低能流[ゲイ]文章計画

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help リーダーに追加 RSS ♂ゲイ小説 Just the Way You Are 〔03/42〕

<<   作成日時 : 2008/05/27 08:37   >>

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※※〔02/42〕より、つづき

 若い夫が、二代目・大家の尻を叩いて、再開発工事を進めているディヴェロッパーに調査をさせたところ、しばらくして、とんでもないことが判った。
 夫が想った通り、いや、それ以上、地下水脈が無鉄砲な掘削のために流れの一大変化を起こし、水脈が涸れた区域の地層だけが、刻々と凹み始めていた。すなわち、懸念されていたのより遥かに大規模で、しかも、かなり急速に地盤の沈下が進行していた。西五丁目12番から16番一帯の建物を、ごっそり地面が飲み込むほどの大陥没が発生しかねないと言うのだった。
「ほう……。それは尋常ではないですなあ」老人は、若い夫婦らの話を他人事のように聞いていた。
 斯様に、ことは緊急を要する大事態だと言うのに、
「困ったな、おじいちゃん。いいすか。このアパートと、周囲の何軒かの家の土地がね……、つまり地面が、どんどん沈んでるんですってば」
 どうしてそのように意地を張るのかと、若い夫は困り果て、
「おじいちゃん。このまんまだと、もうじき倒れちゃうんですってよ……、このアパートが……」若い妻も、理解できなかった。
「……解るでしょ? 一日も早く避難するようにって、役所から指示されちゃったのよ、おじいちゃん」
 若い妻は、老人が惚けてしまったのではないかと、半分戯けているような老人の目を、睨み付けるようにして説得した。
「はっはっは……。年の瀬も押し詰まって、避難など……」
 しかし、老人は一向に動ぜず、奥の六畳間に設えたソファー兼ベッドの上にくつろいで、のんびり顔のまま、葉巻の煙を美味しそうに味わっているだけだった。
「……そうですねえ。それなら、若い人から順に逃げ出したらいいでしょう。わたしはもう歳だから、じたばたしても、もうすぐ死にます。……のでね、このまんまでよろしい。……放っておけばよろしいんですって」
 老人は頑として、このアパート・葵荘を出ないと言い張って譲らなかった。
(でき得れば、わたしゃ、あいつと暮らしたこの葵荘で、誰にも覚られないで死にたかったんだが……、何やら妙な雲行きになってきたものだ……)
「あーあー。弱ったもんだな、じいさんには……」二代目・大家も途方に暮れていた。
 老人の生きざまは、波乱に充ちたものだった。
 階下の若い夫婦も、二代目・大家も、この老人の過去を何も知らなかった。地域の人たち全てが、矍鑠としていて、お洒落でモダンで、町内会の顔役、世話役として活躍する人当たりの良いおじいちゃんだとしか、この老人の存在を認識したことはなかった。
 まさしく、この老人がその一片をも語ることのなかった――幸せでそして悲しかった記憶の数々――が、アパート・葵荘が崩れ去るのとともに死んでも悔いがないほどの覚悟と達観とを、彼にもたらしていたことを、周囲の身近な誰もが知ることはなかった。
「……じいさん。あのねえ。じいさんが建物と一緒に潰されて、独り死んじまって済む話じゃないの。ね! そんなことになった日にゃあね、そのあとでアパートを建て直すことだって容易じゃなくなるんだからさ。じいさんは死んじまって良くったって、こっちは困るんだから。まだこれから先も生きてゆく人間のことも考えて下さいよ!」
 大家の二代目が口説き落とすと、
「これからも先も生きてゆく人間……ですかね……」老人は力なく葉巻を消し、目を瞬かせてから、しばし俯いた。珍しく気落ちした様子で大きく溜め息を吐いた。
「そうっすよー。じいさん。我が儘なことばっか言われてもね、弱るのはこっちなんだ」
「迷惑を掛けることは忍びないです。それは、もとよりわたしの本意ではありませんわな。仕方ないですな。分かりましたよ、大家の若旦那……」
 老人は、不承不承ながら、緊急避難の荷造りを始めることに同意したのだった。二代目・大家はホッとした顔になって、鼻から大袈裟な呼気を野太く放ち棄てた。
「……先代の大家さんには、それは一廉ならないお世話を……、賜りましたからねえ」
 老人は、これまで暮らしていた部屋をゆっくりと見渡した。まるで、天井板の煤けたところや淡い草色をした漆喰壁、破れた襖紙の穴の一つ一つに、深い思いを込めているように見えた。
「よおっし。それじゃ、おじいちゃん。ボクたちも、一緒に引っ越し手伝いますからね」
 若い夫が、威勢の良い声を上げると、
「いやいや、わたしのことはいいですから、構わないで……、何せ、あなたたちには、自分らの部屋のことがありますわな……」
 老人は、細かく右手を揺すって、温かい申し出でを謝絶したのだが、ことは一刻を急いだほうが良かった。なぜなら、地面の大陥没は、下手をすると一瞬のうちに起こり得た。さっさとここから避難するに限るのだった。
 若い妻は、明るく透き通った声を出して、
「てきぱきと、やっちゃわなくちゃ駄目なのよ。おじいちゃん、まだ、その腰……、痛むんでしょ。それじゃ、急いで動こうなんて無理よ。それにね、お互い、そんな財産持ちじゃないんだからっ! ……」老人を急き立てた。
「……アタシたち、おじいちゃんの家財道具も一緒に運ぶわ」愛らしいしないを付けて、うふふと笑った。
 すると、突然、大家の二代目が、
「おうっと、驚かせんなって!」素っ頓狂な声を出して、ジージーと振動するケータイをジャンパーの胸ポケットに探った。
「もしもし……。……どなた? ……は? ……ああっ! 保証人の……。……はいはい、いまどちらに? ……あ、荏原中延の駅前ね。……それじゃあね。あたくしがお迎えに上がりましょう。……すぐですから、……ええ、すぐに参ります。……は? 場所はご存じ? そうですか。……じいさんの説得ね。はいはい。どうにか、ご納得頂けましたよ。……そいじゃ、いま、アパートの二階に居りますから。……えーえー、これから荷造りをやろうってところなんで……、ええ……」

※※〔04/42〕へつづく

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
文体?文章?が変わったと思うのは、僕だけ?
すごくそそられる文章なんだけど。
th
2008/05/27 09:18
>thさん

 そうっすか?
 著者としては、あまり意識していなかったりするけど。
 もっともっと、そそられて下さいな。
円山
2008/05/27 13:15

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