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help リーダーに追加 RSS 【A Gay's Mumble】 Rainbow Arts 2008 出展者を募集中

<<   作成日時 : 2008/05/20 16:42   >>

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 ごく基本的で、かつ良心的な判断力があれば、偏見―――つまり偏ったものの見方や考え方に囚われることは、あまり自慢できることではない、ぐらいのことは容易に理解できるはずです。
 なのに、往々にして人というもの、仲良しクラブから弾き出されることを嫌うあまり、多数意見に同調し、当たり障りのない姿/景色にばかり重きをおいて、ひたすら、ことなきを得ようとするのでしょう。
 たぶん、幼いころからの習慣で、周りの人々が概ねどう認識しているかに強く影響を受け、さしたる思考を経ずして、物事に対する判断、価値観、通説などを鵜呑みに消化/吸収/採用してしまおうとするのです。それも、無理からぬことかも知れませんが、人間、だんだんと年をとるに連れ、経験を積み、考えを深めて、単一的思考ではなく、少しでも多くの情報を複合して、さまざまな側面から立体的に物事を把握しようと、成長を果たしてゆくのが、宜しいかと存じます。
 僕もそうありたいですし、多くの人たちが、そのように心がけておられるものと信じます。

 たまたま、ごく最近、<見た目が美しい同性愛は嫌悪されないだろうが、見た目が醜い同性愛は、嫌悪されても仕方がない>というインターネット上の”ありがちな意見”に接し、匿名性を良いことに屁理屈を撒き散らす輩が絶えないものだと、深く溜め息をついていたところでした。
 その匿名意見者が、何を美醜の基準にしているかなど、僕には判りようがありませんが、いずれにせよ、偏ったアンバランスな思考に囚われた人だと言わざるを得ません。

 何を美しく、また何を醜いと感じるかは、人それぞれです。
 もちろん、美醜に一定の普遍性があることを決して否定はしませんが、それらは例えば、大自然が織り成す/彩る山河の絶景、空や海の色、動植物の姿形や生きる営みなどを、ことのほか美しく思い、逆に、腐敗した死骸、ひり捨てられた糞便などを醜いと遠ざける―――といった程度の感覚的性質です。それにせよ、腐敗物や死骸の造形を敢えてアートの素材にしたり、糞尿にこそ性的興奮をそそられるフェチがあったりと、やはり一概には言えないことを申し添えなくてはなりません。

 つまり、生物の死骸をもアートに見立てようとするアーティストや、糞尿フェチを<好む/好まない>は脇へ置いて、そうした意想/価値観もまた現実に存在することについては、しっかりと認めなくてはならないのでしょう。それが、偏見を持たないということです。

 なにも、ゲイを好きになれ―――とは言いません。同性愛が嫌いな人に、いきなり好きになれと説いて、「ハイ、そうですか、わかりました。では、明日からそうしましょう」とは答えますまい。同性愛が嫌いだと言う人は、自分自身が”同性愛化”することが絶対に耐えられないと感じる人なのでしょう。そう理解することで、無闇に親近感を強制することのできないテーマなのだね―――と実感/納得することができます。
 僕は、糞尿プレイをしたいなどとは、たぶん一生涯を通して思わないでしょうけれど、現に糞尿プレイが好きな人たちを、いたずらに蔑むような態度や行動は慎みとうございます。ちなみに、僕はなかなか理解されない”脚フェチ”。お互いさまです。

 斯かる文脈から、<見た目が美しい同性愛は嫌悪されないだろうが、見た目が醜い同性愛は、嫌悪されても仕方がない>との意見には、かなり危ういものを感じると、導くことができます。

 僕は、男同士がキッスを交わすシーンを美しいと感じます。いわゆる美少年同士だろうと、そうでなかろうと。
 ときに、男同士のキッスが、あくまでエロ素材として表わされているのなら、それは所詮エロ。おそらく、エロい気持ちしか湧かないはずです。それなら、それで良し。
 でも、男同士のキッスに愛する人間同士の真の心を見出し、打たれる何かを感得できるのなら、どのような男同士のキッスだろうと、美しく眺めることができましょう。

 見た目の醜さを嫌悪してやまない人なら、同性愛ならずとも、見た目が醜い異性愛(……と、その人が思うもの)もまた、嫌悪の対象になるのかも知れません。
 論理的に見て、そのような人は、自分自身の見た目が醜くないことを前提に性愛を語っておられるに違いありません。もし、自分自身が醜いことを認めてしまうと、自分自身の性愛を嫌悪の対象にするといった自己矛盾に陥ってしまいますから。
 他人様(ひとさま)をとやかく言う前に、まず自分自身の身の程を知っておかないと、後で恥ずかしい思いをする羽目になるものです。

 ゲイの画家が、例えば”毛むくじゃらで熊のような”男性の裸体を絵画に描いたとして、見る者の誰にも決して嫌悪感を催させないとしたら、それはいったいどうしてなのでしょうか。表現者としての画力がそうさせるのでしょうか。それだけではないと想われます。
 熊のようであろうと、極端な肥満体であろうと、頭髪が薄くなっておろうと、描写する<男性の本質に美と愛おしさを覚えるゲイ>ならではの感覚こそが、しばしば、心ない偏見によって”見た目が醜い”と断じられ、蔑視されがちなゲイ男性の景色をも、誠に見事なる芸術作品として、立派に表現し切ってしまうのだろうと、僕には容易に察しがつきます。そのような画才が僕にもあればと、いささか残念な気持ちでおります。

 鑑賞者がゲイであろうとなかろうと、ゲイ・アーティストが創り上げる作品を目にするとき、ゲイの視点、眼差しがいかなるもので、ゲイがどのように男性美を見出し、男性を愛おしんでいるかを、きっと如実に、あたかもそれらが我がものであるかのように感覚することができるに違いありません。

画像

 ところで、<Rainbow Arts>という芸術イヴェントは、ゲイ・アーティストのみに出展者を限定しているわけではありません。出展者の性自認/セクシュアリティに、何ら縛りはないとのことですし、また作品テーマについても、取り立てて”ゲイっぽさ”を意識する必要は全くないそうです。

 2000年から始まった<Rainbow Arts>は、今年で9回目の開催となります。

「Rainbow Arts 2008」:予定されている日程

 ○本展

 2008年8月17日(日)〜8月23日(土)(予定)
 全労済ホール・スペース・ゼロ

 ○プレ展

 2008年6月1日から1ヶ月間(予定)
 新宿二丁目・cocoro cafe

 2008年7月21日(月)〜26日(土)(予定)
 新宿二丁目・コミュニティーセンター・アクタ

画像

 現在、Rainbow Arts 2008・実行委員会では、出展者を募集しておられます。
 作品ジャンルは不問で、これまでは、イラスト・絵画・オブジェ・映像・写真・工芸・音楽・パフォーマンスなど、さまざまな種類のアートが展開されてきたようですし、また、例年40名ちかい出展者のほとんどがアマチュア・アーティストである―――とのこと。グラフィック系のお仕事をなさっている方や、美大/アート系専門学校の学生さんなどのほか、とくに芸術専門的なご職業でない方たち、アートの勉強をしてこられたわけではない方たちなどの出展もあったそうです。加えて、年齢や居住地域も不問。―――要は、オリジナル・アート創作の意気込みがある方だったら、どなたでも出展できるということでしょうか。

〔詳細〕
「Rainbow Arts 2008」参加者募集のおしらせ

http://gcom.dyndns.org/~rainbowarts/about/about-frmset.html


 芸術的な素養の乏しい僕ではありますが、それでも作品を鑑賞することは大好きです。
 プレ展、本展とも、ぜひ観に参りたいものと心得ます。

 今年の東京は、LGBTパレードのない夏を迎えることとなりますが、きっと、LGBT関連のイヴェントが、この恒例<Rainbow Arts>を含め、いくつか”力強く”催されることと期待をしております。


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コメント(11件)

内 容 ニックネーム/日時
I appreciate art and gay art all the most, but I think that all over the world gay situation need call for action! take for example what's happening about gay in italy: http://www.gay.it/
gay
URL
2008/05/20 18:36
え、脚フェチってあまり理解されてないんですか?(←そこかよ)
それはともかく、差別や偏見というものは、今のような社会で生きている限りは誰もが持っているものだと思います。それを自覚し、恥じることが出来るかどうか。教育の力と責任は大きいですね。抽象的一般的に「差別はいけない」と言っている人でも、いざ個々の事例に遭遇したときは無自覚的に差別を行う。そんな例は腐るほどあります。だから円山さんがこうして具体的な形で差別・偏見の撤廃に取り組んでいるのはとても素晴らしいことだと思います。
アッキー
2008/05/21 00:52
>Mr. Gay
Thank you for your recommendation, "gay. it".
I can't read Italian language, so it'a just feeling, but I say Italian gay scene may be also very hot as same as in my country, otherwise much more?
I'd like to visit Italy. So I've been thinking long time, but still it's not easy, because I am always in need of money. Sorry, but rather poor, I am. Oh my Buddha!
By the way, is your comment coming from Europe? Impossible, right? Then, actually where are you from now?
円山
2008/05/21 08:13
>アッキーさん
 ええ。僕の脚フェチに共感して下さるゲイに、ついぞお目に掛かったことはありません。唯一ネット上で、女性ヘテロの方ですが、僕が男性の脚に催す感覚と同じものをお持ちの方の存在を知ったことがあるだけです。そういう意味で、僕は孤独なの。
 世の中には、偏見のどこが悪い、偏見もまた多様性のうちだなどと、莫迦な屁理屈をこねているのに気づかない人がいるのです。けんかしても意味ないんで、一言だけ言って、あとは放置しますけど。
円山
2008/05/21 08:20
脚フェチですかぁ。私は手フェチです。きれいな手を見ると、女性男性を問わずドキドキします。チラッと見てドキドキするぐらいで、何をするってワケじゃありませんけど。

「キレイなゲイ/レズ」、根深い差別とは思いますが、いかんせん美醜の問題は仕方ないと思います。「精神の美しさを磨けば、容貌の醜さを乗り越えられる」と理屈を言う方がいますが、見た目で物事を判断する人達には、通じない理屈でしょう。

最近福田恆存氏の本を読んで、美醜を高邁な理屈で蹴散らそうとする人ほどヒガミが・・って話を読み。それもそうかなと。特に、女性は見た目で判断されるので、美しいとは言い難い容貌をしてる私は、なるべく不快にさせない感じを保つよう努力してます。小綺麗で教養と作法がシッカリした人なら、どんなにオカチメンコでも世間は受け入れてくれますよ。

「キレイなゲイ」ってのは「キレイな障害者/外国人」と同列の差別です。

でも、魂の美しさも大事とは思いますが、それが表面に出てくるぐらいの努力も大事かと。容貌も魂も同じ比重を持ってると思いますよ。

話を変えて申し訳ない。
名古屋のきりたんぽ
URL
2008/05/24 21:29
>名古屋のきりたんぽさん

 非常にデリケートな問題として、例えばトランスジェンダーの歌手・中村中さんは確かに諸々の意味で象徴的存在ですが、彼女が注目されればされるほど、そのことに対する反作用も生じるような気がして心配になります……。
円山
2008/05/25 08:53
「醜いゲイ/レズカップル」に嫌悪する人間は、「醜い男女のカップル」にも黙っちゃいないですよ、きっと。
一見して美しいものに心惹かれるのは仕方ないことではないでしょうか。ただ「美人は3日で飽き、ブスは3日で慣れる」です。3日でその人の本質”魂”が見極められるとは思いませんが、そのある意味盲目的な3日は存在していまします。その3日間を生き続ける浅はかな人間がいたとしても、そんなものか、と思った方が気が楽です。
ちなみに3日以降は、容姿の秀麗さは役に立たずとも、人相の善し悪しの方がモノを言うとなれば、やっぱ、見た目の力は大きいですな。
そんなときは、傷やシミのないリンゴを選んで買ってしまう自分を思いだして溜息をつきましょう・・・。
yoshi
2008/05/29 03:24
>yoshiさん
 赤ん坊が、いつまでも赤ん坊のまんまでいてくれたら、可愛らしい上に純で、何の罪もなくて、素晴らしいなあと思うことがあります。自分に子どもがいないくせに勝手な言い分ですが、兄姉の子どもたちが幼いころは、本当にそう感じていました。一方、僕の親には「お前は赤ん坊のとき、大人しくて可愛くて、素直でいい子だったのに、それがいまじゃ、このありさまだ」と皮肉られ、随分と腹も立てました。諸行無常。いま美しいとされている人間も、歳経るごと、必ず老いて参ります。ブスと蔑まれていた方が、老いてむしろ輝き、結局逆転してしまう事もあるでしょう。本当に愛し合えば、相手が老醜に達したとて何も変わらないはず。やはり、要は心だと悟ってしまいたいですね。
円山
2008/05/29 10:11
あはは。成長した子に対する『可愛くない』という親の言葉は、同時に自分自身も老いたことを実感した親の最大の照れ隠しかじゃないかなぁ。わたしは円山さんと逆で幼年期から『可愛げがないっ』と言われつづけ、自立した時に『いい子になった』と言われました。純が故に素直すぎて空気が読めなくて、傷つけていたのか・・・と今後悔しても遅いですが・・・。
老いて逆転する可能性があるのは、人の目”評価”ですよね。当人はなにも変わってなくても、人の見る目だけが変わってしまうのではないでしょうか。
今、美しい人がちやほやされているとして、浮かれる人だけでなく、それを悲しく思う人もいます。姿から想像されるイメージを押し付けられ、年老いれば『昔は良かった』と言われ、いつでも『中身=心』は横に置かれてる。”見る側”の意識次第(羨望か嫉妬か)で反応が大きく変動しますから、美しい人って楽じゃないかも。
一方、中身が美しい人は今も年老いても評価は揺るがず、人が集まってます。
目指すべきは『心』の美!
愛し合うもの同士って、心も容姿も、あばたもエクボじゃないですか?欠けているものがあっても愛してもらえるのは有難い。
yoshi
2008/05/29 22:28
>yoshiさん

 >>>欠けているものがあっても愛してもらえるのは有難い>>>

 深いお言葉だと感じます。
 最近、とくに思うのは老いた両親のこと。僕が若かったときのように、何にでもダメ出しをしなくなった両親は、老いた故に苦言を垂れるエナジーを失ったのかと思いきや、どうやらそうでもなくて、メチャクチャなことをしている僕を、やっぱり心配しながら見つめてくれているのです。ただ、僕のやることを”大人がそう判断したのだから……”と尊重しようとしてくれている―――それこそ親の愛情なのだなと、感謝の気持ちが湧き上がります。親不孝だとは思いますが、親を安心させることって、「僕は幸せなんだ、これでも」と言ってあげることなのかなと、いま、どうやってそれを表現しようか、照れ屋の僕は思案している最中です。
円山
2008/05/31 07:40
本人は浅はかで直情的ですが、たまには深いことを言えるようです。

言葉による『私は幸せです』作戦。なんでもお見通しな親達は無理してるんじゃないか?辛い状の裏返し??など勘ぐって、心配を増長させたりするのですよ・・・。厄介です。
ところが、温かく見守ってくれる先輩、親身な仲間、特に父母と同じような視点で私を心配している恋人の存在を知ったとき、私の両親は誇らしげな安心した顔を見せてくれましたよ。仕事自慢を聞いたときより誇らしげ?だったので、不意をつれましたが。
自分達と同じ眼差しで我が子を見つめる人がいることで、安心したのかもしれません。それに気が付いたのはしばらくしてからでしたが。

照れ屋さんだと、素直に言葉にすることは難しいかもしれませんが、『自分には愛する人がいて、また愛される存在である』ことをご両親に知っていただけるといいですね。
yoshi
2008/06/03 00:22

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