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世界で最初に(1989年)「登録パートナー法」を施行した国:デンマークで、このほど同性カップルは男女カップルより「離婚」する率が低いとの統計結果が発表されたようだ。The Copenhagen Postが伝えた。 ・ なお、離婚は結婚が前提だが、この記事ではパートナー登録を準結婚と捉え、男女の結婚と同じ意味に扱って書く。 ・ 〔翻訳始め〕 離婚率(人口1000人当たりの離婚件数/1年間)を見ると、デンマークは2.72(01年)で、日本の2.30(02年)よりも高い。最も離婚率の高い国はロシア(5.30/01年)で、デンマークは10位、日本は第22位だ。 〔資料〕総務省統計局「世界の統計2005」 デンマークの離婚率を経年的に見ると、1970年代までに概ね1.5程度の横ばい状態から一気に2.5〜へ上昇。しかし、その後は現在まで同程度の値を保っている。 それに対して日本の離婚率は、1972年頃に1.0を突破して以降、現在まで上昇傾向を継続したままだ。 〔資料〕離婚に関する統計(厚生労働省/平成17年) これらの統計は、男女カップルの結婚だけを集計しているはずで、同性カップルの離婚率を同じ計算式で算出した値がない以上、比較する術はない。もとより同性カップルの結婚/離婚という概念さえなかったのだから、仕方のないことだが。 また、National Association of Gays and Lesbiansの統計と言っても、「17%の同性カップルが離婚するのに対し、伝統的な結婚によるカップルは半数が離婚」とのデータが、どのような調査方法によるものなのか、よく判らない。離婚率の計算式に当て嵌めることもできないから、ただちに結論づけることは難しい。 要は、何らかの方法で調べた限り、同性カップルの離婚数のほうが男女カップルの離婚数よりも少ないことがあった―――という話に過ぎない。 でも、それで済ませてしまっては何だかつまらないので、あくまで[同性カップルの離婚<男女カップルの離婚]と仮定して、いろいろ考察してみたい。 同性カップルの結婚のほうが、困難さを伴う分だけ「大切にしたいと考える」といった一般論を思いつく。男女の結婚より同性結婚のほうが、世間様から祝福されにくいのはデンマークとて同じことなのだろう。祝福されにくい結婚(パートナー登録/準結婚)なのだから、慎重になり、婚期も遅めにずれ込むというものだ。 ただし、未婚状態であっても一緒に生活しているケースは多いだろうから、書類上のパートナー登録/準結婚はまだでも、事実上の結婚生活は、もうベテランの域に達していたりもするのだろう。だから、いざ結婚(パートナー登録/準結婚)の本番を迎えても、失敗が少ないという話になる。 (C) Kazuhiko Sano 俗に、ゲイの恋愛は短いと言われたものだが、何か根拠があってのこととも思えない。そういう俗説は、きっとゲイ酒場での酒の肴が一人歩きをして広まったのだろう。酔っぱらって、どのゲイがどのゲイとくっ付いたの離れたのとワイワイやっているうちに、フラれっぱなしなゲイや、遍歴項目数の多いゲイの話だけがピックアップされて、面白おかしく語られ巡る。酒場とは、本来そういう場所なのだから、それで納得するのが筋道である。 きっと、ゲイ酒場ではあまり語られることのない長期恋愛のゲイカップルも、わんさかといるに違いない。長期恋愛という幸せを謳歌するためには、それなりの努力や工夫が必要なのだが(喜びも悲しみも幾年月)、ゲイ酒場で酒の肴にするのだったら、幸せへの羨望より、ねたみ/やっかみのほうが酒を旨くするのだろう。 日本には、同性婚はもとより登録パートナー制度すら存在しないから、ゲイカップルたちのあいだで、「結婚している」/「結婚しよう」といった認識は、なかなか芽生えないかも知れない。 気持ちの上では結婚していても/結婚したくても、具体的に結婚へ向けて、何か手続きを始められるわけではない。制度そのものが、まだないのだから。 ちなみに、あるビアンカップルの言によれば「ゲイは恋愛遍歴を積み重ね、それなりの年齢に達しないとパートナーシップについて真剣に考えないようだが、ビアンは早い」のだという。付き合うのが一人目〜二人目でも、もう一緒に暮らすことを意識し始め、できたらそのまま添い遂げたいと念じるケースが少なくないらしい。そのための生活基盤を、現実的に模索するのだとのこと。いっぽう、ゲイは遊べるうちは遊ぼう的な印象を受けている―――と、必ずしもゲイ全般に言えることではないものの、ちょっと耳が痛めなコメントだった。 誤解のないように付け加えると、「愛し合う同性カップルは、いつか必ず結婚の検討に入らなくてはならない」―――などということは決してない。 結婚の概念を同性カップルに当て嵌めると言っても、同性カップルが、いつの日か絶対に結婚を目指さなくてはいけないわけではない。 結婚は、強制されるべき概念ではなく、同性カップルなら同性カップルなりに、自分たちでどうするか主体的/個別的に考えて、結論を出せば良いことである。 ゲイ・レズビアン当事者の中に、登録パートナー制度への抵抗感や躊躇いがあるとすれば、同性カップルもまた、結婚を強いられるようになるのではないかといった警戒心に起因するのだろうと想われる。 警戒する必要などない。 結婚したいカップルが結婚すれば良いことであって、結婚しないカップルがあっても一向に構わない。同性カップルだろうと男女カップルだろうと、その点は同じだ。 男女カップルが得られる法的保障[制度]を同性カップルである自分たちにも[適用して欲しい]―――と、敢えて望む同性カップルが、結婚に踏み切れば良いだけのこと。 それを望む同性カップルのために、法的保障[制度]が社会にあらかじめ用意されなくてはならないと、僕は主張しているに過ぎない。 [制度の実現を求めること]と、その[制度を使いこなすかどうかの判断]は、全く別系統の話である。 (C) Kazuhiko Sano もしも、デンマーク:National Association of Gays and Lesbiansの「17%の同性カップルが離婚するのに対し、伝統的な結婚によるカップルは半数が離婚」という統計結果が正確なものだとすると、一つ言えるのは「同性カップルこそ、いざ結婚すれば、結婚生活を大事に守ろうとする」ことだ。 結婚生活を大事にしない男女カップルより、大事にする同性カップルにこそ、結婚の意義は大きいという話になってくる。ならば、同性カップルを狙い打ちにして、結婚する権利を付与しない現行の社会慣習は全く理に適っていないことになる。 同性婚の概念と制度について、日本でも真面目に議論されて当然ではないか。つくづく、そう思う。 もし、日本国憲法第24条〔参考〕の(結婚の成立は両性の合意のみという)規定が同性婚のネックであるのなら、もとより「結婚という文言」に何の固執をするものではないから、法律の整備によって、登録パートナー制度が施行され、同性カップルを含めた多様なカップルやパートナーシップに、結婚と同等の法的保障を付与する機会を設けていただけることで充分だと、僕は考えている。 〔参考〕憲法第24条(太字は筆者) 同性同士でもカップルは成立する。 同性同士でも、一生に亘って添い遂げたい気持ちが芽生える。 同性カップルの存在は、本質的に男女カップルと何も違わないのだから、男女カップルと同様、ありのままにこれを認め、男女カップルと同等の法的保障を、同性カップルにも付与するべきである。 もし、「同性カップルこそ、いざ結婚すれば、結婚生活(=カップルへの法的保障)を大事に守ろうとする」のなら、なおさらの話ではないか。 どうぞ、ワンクリックをば、お願い申し上げます! ↓↓↓↓↓ |
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ああ、そう言えばこんな条文ありましたね。別に24条だけで言うわけではありませんが、日本国憲法も古くさくなりましたね・・。もちろん、現代でも通用する理念を内蔵してはいるのですが、全体的に見れば、遅れた憲法と言わざるを得ないでしょう。 |
アッキー 2008/07/21 22:14 |
>アッキーさん |
円山 2008/07/22 06:41 |
これは・・・。 |
toorisugari 2008/07/22 09:07 |
人って何らかの要素で絶対お互い違ってるのが当たり前ですが、 |
toorisugari 2008/07/22 09:10 |
>toorisugariさん |
円山 2008/07/22 18:52 |
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