにするところから始めて下さると、大いに心強いものがある。 もちろん、言うまでもなく、同性愛者の先生方に、カミングアウトを無理強いするわけにはいかない。そもそも同性愛者の教師という存在を学校当局がどこまで受容できるか、その懐の深さこそ問われるのだが。 日本とイギリス(ブリストル市)から「自分は、LGBTだ/LGBTかも知れない/LGBTではないかも知れないが、LGBTをテーマに話し合いたいと思う」若者たち(10代〜)が集い、数日間に亘って交流する『日英LGBTユースエクスチェンジプロジェクト』の開催が、この8月に東京で予定されている。 公式ページ http://www.delta-g.org/youth/ 交流プログラム(8/20〜24)について(PDFファイル) http://www.delta-g.org/youth/pdf/youth-main-A.pdf http://www.delta-g.org/youth/pdf/youth-main-B.pdf 〔関連記事(円山)〕JanJan 求められるセクシュアリティー教育 <「不登校」や「保健室登校」の生徒たちにもセクシュアル・マイノリティーが隠れている> http://www.news.janjan.jp/living/0807/0807283090/1.php
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セクシャルマイノリティへの差別ってのもあるんでしょうが、弱者への思いやりとかを異常に軽視する風潮は、何が原因なんでしょう。不思議ですね。自分が弱者の立場に立った際のリスクマネージメントを全然考えてないので、なおのこと不思議です。 |
名古屋のきりたんぽ URL 2008/08/03 02:51 |
>名古屋のきりたんぽさん |
円山 2008/08/03 07:19 |
(↓つづき)いっぽう、神ではなく世間様を恐れる日本人は、たとえどんなに正しい行いをしたとしても、世間様からひがまれたり、足を引っ張られたり、難癖を付けられたりしただけで、あっさりめげてしまうのです。正論や正義であっても、けっきょく世間様から評価されずに終わってしまいます。 |
円山 2008/08/03 07:19 |
私の体験からしても、いじめが「出る杭が打たれる」的なことを原因の一端にしていることは明らかだと思います。 |
アッキー 2008/08/05 01:10 |
>アッキーさん |
円山 2008/08/05 08:47 |
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