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ときに人生というもの、意味ありげなシンクロニシティーを体験することがある。こじつけがましいと言ってしまえば、それまでなのだが。 ・ ○出会いと事件 ・ 昨日―――6月1日は、僕と僕のゲイ・パートナー(♂/カレシ、相方、トゥマ、……ヤツ)が出会って7周年を迎えた日となった。これから、8年目に入る。 2001年6月1日(金)。新宿で待ち合わせをしていた僕らは、午後6時過ぎ、紀伊国屋書店の裏入り口で初めて遭遇。それから食事をする場所を探し、結局、新宿サブナードの、とあるレストランに落ち着いた。カレーを食べながら、初対面なのに、お互いのことをよく語り合った。とくに二人とも、時期こそ違え中央アジアを長く旅した経験を持ち、ともに滞在/逗留したことのあるネパールの首都カトマンズには、しっかりと共通の記憶があった。僕らは、すぐに意気投合した。 翌朝、二人してホテルの部屋を出たときのこと。僕のケータイにニュース記事が着信した。 カトマンズの王宮内で1日夜、夕食の席でディベンドラ皇太子が突然、銃を乱射。ビレンドラ国王以下、居合わせた王族の大半を射殺。皇太子も、その後に自殺。 僕ら二人は驚きのあまり言葉を失い、互いに顔を見合わせた。 ○新生への端緒 凄惨な現場で生き残ったのは、ビレンドラ国王の弟であるギャネンドラ殿下の息子と妻、パラス王子(無傷)とコマル妃(軽傷)だけだった。また、ギャネンドラ殿下は事件当時、地方へ出張しており不在。難を免れた。―――と、この事件には最初から、ギャネンドラ殿下への疑念が付きまとうこととなった。 〔参考〕ネパール王族殺害事件 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%8E%8B%E6%97%8F%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6 殺されたビレンドラ国王は国政の民主化に理解があり、改革を進めていたため、ネパールの人々から厚い尊敬を集めていた。政府に厳しく対抗していたネパール共産党さえも、ビレンドラ国王には敬意を表していたほどだったという。 確かに、僕がネパールで暮らしていたとき、国王の評判についてネパールの友人たちに訊くと、一様に「ビレンドラ国王は民衆に理解のある進んだ感覚の持ち主だ。ところが弟のギャネンドラには、いつも暗い噂がつきまとっている。どうしても、ギャネンドラを好きになれない」と、顔をしかめるネパール人が多かった。ギャネンドラ殿下は、汚職や麻薬犯罪事件絡みで必ず名前が取り沙汰されたらしい。 それゆえ、この未曾有の大事件の後、ギャネンドラ殿下が後継国王に即位したとき、ほとんどのネパールの人々は失望し、そして落胆したのだった。 ○内戦から共闘へ 2005年。ギャネンドラ新国王は、非常大権を発動して議会を停止。以来、内閣を親ギャネンドラ派の人材で固め、時代錯誤とも言うべき国王親政を敷いた。 2006年。ネパールの民衆が民主化を要求して大規模なデモを開催すると、ギャネンドラ国王はこれを武力鎮圧。反王政の世論が一気に高まった。国外からも強い批判を受け、頼みの両隣国インド・中国からも助け船は出されなかった。 世論の高まりは抑えきれなくなり、やがて対立関係にあった保守勢力・ネパール会議派ら主要エリート政党と、地方を中心に武力闘争を繰り広げ、ネパール国軍との内戦を拡大させてきたネパール共産党毛沢東派勢力とが”共闘”を模索するに至った。孤立・劣勢に陥ったギャネンドラ国王は「君臨すれども統治せず」を宣言。国王大権を放棄せざるを得なくなった。議会は、新憲法制定に向けて動き出した。 ○People's Power 今年の4月に行われた制憲議会選挙では、ネパール共産党毛沢東派が220議席(定数601)を獲得して第一党となり、ネパール会議派が110議席、共産党統一派が103議席と続いた。〔※1〕 そしてついに、この5月28日。ネパール制憲議会は圧倒的多数で王政の廃止/連邦共和制施行を決議。約240年のあいだ継続したシャー王朝が、その幕を下ろした。 初代大統領には、ネパール会議派総裁(現首相)ギリジャ・プラサド・コイララ氏(87)が有力視され、新首相にはネパール共産党毛沢東派のプラチャンダ<本名:プスパ・カマル・ダハル>議長(53)が就任する見通しだ。 要するに、共和制に移行して最初にできる内閣は、連立とは言え、共産党が核になる。 確かに、僕がカトマンズで暮らしていたとき(1984〜87年)も、ネパールの東大、トリブヴァン大学構内にはときどき赤旗が立ち並び、左翼学生たちが気勢を上げていたにはいたが、警察当局の取締りなどもあって、実際には、決して完全自由な活動が保証されていたようには見えなかった。それが、今や共産党首班の内閣誕生とは。 現代史に起こり得ないことなど、何もないのだ。 〔※1〕ちなみに、このとき共産党統一派からは、ネパール史上初めてゲイであることを公言している人物が議会議員に当選した。スニル・パント氏(35)。人権活動家。こうなると、ネパールのほうが日本よりも遙かにLGBTムーヴメント先進国だと言える。 〔参考〕ネパール初、ゲイの国会議員誕生 http://gayjapannews.com/news2008/news68.htm ○気づいてみれば 何の奇縁なのか、ネパールから王政が消え、大統領職が設置された5月28日は、僕が、我が愛しきゲイ・パートナー(♂/カレシ、相方、トゥマ、……ヤツ)の2LDKに引越をした当日でもあった。あとになって、気づいたことだ。準備でバタバタとしていて、とてもネパール情勢を追う余裕などなかったから。 ネパール(王宮事件→王政崩壊→連邦共和国)も……、ネパール繋がりで意気投合し、それが交際する切っ掛けとなった僕ら二人(出会い→恋愛→同居)も……、この七年間を通じ、さまざまな変転流転を経て、今こうして収まるところへ収まったのだな―――と、僕はそのような感慨に浸った。 ○おまけ――― http://tapten.at.webry.info/200603/article_19.html クリックプリーズ |
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おめでとうございます!!! |
toorisugari 2008/06/02 23:46 |
>toorisugariさん |
円山 2008/06/03 22:22 |
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