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help リーダーに追加 RSS 【スケッチノート】 男性が妊娠!?

<<   作成日時 : 2008/04/05 10:48   >>

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 4月1日。
 オーストラリア・シドニーのラジオ局”2UE”は、ローマ法王が今年の7月にオーストラリアを訪問する際、<同性愛者のための特別ミサ>を行うことになったと伝えたらしい。

 あくまで、 エイプリル・フールのジョーク―――としてだが。

 併せて、来年の””マルディグラ(=シドニーのLGBTプライドパレード/Gay and Lesbian Mardi Gras)””に、カトリック教会がフロートを提供する予定であるなどと、これまた、ふざけて報じたとのこと。

〔参考〕
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2372762/2796133

 まったく有り得ないはずなのに、ついつい、アレ(?)っと本気にしてしまいそうになるスレスレ具合が、エイプリル・フール・ジョークの微妙な醍醐味である。
 それと、嘘つき側は、さり気なくやってしまうことがポイントだ。あとでネタばらしさえもしないで、ジッと沈黙を守るようにする。
 騙されたほうも、
『そうか、エイプリル・フールだったか、こいつはやられた』
 ニヤッと笑ってやり過ごすのが”粋”というものだろう。

 やはり、4月1日にロイターが伝えた<男性が妊娠!>―――との報道は、果たしてエイプリル・フールのネタだったのだろうか? それとも真実なのか?

 当の本人とされるトーマス・ビーティーさん(アメリカ・オレゴン州在住/34歳)は、3日に放映された””アメリカで人気の(アメリカ版”徹子の部屋”みたいな)トーク番組””に出演し、7月上旬には出産の予定であると述べたそうだ。
 番組の中で、妻のナンシーさん、そしてビーティーさんを担当している産婦人科医が、”男性妊娠の事実”を認めているという。

 伝えられるところによると―――、ビーティーさんは、もともと女性の肉体を有して誕生したが、心では男性だと100%認識している<いわゆる性同一性障がい>で、性適合手術を受けたのち、正式に男性と認められていた。
 いっぽう、彼が結婚している女性・ナンシーさんは、病気のため子宮を摘出しており、妊娠することができなかった。
 どうしても子どもが欲しかった二人は、人工授精によって子どもを得ようと決意。女性から男性になっていた夫・ビーティーさんが、妻・ナンシーさんの代理母として、残してあった自分の子宮を使って妊娠することとなった。

〔参考〕
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/85344.html

 この話が事実だとすると、申すまでもなく、何もかもが現代医学の驚異的成果によって実を結んだ/結ぶことになる。

 結果的に、男性が妊娠して子どもを出産することになるわけだが、当然のことながら、キリスト教原理主義など保守層からは猛反発を喰らうだろうし、現にアメリカでは、同性婚の是非にまで論争は飛び火、―――大いに白熱している様子だ。

 保守層の意想としては、もとより精神的性別と肉体的性別との適合を果たすこと自体に反対な上、人工授精で妊娠することにも同意しかねるものがあるだろうところへ、こともあろうに男性となった元女性が妊娠するとなれば、これはムチャクチャな倫理破壊だと叫んで、狂ったように、口から非難の唾泡を飛ばすことだろう。

 しかし、人間の新しい意識/発想は、何より<個人が抱く心>が、何をどうしたいのか、その赴くところを第一に考え、それに付随する先進科学を駆使しようと、誠に果敢な挑戦を躊躇わない。

 このニュースに接する日本人の多くが、どのような感触を得ておられるものか、僕はとても知りたい。
『うっそ〜』とか、
『ありえな〜い』だけで、面白おかしく済ませるのではなく、もう一歩、二歩と踏み込んでいただいて、<それぞれの人間>が持っている<それぞれの性的指向>の複雑さを、理解/了解して欲しいところである。
 それと、子どもを得たいと強く願う気持ちをも。

 女性の肉体を持って生を受けながら、それに違和感を感じ、自分は絶対に男性であるに違いないとの確信のもと、また苦悩の末に、女性の肉体を捨てて男性になること。
 そして、結婚した女性に代わって、体内に残した自らの子宮を用い、人工授精によって妊娠すること。
 そこまでの努力をしてまで、子どもが欲しいと願うこと。

 これらは、身の程を知らない、単なる我が儘なのだろうか?
 僕は、そう思わない。

 仮に、我慢をしなければならないとしたら、その我慢の基準は何なのか、そこへ思索の照準を合わせる必要があるだろう。

 肉体の性と心の性が一致しないことは、苦痛以外の何ものでもなかろう。
 しかし、我慢すべきかどうかの基準は、肉体の表層的外見や生物学的機能であるべきなのか?

 子どもが欲しいと願うことは、肉体的男性と肉体的女性が組み合わさったカップルだけに限定されるべきものなのか?

 人を愛する心は、肉体的異性だけにしか向けてはならないものなのか?

 ことごとく、それらの答えはノーである。
 なぜなら、僕ら人間は、心=精神として存在し、そして生き抜いているからだ。僕ら人間の思いは、肉体にではなく、心=精神に宿っているからだ。―――それを、魂と呼んでも構わない。

『まさか、あの人が……』
 どこからどう見ても善人そのものの外見を持っておろうが、まるで虫けらを殺すかのように、平気で人殺しをやらかしたような人間は、悪辣な心=精神に強く支配されていたのだ。

 肉体の表層的外見や生物学的機能、そして肉体的性別が、人間個人を決定づけるわけではない。
 人間個人を決定づけるのは、その個体に宿る心=精神のありかたなのである。

 このような考えかたに違和感を覚えるとすれば、それは旧態依然とした知覚/感覚クオリティーの低さに起因する。
 古い感覚が危惧しているのは、性別の混乱かも知れない。
 きっと、秩序が保てなくなるとの言い訳が幅をきかせる。

 女性が自分勝手に男性となるも、残った子宮で子どもを孕むなど、大自然の摂理が調和を重んじるゆえ、秩序の逸脱である―――と、古い感覚は主張するだろう。

 しかし、僕なら、こう考える。
 女性から男性へ、あるいは男性から女性へ、心が抱く性と肉体の性、その適合を図ることだけを考えても、相当なる決心/発心が無ければ、とても挑めるものではない。
 遊び半分で、できることではない。
 
 わざわざ女性から男性へ、苦労をして肉体を整えたにも関わらず、あえて子宮に子どもを宿してまで、どうしても我が子が欲しいとの決意が、生半可=イイカゲンなものだとは到底、想えない。
 そも、持って生まれた女性の肉体に強い違和感を感じるからこそ、性適合を敢行したような人物が、簡単に自分の子宮で妊娠することを受け入れられるとは思いがたい。

 そうなのか、そこまでやってまでも―――と、当事者たちの並々ならぬ強い心=精神を、僕らは察し、理解するべきではないのか。

 ただ、一点だけ、あきらめを以て納得しなくてはならないのは、このニュースにせよ、あるいはレズビアンカップル(の片方、あるいは双方)が人工授精で自ら妊娠し、そして出産する/したとのニュースにせよ、可能性の選択肢を広げることができるのは、つねに女性の肉体を得て生まれてきた人たちだけ―――との厳然たる事実だ。

画像

※チェイニー・アメリカ副大統領(右)の娘、メアリー・チェイニーさん(左)は、レズビアンであることを公言していることで有名だが、2006年、人工授精によって妊娠。2007年の5月、無事に男児を出産している。

 いずれにせよ、僕のように男性の肉体を得て生まれてきた人間には、たとえ三点倒立を丸一日間、継続しようとも、100%無理な相談である。

 一度、この世で生を終わり、次の世で女性として再誕生しない限りは。

 ゲイ(男性同性愛者)、そして肉体的男性の性同一性障がい者は、ときに孤独感や寂寥感を禁じ得ないこととなる。

 交尾が済むと、さっさと”用無し”になり、出産/育児のための腹ごしらえとして、哀れ、むしゃむしゃ―――とメスに食べられてしまったり、射精することでエネルギーを使い果たして、ちから尽きて死んでしまうオスもいる。

 しょせん、オスなど虚しい存在に想えるではないか。
 人間にしても女性が、もっぱら繁殖の主役なのである。

 あくまでも生物として、女性の肉体こそが、完成された姿/かたち/機能を有した最終設計体なのかも知れない。

 <男性が妊娠!>と聞いても、けっきょく女性の存在力を思い知ることになったニュースだった。


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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
人並み以上の覚悟と苦労のもとで子供を得た親は、当たり前のように子供を持てる親なんかよりもっと子供を大切にして幸せに育てるであろうと思います。
とコメントしようとしていたんですが、最後仰っているところを見て、これは「当たり前のように子供を持てる親」に失礼だなと思うようになりました;
私は女性が男性より優れた存在だとまでは思っておりません。ただ出産においての役割が違っているだけかと。女性の方から見れば爽快なお言葉かもしれませんけどね;
自分の子供を持つことはゲイカップルにもMTFにもできることではないでしょうか。
まさか「女性に妊娠をさせて生後1年間母乳を飲ませておいてから、適当な時期に子供だけ自分の子のように持っていくなど秩序に反する。」などと悲観的に捉えていらっしゃるのではないでしょうね;
toorisugari
2008/04/06 23:24
精子ってそんなにくだらないものなんでしょうかw私は勝手ながら想像したこともありますよ。妊娠協力者を探して私かパートナーの精子を宝くじのように混ぜて提供した後、出産の時には一緒にへその緒を切る、とか。
あえて「親+子供」と成り立つ典型的な「家庭」を望む者として、「所詮子供に必要なのは女性」などという固定観念はいつも私が十分可能だと思ってきた夢を少しずつ不可能にさせてくれております。固定観念や偏見というものは本当にどんな場合であれ夢を壊すものでしかないと改めて思わされましたです;
科学が発達して出産することに性別を超えることが可能になるまでは、今のところ出産に必要なものは男性の卵と女性の卵、どちらも同じく大事です。もちろん「作る」作業だけに限っての話なんですが。
toorisugari
2008/04/06 23:25
>toorisugariさん
 ごくごくシンプルな<真実>を語ったのですよ(^^) 男性である僕には、いずれにせよ<自分の意思で>出産することは不可能です。しかし、レズビアンの方、女性→男性型トランスジェンダーの方には、それがお出来になるのだと気付くと、ああ、なんて生来の男性とは虚しい存在なのだろう、原初・人間は女性であったのか―――などと、考えてしまうわけですよ(^o^) そりゃもちろん、男性の子種が無い限り、子は出来ないのですけどね。でも、いたずらに子種をまき散らすだけなのと、自分で子を宿そうと”決意できる”こととでは、後者のほうが遙かに主体性を感じますもの。その違いは大きいですよ。仮に、僕らゲイ・カップルが子どもを欲しても、『じゃ、オレが産むよ』とは絶対に言えないのですから。誰かに頼んで産んで貰わなくてはなりませんでしょ。男女が、それぞれの役割を持って同質に存在していることは充分に承知しておりますが、”出産し得る”という点で、やはり女性の偉大さを謙虚に感じないわけには参りません。そういうことを申したのですな。
円山
2008/04/07 06:43
「偉大」・・・「真実」・・・^^;;;誰かさんがたがよく使う言葉ですね。なんだか、誰かを称えようとするあまり何かが無意味に突き落とされる、という流れをこの空間でまで見ることになってしまうとは残念でなりません。
「男女平等でないもはや女性優越」などと呼ばれていることに少し納得してしまいそうですね。
そも「まき散らす」て本当に男をなんだと思っているのか・・・;
や、もぉいいっすよ。私が何言っても円山さんの考えが変わることなんてないでしょう。
toorisugari
2008/04/07 14:04
なにやら、すごく憤られておられる方がいらっしゃいますが・・・(^^;

自分自身の考えとしては、ゲイのカップルに限らず養子を迎えるという行為は、ペットを飼うのとは違うのですから厳密な審査があるべきだと思います。
しかし、それと同時に厳密な審査に通る人物ならば同性愛者・非同性愛者に関わらず許可すべきですね。

あと女性が偉大か偉大じゃないかという議論ですけど、冷えた表現になってしまいますけど労働対価があまりに違い過ぎますからね。
男性が子種を出して死んだと言う話は聞きませんけど、女性が出産で亡くなるというのは今でもあります。
その分だけでも敬意を払うに値すると個人的には思います。
1st
2008/04/07 19:40
>toorisugariさん

 女性を称えることは、男性を卑小化することと同義ではありません。
 僕は、男性です。
 男性を”無意味に突き落とす”とか、”女性優越”とか、そんなこと、どこにも書いておりません。
 誤解をされているようですよ(^^)
円山
2008/04/08 02:05
>1stさん
 赤ちゃん、幼児、児童など、本人の意思や判断がままならない場合はもちろん、未成年者を養子に迎えるに際しては、審査と申しますか、第三者の保証が必要になるのでしょうね。それは当然として、では、ともに成人の同性カップルが年長者を養父として養子縁組をした上で、そのどちらかが、未成年〜おさなごを別途養子に迎えることって、現行法で可能なのでしょうかね? ふと、考えてしまいました。勉強しておかないとなあ(^o^)
円山
2008/04/08 02:06
子供を入養するとなるとすぐペットを飼うこととは違うと例えられ批判する方がいらっしゃいます。子育てをペットと同じように思うはずがないでしょう。そのような家庭で実際育ってきたものとして、その違い点は十分わかっているつもりです。
子供を育てるということにあえてそのような厳しい審査が必要であるならば、その対象は子を実際産んだ人であれなかれ同等に行われるべきだと思います。産みの親だからと言って健全であるという考え方がどれほど間違っているのかは身をもって体験しておりますので。
私は家庭のカタチに挑戦するようなものです。このブログでは常に多様なセクシュアリティーやライフスタイルについて色々とりあげられてますが、それのほとんどは社会通念上考えられなかった常識への挑戦みたいなものではないでしょうか。色んな可能性の語り場と言えば良いのかな。私の思い違いかも知れませんが・・・;
toorisugari
2008/04/08 02:23
何かに敬意をしめすことを否定したりしません。ですがその敬意によって他の何かの可能性が台無しなるようならば(それが自分がやろうとしていることなら尚更)ただ黙っているわけにもいきません。
常識からははみ出している私のあり方・生き方の可能性を語っているところで、今の常識を大前提に他人からそれは〜だと判断されてしまうと、わかりやすく例えが書けませんけど、なんだか話の流れがずれているように思うんですね。感情的になっているのは事実ですがwあまり制度的に・社会全体的にばかり考えるような問題でもないとあります。
toorisugari
2008/04/08 02:26
ペットを飼うのと一緒な訳が無い!誠心誠意子供の為に尽くす!!・・・という方は子供を育てる資格があるのだと思いますよ〜。
しかしこういった話で『自分』のみを判断基準にしがちですけど、世の中にはそういった誤った思考の持ち主がいるということです。
特に幼子の養子は、極端に言えば人の命のやり取りな訳で悪用されれば恐ろしい事にもなりかねません。
とりあえず審査とか簡単にして運用してみて問題があったら手直ししてくべ、ぐらいの安易さは不幸な結果を生み出しかねない・・・と危惧するのは考え過ぎではないでしょう。

色々書き散らしましたけど(汗)、気に障るような表現があるとしたら申し訳ありませんでした><
1st
2008/04/08 03:35

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