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help リーダーに追加 RSS 【A Gay's Mumble】 なんくるないさ

<<   作成日時 : 2008/04/28 15:33   >>

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「さて、次に何をやらなくちゃいけなかったんだっけな……」と、うちに戻ってリビングの床へ腰を下ろすなり、僕が思わず呟いた独り言に、かたわらのヤツめが笑いおった。僕の♂パートナーだ。
 彼が、何を可笑しがったのかは解る。

 僕は、性格からなのだろうか、つねに、いま取り掛かるべきことは何かを執拗に考えてしまうところがある。とは言っても、後から想えば、もっと別のことに取り掛かっておいたほうが良かったと感じることも多く、どうやら考える”ツボ”を外している傾向はある。

 旬を感じさせるお笑いタレントのエド・はるみが本当は何歳なのか判らないが、ときおり彼女の放つ―――、
「あたくし、この先がもう長くないのですから」
 ―――この言葉は妙に面白い。
 遅咲きなのかどうかは関係ない。遅咲きでも芽が出て花が咲いたのなら、それを成功と言う。エド・はるみも、タレントなりに人気を維持するのはご苦労なことなのだろうが、たとえ一時になろうとて、とにかくいまはスポットライトを浴びることになったのだから、一応一定の満足には浸っても良かろう。
 何も成功していない僕は、やはり年齢からくる焦りもあってか、昨日はここまでやった、さあ今日は何をやろうと、<あたくし、この先がもう長くないのですから> の心持ちで、あれこれと思案してしまうのだ。
 ヤツは、
「オレには、とてもあなたみたいに熱心にはできないよ」と笑いながら、あんまり慌てずに落ち着いて取り組みなさいと諭してくれているのだろう。いつも、”次に何をやらなくちゃいけないか”を考えてばかりいる僕の姿が、ヤツには滑稽にも見え、可笑しく感じるらしい。

 砂川秀樹さんに、僕が書いた小説の最新作を読んでいただき、感想を頂戴してから、少しずつ新しい流れが起こってきた。最近のことだ。
 小説作家という選択が、僕の狙うべき的のド真ん中にはないことを、僕自身もまた、疾うに承知の上だった。小説を書くという行為は、物書きとして、僕の最も遠いところに位置する挑戦だと。
 まるで煽るかのように、
「フリー・ジャーナリストなんて、どうですか?」と、昨日、お茶/珈琲をご一緒させていただいた席で、砂川さんは冗談はんぶんに、そう仰った。

 だが、僕はこれまで、ジャーナリストという自覚を持って書き物をしてきた認識が、まるで無かった。
 いっぽう、数多のゲイ・ブログに注目し、僕はゲイ・ブログ・ジャーナリズムなる勝手な造語をして、ゲイ・ブロガーそれぞれが抱く感性に裏打ちされた情報発信の動向には、侮れない社会的影響力が秘められていると考えることは、これまでもあった。
 想えば、このブログはもともとゲイ・ブログではなく、政治、社会、近現代史の諸問題をテーマに、僕の意想を書き綴る態のものだった。
 ゲイ・ブログとして一本化してからも、比較的”硬派”だとのご評価を賜るなど、やはり政治的/社会的側面からゲイ/同性愛/LGBTの諸問題をテーマに書いてきたような気がする。折々に、ゲイ的小説も書いて、アップしてきたとは言え。

 要するに、ゲイ・ブロガー出身(最初は、パソコン通信のゲイ/レズビアン系フォーラムで、アクティヴな書き手を演じていたのだが……)としての位置づけはそのままに、もともと政治、社会、近現代史ネタをブログでメインに扱ってきた積み重ねを継承して、僕はこれからも<記事>を書き続ければ良いのだと、簡単に考えることにした。

 ちなみに、ジャーナリストには漠然とした定義しかない。
 ウィキペディアによれば、ジャーナリストとは―――、

〔引用〕
 ……新聞、雑誌など、あらゆるメディア(medium, media - 媒体)に記事や素材 (article) を提供する人。または職業。
〔引用おわり〕
〔引用元〕
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88

 ―――だと、ある。

 いままでの経緯を振り返ってみる限り、もしかすると、僕はその定義通りに、ジャーナリストなのかも知れない―――?

 『四十の手習い』と言って、ベテランの域に達した者が、いまいちど初心に戻って何かを始めるということなら格好も付くだろう。
 とてもベテラン・ジャーナリストとは言えそうもない僕が、46歳にもなって、にわかにジャーナリストを自称することには甚だ抵抗感がある。
 しかし、
「ジャーナリストに年齢の壁なんて、ないんじゃないのかな。なんくるないさ」と、砂川さんは笑って下さった。

 なんくるないさ―――。
 沖縄の言葉で、何とかなるさ―――。
 ”Don't worry. Be happy!”とも聞こえてくる。
 すなひでさんの優しい眼差しが印象的だった。

 書きためたゲイ的小説も、まだいくつかある。もちろん、小説作品を棄ててしまったわけではないので、いま連載中の『幽霊香盤表』を含め、今後もこのブログで公開してゆく予定だ。

 自己課題として、しっかりとしたレポート(ルポルタージュ)を仕上げるべく、検討に入りたい。考えているテーマはあるが、まだまだ貧弱だ。慌てる必要はないとヤツも励ましてくれているのだから、この際、じっくりと育ててゆきたい。

 砂川さんは、語られた。
 単にゲイ/同性愛者/LGBTだけの内部的問題に留まるのではなく、社会一般に蔓延る共通の諸問題(たとえば若者の不登校、家出、自殺など……)へ、アプローチしてゆく中で炙り出されてくるゲイ/同性愛者/LGBTの問題を取り上げる姿勢が重要ではないかと。社会一般的な繋がりを意識することが肝要ではないかと。必然、ゲイ/同性愛者/LGBT以外の当事者/関係者との連携を要するのではないかと。
 とてもとても、貴重なアドヴァイスだ。

 ゲイリブ活動は、うっかりすると、ゲイ/同性愛者/LGBTの”内輪”的問題意識のみに偏って、一方的に社会一般へ訴えかけようとする傾向を露出する。
 これでは、かえって逆効果であると、僕自身、大いに反省をしたい。
 社会一般に敵対するようなゲイリブ活動であってはならない。
 社会一般が、ゲイ/同性愛者/LGBTと問題意識を共有できるよう、包括的な戦略を持つことが大切だ。


 昨日のお茶/珈琲の席には、砂川さんのほか、砂川さんのパートナーYさん、そして我がパートナーも同席をした。
 Yさんは、きっとこれから一流のイラストレーターになられるに違いないと確信する。
 素晴らしい才能の持ち主で、会席の最中、僕らが話していたことの諸要点を、まるで議事録/速記録のように、10枚ちかいイラストで表現して下さった。決して描き直すことなく。
 会話に加わりつつ、片時もペンを置かないそのご様子に、Yさんは何よりもイラストを描くことが大好きなのだと察した。いや、大好きを超えている。天才なのである。

 僕とヤツの”似くま絵”も、斯くの如く、見事に描いて下さった。

画像

 この上ない記念品となった。
 Yさん。ありがとう。
 そして砂川さん。楽しくお話をさせていただいて、本当にありがとう。


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