低能流[ゲイ]文章計画

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help リーダーに追加 RSS ♂ゲイ小説 Just the Way You Are 〔04/42〕

<<   作成日時 : 2008/05/31 06:59   >>

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※※〔03/42〕より、つづき

 それから、丸二日ほどを費やし、
「やあ、すまんことでしたなあ、あなたがたご夫婦には、すっかりなあ……」
 地盤大陥没の災難を被る恐れがあったアパートとその周辺――数軒の住人たち全員が、再開発を請け負っていたディヴェロッパーの責任と斡旋で、環七通りの近く、旗の台九丁目の新築マンションへと、無事に退避を完了した。
「……それと、シンちゃん……、あんたにも、こうして、世話になってしまって……、何やら、いろいろとすまんでしたなあ、ありがとうなあ……」と、老人は言った。
 彼の目には、うっすらと光るものがあった。
 私は、何も言わずに微笑み返すだけだった。
 若い夫婦は担い合って、
「いーい? せーのっ!」
 彼の部屋にあった仏壇を持ち上げると、
「よっこら、しょい!」
 リヴィングルームに配置した小振りな戸棚の上に、ででんと供えた。そのすぐ隣りには、PC用のラックが置かれていた。古い仏壇と使い込んだパソコンとがピタリと寄り添い、奇妙なコントラストになった。
 戸棚の上は、前面のスペースに少々の空きがあったので、
「はい、写真立てね……。いつも右側に奥さまがいらっしゃるのよねえ……」
 若い妻は、彼が大切にしていた二つのフォトスタンドを、優しい手付きで仏壇の前へ並べていた。
 続けて、彼女は実の孫娘のような素振りで、
「……それと、左には弟さんなのねー。はあい、引越し無事に終了で、ございまあす」
 ――チンチーン、チーン
 仏壇の鐘を軽やかに鳴らし、しばしの合掌をした。
「どうかなあ、ヨッコ? 提案なんだけどさ……」段ボール箱を封じていたガムテープを、ビリビリっと引き剥がしながら、若い夫が言った。
「……当分のあいだ、こうして、おじいちゃんと同居することになったんだ。どうせ、またすぐに転勤があるだろうから、そんなに長い間にはならないと想うけどさ……」夫は一度、額の汗を拭い、段ボール箱から食器を次々と取り出して、ガラス戸の付いた大きい戸棚へと収納していた。
 アパートとその周り数軒の被災家屋で暮らしていた住民の数と、マンションの空き戸数との兼ね合いで、
『もし、できることでございますれば……』
 ――と、ディヴェロッパー側の担当者が平身低頭、ついには土下座までして頼み込んだこともあり、彼は、この若い夫婦と、地盤の修復とアパート再建が成るまで、当面、この仮住まいで共同生活をすることになった。
 私が、後になって聞いた話だが、この若い夫婦は、ほとんど駆け落ち同然で結婚した経緯があったようだ。結婚当初は、二十一歳と十八歳の二人。双方の親からは大反対があって、それを押し切る形で、式も挙げずに入籍したままだったのだそうだ。
「……札幌の実家とも、すっかり音信不通だし、ボクら、勘当されたみたいなもんだろ?」
「まあ……、そうね……」キッチンの小さな引き出しから、いまさっき仕舞ったばかりのティーバッグを選び出した若い妻は、少し淋しそうに言った。
「だからさ、おじいちゃんと一緒に暮らすあいだは、その仏壇のお二人を、ボクたちの“おばあちゃん”、それに“大叔父さん”ってことにしようかなって……さ」
 若い夫の提案に、思わず私も苦笑してしまったのだが、
「それは、なかなか言えないことだよねえ。君たちは、ほんに、近頃じゃ、稀に見ることすらできないような、徳のある若者だなあ。……“まんず、たいしたたまげだ”だよ……」正直な感想が、自然と私の口を突いて出てきた。続けて、
「……どうですか? 私は賛成ですが、どうお思いになります?」
 ――と、私と向かい合って、ついさきほど荷解きしたダイニング椅子に座る彼に向かって質した。
「孫夫婦ということでしょうかね……。ま……、保証人殿まで、そのように言われるのでしたら……」
 彼は、はにかんだような、諦めたような複雑な表情を私に見せてから、
「あっははは……」やや掠れた笑い声を漏らし、小さく頷いた。
「改まると、ちょっと照れちゃうわよー。それじゃ、おじいちゃんのこと、いまから本物のおじいちゃんのつもりになるわね。……でも、アタシ、いままでもそうだったから、何か、おんなじ感じもしてきたわあ」
 お湯の入ったやかんをガスコンロへ戻し、真新しいキッチンの脇にくるりと振り返って立った若い妻が、純粋透明に微笑んだ。
 私としては、彼が孫夫婦と暮らすことなど、疾うのむかしに捨て去ったシナリオだということを痛いほど理解していたわけだから、余計に、すっかり老人となった彼の、あの複雑な表情や、やや掠れた笑い声の裏面に隠されていた気持ちを慮ると、もはや、こういう機会があったとしても、きっと罰など当たることもないだろうと直感した。
「良かったじゃないですか? これまで、もうたくさんと言いたくなるほど、ずっと独りで暮らしてきたのだから……。ねえ?」
 私は、わざと大きな声で笑って見せた。
 彼にとっては、到底、望むことさえしなかった筈の設定であっただろう。彼は、私の笑い顔に釣られて相好を崩すと、
「あなたたちさえ良いのなら、わたしは一向に構わないですよ。では、しばらく“家族ごっこ”をしてみると致しますかな……」
 機嫌良さげな空気を作って、一同の笑いの輪に加わった。
 私は、しばらくフウフウと息を吹いて冷ましたあと、若い妻が入れてくれたダージリンティーの香りごと、火傷をしないよう、ゆったりと口の中で転がすように頬張った。
「……ええっと、それならば……ですね、わたしのほうは、ター君とヨッコちゃん……と、そのようにお呼びすれば、良いのでしょうかな? ……はっはっはっは……」
 ――と、痛々しく戯けて見せていた彼の幸せを装ったような声を聞きながら、私は仏壇のほうへ、ゆったりと目を遣った。久しぶりに、あの二人の肖像写真を感慨深く眺めていた。
 どのぐらい振りのことになったものか、俄には分からなかった。彼のアパートへは、本当にしばらく、何年ものあいだ全く足を運ぶことがなかったから。
 私にとってもそうなのだが、あのアパート・葵荘が消えてなくなることは、私よりも誰よりも、この彼の胸を強く苦しく締め付けていたに違いなかった。
 バタバタと、あっという間の引っ越しだった。危険だからとのことで、もう二度と葵荘へは、――あの想い出の詰まった二階・201号室と、そして一階・101号室には――、誰も立ち入ることができなくなっていた。
 彼が、葵荘が崩れ去るのと一緒に死んでも構わない――と言って譲らず、頑として、引っ越して欲しいとの説得に応じてくれないからと、この私が、彼の保証人をしていたということで、あの二代目・大家に泣き付かれてから、まだ、たったの四日ほどしか経っていなかった。
 人の死――に、似ていると思った。
 大切な人の死――というものに。
 何とも呆気なく、人は死ぬものだ。それと今度のことは、とてもそっくりだと、私は感じていた。
 彼が辿ってきた長い道のりの一部を切り取り、私が綴らなくてはならないと気付いたのは、このときだった。

※※〔05/42〕へつづく

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