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古代ギリシャと言えば、紀元前8世紀から紀元前5世紀ごろが、その全盛時代だったのでしょうか。いまから、ざっと2500〜3000年も大むかしのことですから、そこへ現代の価値観を当て嵌めるのは無意味だと言ってしまえば、もうそれだけの話で終わってしまうのですが。 ・ 古代ギリシャに続く言葉を連想するとき、「……の少年愛」と来るのが僕の場合であります。 ”Greek love(ギリシャの愛)”という英語は”pederasty(男性同性愛)”の同義語で、pederastyはギリシャ語のpaiderastiaがルーツ。これを構成する語源はpais(少年)+eran(愛する)で、まさしく少年愛ということになりますが、やがて、一般に男性同性愛的行動全般をさすようになったのです。 現代日本でも、ジムに通って肉体を鍛えるゲイは大勢おいでになりますが、ともすると、ジムがゲイの溜まり場と化すことも(あるのかなあ?)―――。もちろん、ジムで鍛える男性のすべてがゲイだなどと、決してそのようなこと申しているのではありません。 古代ギリシャでも、やはりジム(ギリシャ語:gymnasium)で、成人男性そして少年たちが肉体を鍛えていたようですが、gymnasiumにはgymnos(裸体で)という意味が含まれているのです。きっと彼らは、全裸でトレーニングに明け暮れていた、―――となると、当然ながら、そこではもっぱら”Greek love”が営まれたはずです。それを、現代のハッテン場になぞらえるつもりは全然ありませんが、ことによると、案外、似たようなことになっていたのかも知れません。 古代ギリシャの男性にとって、ほかの男性から愛欲交合を誘う声がかからないことは、恥ずかしいことだった―――のだそうですから、時代が違うと、本当に人間の考えることは変わるものです。 ちなみに、古代ギリシャのオリンピック競技会には、男性だけが参加できました。そして、男性アスリートたちは、すべて全裸で競技に臨んだのです。 〔参考〕古代ギリシャの同性愛 http://history.husigi.com/VHv2/koneta50.htm 全裸でトレーニングをしたり、全裸でスポーツ大会に参加したのには、あくまで裸体一躯のみに構えを徹し、決して補助器具を使わず、また何らのインチキもしていないことを正々堂々と証す意味があったこと、鍛えられた肉体に神聖さが宿ると考えられていたこと、そしてスポーツそのものにも、神へ捧げるとの目的から、清らかさが求められていたこと、などが挙げられます。男性の肉体は、卑猥でも醜悪でもなく、神聖にして清らかなものだった(鍛えることによって、神聖にして清らかなものとしなくてはならなかった)ということなのでしょう。 さて、最近がっかりしたことの一つとして、オリンピックなどの大きな水泳競技会から”ある愉しみ”が奪われつつあること―――を指摘しなくてはなりません。すこぶる残念な事態なのであります。 すなわち、ああ、競パンが消えてゆく……。 〔引用〕 疾うに、男子競泳選手たちが着用する水着姿が、かつての、あの<いまにも脱げ外れてしまいそうな小さい競パン一枚>から、まるで<タンクトップにタイツが繋がったような、肉体のほとんどを覆い尽くしてしまう全身型水着>に替わってしまいました。かつての競パンをはいてレースに臨んでいる男子競泳選手は、一本のレースで一人いるかいないかというさみしさ。 それもこれも、全身型水着姿のほうが、競パン一枚姿より水の抵抗が少ないことが原因。―――言い換えると、水の抵抗を少なくするために全身型水着を着用するよう、男子競泳選手たちの指向が変わってしまったからです。 そのため、男子競泳選手たちの、あの逞しくも美しい、ほぼ全裸の肢体を、僕らは拝めなくなってしまいました。これは痛い。 男子競泳選手たちの競パン姿は、大きく三つの観点から、極めてセクシーなのです。 まず、水泳が全身運動であること、水中を速く滑らかに進んで行かなくてはならないこと、そうした事々から必然、彼らは厳しい鍛錬を経て、抜群に整ったプロポーションを獲得しています。バランスのとれた、しなやかな筋肉体。無駄な脂肪など、あり得ません。男性肉体の究極に到達した、絶対的な美しさ。 競パン姿は、ほぼ全裸―――。腿の付け根から120%露わになった、ドキッとさせられる彼らの脚線には、もちろん靴下も靴も一切、何の邪魔物もくっついていません。繰り返し水流に洗われてきたせいか、概して体毛も少なく、ツルンとした生脚の肌。淫猥、扇情的なその流麗さ。 そして、小さな競パンが一層きわだたせる、その内側に包み隠した男根の存在感。モッコリとした、絶妙なるふくらみ。 ああ、たまらない……。 しかし、男子競泳選手たちの完璧な肉体は、全身型水着の圧倒的な台頭によって、無惨にも、そして不粋にも覆われ尽し、あのそそらせる淫らな美観は、もったいなくも、すっかり破壊されてしまったのです。 そもそも、競泳競技は不公平です。欧米出身の背の高い選手たちのほうが、アジア出身の比較的背の低い選手たちより、微妙ながら有利であることは確かでしょう。なにせ水泳は、基本的に身体を横に倒して前進するのですから、身体が長いほど、タイムが縮まるはず―――。 極論ですが、仮に身長が40メートルあったら、スタート直後に泳がずしてゴールに手が届く理屈になります。 本来ならば、競泳競技を”身長別対抗”にするべきでしょう。 そこへ持ってきて、着用する水着の素材の違いで、コンマ何秒ものタイムの差が出てしまうなど、まったく以て本質的ではありません。水着の素材など、水泳能力とは、まるで関係のない要素です。 国際水泳連盟は、競泳競技における全身型水着の着用を、全面的に禁止するべき―――と思われますが、如何なものでしょうか。 男子競泳選手は、全員、以前のように競パンだけを着用すべし! もっと言うと、古代オリンピックの精神を想起し、この際、男子の競泳競技を、ことごとく全裸で行うことと決めてはどうかとさえ、僕は主張したいのであります。 おっと……、さすがに、それは無理でしょうか……。 ともかく、素材あるいはデザインの違いによって、タイムに差がつく全身型水着など廃止して、生身の肉体だけで、正々堂々と泳ぐようにするのがフェアというものでしょう。 イギリス・スピード社の全身型水着が優れたタイムを出すものだから、日本水連が商品供与契約をしている国内3社に、スピード社と同様の製品改良を促すとか、それが果たせないなら契約を見直すと圧してみたりとか、どこか/何かがおかしいですぞ! 全裸だ、全裸だ! 男は、みな、脱いでしまえ! 冗談ですよ。 クリックプリーズ
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残念だ・・ああ、残念だ・・。 |
アッキー 2008/05/09 00:54 |
>アッキーさん |
円山 2008/05/09 11:45 |
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