低能流[ゲイ]文章計画

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help リーダーに追加 RSS ♂ゲイ小説 Just the Way You Are 〔12/42〕

<<   作成日時 : 2008/06/26 06:07   >>

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※※〔11/42〕より、つづき

 この前年、イラン革命による石油生産停止に端を発した、いわゆる第二次オイルショックの影響で、日本経済は再び低迷の中にあった。不確実性の時代という言葉が流行していた。どんなにたくさんのデータを積んで先を読もうと、予想できない突発事態が社会の局面を大きく揺さ振った。その度に、主として経済が、そして人々の実生活が大きなダメージを受けていた。
 高度経済成長――。頼り甲斐のある言葉だった。
 夢を見ることが可能だった時代だ。三種の神器から、カラーテレビにエアコン、それに乗用車、海外旅行。少なからず、頑張っていさえすれば実現できた夢もあった。
 力強くも安定した右肩上がりの折れ線グラフや棒グラフが、二度のオイルショックによって、このまま永遠不滅に、そのヴェクトルを維持した状態で描かれ続けて行くわけではないのかも知れないとの嫌な予感が、一般大衆の頭を過ぎり始めていた。しかし、まだまだ成長の終わりなど遠い先のことだろうと高を括りたい気持ちは支配的だった。不安の先送り願望だ。そこで、誰しもサラリーマンたちの話題は、好むと好まざるとに関わらず、何と言っても、やはり本能的に景気の動向から入ってしまったようだ。たとえ、それが如何に虚しいテーマだと判っていても、
“まだ平気だろ”
“大丈夫だよ”
 ――と、互いに慰め合うことで将来への安心感を得たかった。
「へえー。……アニキの会社、景気がいいなんてビックリだぜ!」
「違うって。景気がイイわけじゃないんだって。仕事の量が一遍にドカンと減らなかったから、ぼくとしては、ちょっと安心しただけだって、それだけだよ……」
 靖一は味噌汁を一旦、口中に含んでから、少しずつ声帯を潤すように食道へと送り流していた。
 第二のオイルショックと聞いて、すわ、またもや一大事かと慌てる向きも多少はあったものの、かつて、石油が来ないからトイレットペーパーが無くなる――と短絡的に、国を挙げてひと騒ぎとなった、あの愚かな大パニックがもう一度起きるようなことはなく、結局のところ、激しい物価上昇などをも招いた六年前のオイルショックほどの衝撃ではなかった。政府も産業界も、また大衆も、あのときの苦い経験を以て学習し、研究をも為して、諸々の対策を練っておいたからだろう。
「……オイルショックのお陰で、どこもかしこも省エネ省エネになってくれたからね。それ以前は、デパートの広告に電光掲示板が増え始めてたのが、一気に減ったんだよ」
「垂れ幕のほうが、コストも安いんだろうしな?」潤吉の顔が、キリンビールの酩酊効果によって、その内側から滲み出てきた鮮やかなピンク色を放散していた。
「うん。実際の勘定はそうなんだろう。……それに、企業のイメージアップにも繋がるんだろうな」
「ああ、なるほど。……“うちんとこは、省エネに協力してるんだぜ”……ってことか?」
「そうだよ。例えばクルマ屋さんなんかはさ、多額のコストを恐れずに、省エネ自動車開発に投資しておいたほうが、長い目で見れば得だと読んだんだよ」
 その、最初のオイルショックを被って以降――、世の中が混乱の様相を呈していた頃――、靖一は、どうにか“お務め”を果たして優美という子どもを授かった達成感から、少しずつではあったが新しい人生を意識するようになっていた。新しい人生とは言っても、それは、もともとそうだった自分自身に回帰しようとする模索だった。結婚して子どもが出来ていた状況で、もともとの自分に戻ろうとする挑戦は、そのむかし靖一が生きていたさまと比較すれば、明らかに新しかった。
 靖一は、大学生のときに三島由紀夫の“仮面の告白”や“禁色”を初めて読んだ。
 新宿三丁目・要町辺りに、“イプセン”や“蘭屋”を皮切りにして、ポツポツとゲイ・バーが出来始めていた――との情報も押さえていた。週刊誌や新聞の記事に、稀に取り上げられることがあったからだ。
 アンダーグラウンドな流通しかしていなかった、初期の同性愛雑誌や書籍の存在を知っていた。左翼学生が出入りするようなアングラ系の書店に足を運び、それら同性愛の書物をこっそりと入手していた。
 潤吉とは異なり、靖一は、自分の性的指向を早くから理解していた。しかし、そのことは心の底深くにだけ、密やかに収めていた。ゲイ・バーがあると知っても、そこへ突入するような勇気が無かったからでもあった。
 鏡子と結婚した直後から、靖一は、努めておのれの同性愛的思考や行動を抑制することを決断した。男なのに男を求めてしまう心を固く封印しようと頑張った。抑えれば抑えるほど、反作用的に噴出した同性への強い欲望は、ことごとく自慰によって処理し続けた。だから、結婚して数年間というもの、とても鏡子を抱こうとの思いに至ることが無かった。彼女とベッドをともにすることはあっても、肉体を求めることは、どうしても出来なかった。
 それを――、初めのうち鏡子は、靖一の童貞ゆえの躊躇だと考えようとしたようだ。
 いっぽう、離婚した後の潤吉は、三島由紀夫が自衛隊・市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した翌年、昭和四十六年に創刊されたゲイ雑誌――“薔薇族”に遭遇し、ゲイの何たるかを知った。アングラ的存在でしかなかった同性愛雑誌が、初めて一般の書店に流通するようになったからこその、革命的邂逅だった。
 このとき、潤吉はゲイ雑誌・薔薇族の最初の一ページ目を開き、瞬時にして自らのゲイネス――同性愛者であること――に覚醒した。こういう世界が現に存在する事実を明瞭に認識することができた。
 潤吉自身と同じように、男でありながら男を好いてしまう人間たちが、この社会に多数存在することを確認した。同時に、また存在しても構わないのだという価値観を積極的に獲得した。
 そして、結婚にまで踏み切ってもなお、女性を抱くことができなかった葛藤、その妻に愛想を尽かされて離婚し、家族親類に罵倒され、あるいは仕事場の同僚からも蔑まれた苦悩、それらの重苦しかった経験によって傷付いた潤吉の心が、綺麗に癒されることとなった。
「デパート側としては広告宣伝費を削りに掛かってきてるから、これからは懸垂幕の本数が減って行きそうなんだよ。安心して、うかうかしているわけにはいかないんだな」
 靖一が、ソースがたっぷり掛かったひれかつの一片を大口を開けて頬張ると、
「へえ? そう? いいんじゃない? うかうかしていても……。長期展望すると、どうなんだっけ? アニキ、どうせ先が無い事業だってぼやいてたじゃん?」潤吉は、敢えて探りを入れた。
 靖一の反応を窺いながら、キャベツの微塵切りをムシャムシャと噛み砕いた。
 '50年代後半――昭和三十年代に入って、新宿三丁目の要町界隈を文字通りの要として増え始めたゲイ・バーあるいはゲイ酒場は、売春防止法が施行された'60年代に至ると、新宿二丁目方面へと展開し始めた。新宿御苑により近い、緑園街“Green Garden Street”と呼ばれていた猫の額ほどの狭い一帯が、最初の――ゲイの街としての新宿二丁目――であったと言われている。そして、都市再開発の波がこの緑園街を襲った'70年代に、この地域を追われたゲイ・バーの移転先が最初に集中したのが、大宗寺の前を走っている不動通りを囲むエリアだった。同じ新宿二丁目でも、緑園街から見て新宿通りを挟んだ反対側にゲイ・バー地帯の中心が移って行ったのである。昭和四十八年('73年)には、ゲイ・バーのミセ数が五十店ほどを数えていた。
 ちょうどその頃、三越・名古屋駅前店から東京方面への転勤を命じられた潤吉は、新宿店への異動が正式に決まって生活が落ち着くと、ゲイ雑誌の広告を頼りに、ときどき新宿二丁目のゲイ・バーへ呑みに出るようになった。
 靖一が反応した。
「あ? うん。そうだった。ホントはね、ぼく、親父の下で働いているのは、もう嫌なんだよね。できることだったら、いまの会社なんか辞めちゃって……」
「やっぱ、そう来たな。ダメだよ、アニキ。……いい歳して、……ガキみたいに甘いな。いつも言ってるけど、オレは、そんな弱気なアニキは嫌いだぜ。苦労して会社を大きくしてきた親父さんに、申し訳けないだろ」
「だって……、ジュン……」靖一が、飯を綺麗に平らげ、茶碗をテーブルに置いた。
「先が無いなんて、簡単に言うもんじゃないぜ。アニキには、親父さんの会社を立派に引き継いで、持続、……いや、発展させる義務があるんだろ?」
「いや……。ぼくは、将来、ジュンとね……」
「ダメダメ!」
「潤吉……、お前とぼくとは、こうやって、すでに運命の出会いをしているんだから……」
「ちっ! また始まった。……カマ掛けるんじゃなかったぜ」
 ――と、潤吉は苦笑いを浮かべ、爪楊枝に手を伸ばした。

※※〔13/42〕へつづく

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