低能流[ゲイ]文章計画

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help リーダーに追加 RSS ♂ゲイ小説 Just the Way You Are 〔16/42〕

<<   作成日時 : 2008/07/10 14:11   >>

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※※〔15/42〕より、つづき

 ところが、リヴィングスペースの隅っこで、鏡子と一緒に、おままごとに興じていた優美が、
「ウォークマンって、アタチしってるよーっ! ……」突然、スイッチが入ったように、そう明るく宣言した。栄五郎が、演説の腰を砕かれて、ポカリと口を開けて固まった。
「……みっちゃんはねー、おばあちゃまがね、かってくださるんだって。いいないいなーっ!」
「お? ユウちゃん、ウォークマンが欲しいのか?」靖一が、驚いて尋ねた。父親の説教に水を差してくれたことを、ありがたく思った。子どもながらに、栄五郎の講釈がくどいことを理解していた可能性があった。
「あら? ユウちゃんは、ウォークマンなんて使わなくてもいいでしょう? だって、ほら、パパに買って貰った“ドラえもん”のお顔になってるレコード・プレーヤーがあるでしょう?」
 ――と、鏡子が、慌てて火消しに掛かった。六歳の女の子には、ウォークマンなど分不相応だったろうし、第一、使いこなせる代物だとは思えなかったからだ。
「でもね、みっちゃんは、おばあちゃまにかっていただくの」優美は、やけに拘って食い下がった。
「そうだなあ、ユウ。もう少し、ユウが大きくなったら、パパがまた買ってあげるからね」
「いやだもん。パパじゃなくて、おばあちゃまにかってほしいんだもん……」
「それは無理だよ、優美……。おばあちゃまはね、もういないんだよ」
「どうして、アタチにはおばあちゃまがいないの?」
 それは、優美のシンプルな質問だった。
 靖一は、これまで説明してこなかっただろうかと考えた。たしかにそうかも知れないと気付いた。これまで、優美が“おばあちゃま”について言及したことはなかったように思った。
「優美が生まれるよりも、ずっと前に、おばあちゃまは死んじゃったんだよ」
「しんじゃったのー? しんじゃったって、……なあに?」優美には、人間の死がいま一つピンと来ないようだった。
「おばあちゃまは天国にいるんだよ。死んじゃうって、天国に行くってことなんだ」
「ふーん。……じゃ、てんごくでかってもらうもん」
 優美が、残念そうに絨毯の上面を蹴っていた。天国という言葉を聞いて、死とは何か、思い当たるものがあったのだろうかと、靖一は感じた。
「靖一。その……、ウォークマンは幾らぐらいするもんなんだ?」
 ――と、栄五郎が割り込んで尋ねた。
「高いですよー。たしか、定価で三万なんぼ、すると想います」
「ほう……、なかなかの値段だな。……よしよし優美。じゃあ、おばあちゃんの代わりに、このおじいちゃんが買ってあげよう。それならいいか?」
「おじいちゃまは、おばあちゃまのかわりになるの?」
「なるとも。おばあちゃんはおじいちゃんと一心同体だった……」
「いっちんどうてー……だったのー?」
「そうだとも。だから、今度、おじいちゃんがウォークマン……、買ってあげようね」栄五郎が、再びもとの好々爺に戻っていた。
「わあい! ウォークマン!」
 孫にねだられると、大抵のことは駄目だとは言えなかった。
「そんな、お義父さん。いいんですよ、買って頂かなくても」
「いいわな、鏡子さん、もう。……いいから」
「どうせ、壊すが落ちなんですから……」鏡子は、呆れたように優美の顔を覗き込んだ。
 靖一は、どこの爺さまも同じようなものだろうとは思ったが、栄五郎の感情に関しては、あの起伏の激しさをどうにかして貰いたいものだと思っていた。血圧も高いらしいので、なおさらだと。
 優美がいたから、こうして栄五郎の興奮を鎮めるチャンスを作ることができた。もし、子どもが一人も生まれていなかったら、どうなっていただろうかと、靖一の心はいっとき悚然となった。
「ウォークマンって、どうやってかいじゅうとたたかうのー? えいえいえいって、やっつけちゃうのー?」
 優美に、まだ“おばあちゃま”――母親の淑子について何も話していなかったことが思い掛けずに判明したのは、靖一にとって、認識を新たにするべき事態だったようだ。
 でも、彼の表層意識では、ついうっかり話さなかったのだ――ということにして、収めることになっただろう。ざっと理由を考えたところで、べつに深い意味は無いと結論した筈だ。しかし、靖一の深層心理は複雑だった。もっと、母親・淑子が長生きしてくれていたら、自分の人生は、かなり違う形になっていたのではなかろうかとの観念を、払拭できようがなかったからだ。
 母親・淑子が生きていた頃は、何かに付け、靖一を庇ってくれていた。
 どんなに栄五郎が靖一に、
『三十男が、いつまで独身でいるつもりだ! みっともない!』
 ――と、あの厳しい調子で叱り付けようとも、
『お父さんだって、大した違いじゃありませんよ。靖一が生まれたとき、お父さんは三十を過ぎていたじゃありませんか?』淑子は、こう言って、栄五郎を牽制してくれたのだ。
『靖一が、どうしても結婚したくないのなら、無理にすることはないんだよ。そりゃ、母さんだって孫の顔が見たいけれど……、そんなの親の我が儘ですからね……』
 すでに癌だと診断され、体調も思わしくなかった淑子は、靖一の顔を見るたびに、そのような話をした。
『親の勝手で、息子が苦しい思いをするなど、本末転倒というものでしょう。大丈夫だよ、靖一。母さんには、お前のことが良く解っているんだから……』
 母親は、息子の性的指向に気付いていた。
 何が根拠だったのかは定かではない。それに、淑子は明確に告げたわけでもなかった。決して、あからさまな言葉を使うことはなかったが、
『女性を愛せなかったり、結婚を望まない男の人があることは、いろいろ聞いて、母さんは知っているんだよ、靖一……』
 ――と、息子を完全に理解していることを、暗に仄めかしていたのだった。
 淑子は、亡くなる最期の瞬間まで、愛しみ深く靖一を見守っていた。
『……いいかい……、無理をするんじゃないよ、靖一。……でもね、生きているあいだだけでも構わないから、お父さんを喜ばせることが、もし……できるんなら、そうしておあげね……。いよいよ母さんが死んだら、もう、誰もお前のことを……、守ってやれる者はおらないかも知れん……から……』
 母親は息子の秘密を呑み込み、理解し切ったまま、静かに、眠るようにこときれた。
『……おふくろ……、ありがとう……』
 靖一は、母親・淑子の遺言だと思った。
(親父が生きているあいだだけでも……か)
 同性愛者であるがゆえに、親に孫の顔を見せてやることができないのは、ときに非道い親不孝をしているのではないかとの強迫観念に襲われることがあった。
 どうして、淑子は靖一がゲイだと確信したのかは分からない。おそらく母親としての直感だったのだろう。父親とは違って、母親には自分の子どもを自らの胎内で育み、そして産み落としたとの絶大無比な体験がある。子どもというものは、母親にとって単に産まれ落ちただけの存在ではなく、約十ヶ月ものあいだ独力で成長させ、激しい痛みと苦しみの末に体内から産出した特別な生命体なのである。当然のことながら、我が子は我が分身のように認識される。だからこそ、そこには言語を超えた妙なるコミュニケーションが生じる。産んだ子どもを、なおも育て上げる母親の本能は、子どもの表情やしぐさ、子どもと交わす会話の端々、――これらから感じ取る思念波によって、そのとき子どもが何を考え何を欲しているのかを如実に察知することが可能なのであろう。それは、子どもが何歳に達しようともだ。
 淑子は、そうした経緯から、靖一の性的指向がゲイであると把握することができたのではないか。
 それゆえ、淑子は早くから、自分が孫を抱くことなく死ぬであろうことを納得できたのかも知れない。
 だが、男親である栄五郎には、同じ意識の高みまで上昇することができなかった筈だ。そのことも、淑子には予想ができていたに違いない。
 臨終の際に、淑子が遺した言葉は、夫・栄五郎への優しさだったのだろう。
(おふくろがな……、もっと長生きしてくれれば……)
 靖一は、母親・淑子の死後、とてつもなく大きな苦悩を背負うこととなった。
 優美に、おばあちゃま――淑子の死について語ることがなかったのは、疑いなく、その苦悩のせいであった。

※※〔17/42〕へつづく

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