低能流[ゲイ]文章計画

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help リーダーに追加 RSS ♂ゲイ小説 Just the Way You Are 〔08/42〕

<<   作成日時 : 2008/06/12 17:21   >>

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※※〔07/42〕より、つづき

 家政婦の河合キクを手伝って、食器洗いなど諸々の後片付けを済ませたあと、鏡子は、優美を二階の自室に寝かし付けてから、一階のリヴィングスペースへと戻った。
「お疲れさま、おキクさん」と、鏡子が労った。
 キクは、割烹着の前に両手を添えると、
「わたくしは、これにて下がらせて頂きますが、ご用がございましたら、どうぞ何なりと、お申し付け下さいませ……。では、お休みなさいませ……」
 礼儀正しくも、毎日きっかりと同じ口上を垂れてから、玄関ホールのすぐ隣りにある家政婦部屋へと引っ込んで行った。
「ああ、ありがとう。お休み!」栄五郎は、ソファーに腰掛け、テレヴィジョンの画面を見ながら大きな声で応じた。着物の袂に手を突っ込み、ダンヒルのライターと葉巻を一本、引っ張り出した。
 栄五郎の妻・淑子が病に倒れたのを機に、キクは四十五歳のときに、池星の家へ住み込みで勤め始めた。それから通算十七年間も、彼女は、まるでこの家の女性執事を兼務しているかのように、全ての事柄に精通し、忠実さと誠意を以て献身的に尽くしていた。血は繋がっていなくとも、家族のような存在だと、栄五郎も鏡子も、そして靖一も感じていただろう。当時の優美には、祖父・栄五郎の妹に見えていたそうだ。
「ほら、見なさい、鏡子さん……。これは、アメリカに下された天罰だわな……」
 テレヴィジョンのニュースでは、前の週、三月二十九日にアメリカのペンシルヴェニア州・スリーマイル島で発生した原子力発電所事故のその後を、ここ連日ずっと報道していた。
「……いまごろになって、付近の住民が避難したのしないのと右往左往しているようだが、カーター大統領は何をしているんだ? 無能な男だな……。それにしてもアメリカ人ども、放射能の恐ろしさを、やっと理解しおったのか莫迦めがと、ワシは罵ってやりたいところだ」
 栄五郎は、笑顔で葉巻の煙を薫らせ、その香りを楽しんでいるようだった。
「原発事故ですか。恐いですね……」ふっくらとしたソファーに腰を沈めながら、鏡子はニュースの映像に見入った。
 鏡子は、終戦のとき二歳だったので、戦争の傷跡だけならおぼろげに覚えていた。
「……これから、ますます増えるのでしょう? 原発って、日本でも?」
 しかし、頭の上から、バラバラと焼夷弾を落とされ、その渦中を逃げ惑うような、戦争そのものの記憶は無かった。
「我が家の電気にも、“核発電”したのが紛れて、のうのうと流れておるかも知れん! 穢らわしいことだわい。昭子姉さんを殺した核が作った電気など!」
「そうでしたわね……。たしか、広島で?」
「昭子姉さんは、嫁入り先の広島で、原爆の閃光を浴びて、一瞬にして溶けて亡くなった。……治子姉さんは、東京大空襲の火炎地獄の中で焼き殺された。残酷な話さあ。……アメリカは鬼だ。鬼畜米英とは良く言った。本当にその通りだったんだわな」
 池星栄五郎の父親・栄助は、横浜で星栄商会という看板屋を起業した。初めは家族経営の小さな工場だったが、段々と事業を大きくするとともに、看板制作に加え、施工も請け負うようになった。空襲で焼かれた建物があれば、それを修復しようという機会もあるにはあって、幸いなことに、太平洋戦争の最中でも看板類の需要は、ある程度の水準を維持できた。ところが、横浜の空襲で星栄商会自体が被災し、工場と事務所を失ってしまった。熟練職人たちも命を落とした。そして、終戦を迎えた。栄五郎は、落胆する栄助を説き伏せて東京に進出させた。辛うじて残った財を元手に、栄助は栄五郎のアイデアを採用し、思い切って、固定看板制作よりも低コストだった幟旗や染め幕へと、取り扱い品目を変えた。板から布への発想転換だった。実際、看板材より布地は材質的に軽くて柔軟性に富み、さまざまな用途へ応用が利いた。染め幕制作の事業は当たり、戦後経済復興の波に乗って一気に拡大した。
 株式会社ホッセーは、こうして、関東一円の主に百貨店の広告用宣伝幕――懸垂幕・横断幕――垂れ幕・横幕の制作と施工とを、半ば独占する一大企業へと成長を遂げた。
「人の命など、儚いものだった。戦争のときには……。いちいち確かめはしなかったが、ほとんど毎日、知り合いの誰かが死んでいたんだ」
「お義父さまは、ご無事で何よりでしたわ。あたしの両親は田舎暮らしでしたから、直接、戦災に遭うことはなかったので。兄が居りますけど、あたしと同じで、小さかったですから。戦地へ出征した親類はおりましたが、ほとんど復員できたそうです」
「ほうほう。それは、幸運なことだったねえ。……なら、なおさらだ」
「は? なおさら?」
「鏡子さんは、おいくつになった?」
「三十六ですわ」鏡子は、栄五郎の湯飲みが空なのに気付いた。
「そうかそうか。なら、まだ子は充分に作れる歳じゃろう?」
「え、ええ……。たしかに、まあ……」ソファーから立ち上がり、急須にお湯を差して来ようと思った。
 すると、栄五郎は、
「茶は、もう宜しい。お座りなさい。なあ、鏡子さん……」鼈甲のメガネをずり上げて、鏡子の全身を精査するように、突き刺さる視線を巡らせた。
 鏡子は、年齢よりは若く見られた筈だ。小学生の頃から発育が早く、一番背が高い男子よりも、さらにひと回り体格が勝っていたのだという。陸上競技が得意だった。中学に入ってからはソフトボールをやった。女の子なのに骨太で、背丈があって筋肉もがっしりと付いていた。髪の毛を短くしてきたのは中学以来で、少し色黒だったからボーイッシュと言うより、男の子に見られてしまうことも少なくなかったそうだ。男子姿負けの活発さだった。だが、成人してからは女性の色気も増してきて、もともと顔立ちは良かったから、スポーティーで健康的な美人だと評されるのが専らだった。鏡子自身、野性美が魅力と自負したいところだったようだ。
「……君に、魅力が欠けているなどとは、到底、思えんのだがねえ……」
 栄五郎から、“男としての眼差し”を鋭く感じ取った鏡子は、反射的に胸の辺りを押さえるような仕草をした。
「……老いぼれた、このワシでさえ、忘れていた感触が蘇るようだよ」
「な、何ですの? お義父さま?」鏡子は、栄五郎の行動が予測できず、警戒心が先に立って少し声が上ずった。
 栄五郎は、含み笑いをすると、
「靖一の子を、もう一人、……できたら男の子をだな……」意味があるのか無いのか判らない奇妙な顔付きのまま、鏡子の瞳を凝視していたのだが、
「……どうか、池星の家の後継者を、ワシの目の黒いうちに産んで貰いたいと思うてな……。どうにかならんもんか?」
 急に、わざとらしく相好を崩して見せると、上機嫌に繕い、絶対権力者のように高圧的な無礼を言ってのけた。
「靖一は、今夜も合唱やらの稽古に行っておるんだろうか? 音楽を演るのが、べつに悪いわけではないが、そんな暇があるんだったら、鏡子さんの年齢も考えて、子作りにも、もそっと力を割いて欲しいものだがなあ。……これだって、鏡子さんからも、誘って……貰うようにせんとな……」栄五郎は、いやらしい面持ちを浮かべて、醜く笑った。
 果たして、どういう話の脈絡だったのだろうか。
「……何せ、夫婦の共同作業と言うじゃあないか? なあ、鏡子さんや……」
 鏡子が戦争の悲惨さを全く体験しておらず、鏡子の一族に及んだ戦災が少なかったのは、すなわち裏を返せば――鏡子がこうして生きているのは、これからの池星家のために、鏡子が、またとない尽力の誠を捧げるためなのだ――と、栄五郎は言いたかったのだろうか。
(あたしの歳も考えて――って、何よ、あんまりな一言だわ。それじゃ、まるであたしは池星家の跡取り息子を産むための道具みたいなものじゃなくて? ……)
 鏡子は、相当に気分を害して黙り込んだ。
 本当は、声を大にして栄五郎に、否――、夫・靖一にこそ、思い切りぶつけてやりたかった不満だったかも知れない。
(……なかなか、次の子どもができないとしても、そんなの……、あたし一人のせいなんかじゃありませんから!)

※※〔09/42〕へつづく

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