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help リーダーに追加 RSS 【コラム】 ギンギラギンにさりげなく <社会の中で、ともに生きる同性愛者として>

<<   作成日時 : 2008/04/26 08:59   >>

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 ある方のお勧めがあったので、日本インターネット新聞株式会社(東京都千代田区麹町)が運営しておられる、<市民の、市民による、市民のためのメディア・JanJan>の市民記者に、登録をさせていただくことになった。

 市民記者と言っても、特別な資格や受験が必要なわけではない。
 誰でも、簡単に登録をさせていただける。

 http://www.janjan.jp/
 http://www.janjan.jp/janjan.html
 http://www.janjan.jp/journalist/journalist.html

 実は、かねてよりJanJanの存在を知っていた。
 およそ一年前のこと。2007/04/01付けの記事―――、

【ゲイ想】 新宿二丁目に都知事候補・浅野史郎は来た
http://tapten.at.webry.info/200704/article_1.html

 ―――を書いたとき、まさにその現場で出会った記者の方が、JanJanの取材だと仰っておられたのだ。
 うちに帰ってから、さっそくインターネットでJanJanを調べてみた。
 のっけから、これは面白いニュースサイトがあるものだと感じ、掲載記事への報奨制度や、場合によっては本社採用も可能らしいと知ったときには、ちょっと触手が動きかけたのだが、当時、取り掛かっていた小説書きを優先したのだろう、JanJanのほうは、そのままになってしまっていた。

 思えば、去年は選挙の年で、浅野史郎氏がアンチ同性愛の石原現職都知事を破るのか、ゲイ、トランスジェンダーの候補者たちが複数、地方選挙に立候補したが、その当落はどうか、そして、参院選に打って出た尾辻前大阪府議の挑戦は如何なることになろうか―――と、ことLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の絡みで、とりわけニュースになる材料が多かった。
 あのようなことは、滅多にあるものではなかった。
 もし、去年のうちからJanJan市民記者活動に力を置いておけば、かなりの記事が投稿できたのではないか、―――必然、LGBTに関する諸問題を、多岐に亘ってアピールすることもできたのではないか、などと、いまになってみると、少々もったいないことをしたような心持ちになる。

 今回、JanJanの市民記者登録をさせていただいてから、何本かの原稿を送らせて貰ったのだが、初めて掲載をしていただいたのが、次の記事である。
 手前味噌で申し訳ないが、一応、ご紹介をさせていただく。

「平和の祭典」オリンピックにナショナリズムは要らない もうたくさん
http://www.news.janjan.jp/culture/0804/0804245610/1.php

画像

 ※画像は、記事内容とは全く関係がありません。

 自分のブログに、自分で書いた記事をアップすることは簡単だ。
 いっぽう、編集部の方たちに予めチェックをしていただき、これならどうにか―――と、インターネット新聞に掲載していただくことを簡単だとは思えない。むしろ難しさを覚えるし、それ相当の意義がある。
 大事なのは、どのように書けば掲載して貰えるか―――ではない。
 私論の一方的な展開を避け、著しい偏向を抑えながら、それでも一般の読者に何かの思いを伝え、そしてそれぞれに考えていただく、―――そうした制御の利いた文章を、タイムリーなテーマに即して主体的に書く努力を怠らなければ、きっと編集部の方たちのほうから掲載したくなるような記事が書けるのではないか? かなり生意気だが、そのような感想が湧いた。

 今後も、さらに社会の諸問題へ向けてアンテナを張り、もっと勉強をして、しっかりした記事を書いてゆきたい。
 JanJanで、そしてこのブログで。

 JanJanのほうにも、これまでこのブログで取り組んできたように、ゲイ/同性愛(者)/LGBTに関する記事を寄せたいと考えているが、ジャーナリズムの立場をわきまえなくてはならないことは明らかで、それには一定の留意が求められるに違いない。

 このブログでは、僕自身がゲイであることを強調する構えで記事を書いても、それはこのブログの傾向として認知され、『ああ、そうですか』と許されるだろう。
 しかし、一人の記者として報道に携わる場合、いたずらに僕自身がゲイであることを核に置いた記事を書いても、果たして、それが社会一般に認められるスタイルなのか、冷静に考えなくてはならない。

 ゲイなのだから、はっきりゲイと名乗り、ゲイ的な視線/視点を大切にして、堂々と書けば良い―――と、僕には信念がある。
 だが、その信念は信念として持ちながらも、社会一般を相手に、ジャーナリスティックに意想を表してゆくとき、記事の中でゲイであることを繰り返し強調するのは、必ずしも得策ではないような感触を得る。

 それでは歯痒い感じもする。
 ところが、頭を冷やして、社会一般をその鎮まった念頭に置くとき、どうしても見えてくるものがあるのだ。

画像

 つい先日、このブログのある記事にコメントを寄せて下さった方々の一言が、かなり重要なポイントを突いている。

〔引用〕
 以前、友人や後輩に「わたしが人生のパートナーに同性を選んだら、君はどう思う?」と聞いたことがあります。まず、発言の意味が分からず固まり、次に意味を理解して、真偽をしつこく確認し、冗談だといったら、安堵。やはり、安堵されるんですね。一人だけ「いいんじゃないですか。自分も同性の方が理解しやすくて、気楽だと思うことありますもん」と答えた人がいました。そのとき思ったんですけど、男が「自分は男がすきなんだ」と告白すると、男なら誰でもいいと思っている野獣のように見られ、「○○さん(同性)が好きだ」とか「好きな人が同性だ」と告白すると恋する一人の人間に見られるって気がします。
〔引用終わり〕

http://tapten.at.webry.info/200804/article_9.html

〔引用〕
 実を言うと私、先日友人に告白しました。敢えてカミングアウトとは言いません。ハッキリ好きだって言っただけですから・・・ そしたら、「私もきりたんぽちゃんは大好きだけど、男の人の方が好き」で、砕けたと言うか・・・ でも、言わないでいたら、もっと辛かったとは思うし・・・ で? で、まぁ、その告白の時は無かった状態として、普通の会社の同僚&友人としての関係を保ってます。 少なくとも、不潔だの、変態だのと言う人ではなくて良かったです。 自信は無いですが、世の中そー生き難い場所では無いかもと、思いましたよ。
〔引用終わり〕

http://tapten.at.webry.info/200804/article_13.html

 ゲイリブに嵌ってしまうと、つい被差別意識が強くなり、自分が同性愛者であること、その誇り、同性愛者としての自己、などをことさら強調してしまう。
 もちろん、同性愛者であることを卑下する必要もなければ、いつまでもこそこそと隠し通していなければならないわけでもない。決して悪いことをしているのではなく、性的指向は生まれながらに備わっているもので、言わば血液型の違いと同類だ。同性愛者であることに誇りを持つのが、いけないと言っているわけでは毛頭ない。

 いっぽう、あくまで実情として、同性愛者であることを前面に立てて物事を振る舞うと、直ちに社会一般から警戒/敬遠され、一瞬にして『これは、特殊ケースなのだ』と、相手側から勝手に境界線を巡らされてしまう現象がある。
 それで良いとは到底おもえないものの、現実の反応は現実の反応として、シヴィアに受け入れておく必要がある。

 いずれにせよ、同性愛者は社会一般の一員として、同性愛者ではない大多数の人たちと<ともに生きて>ゆかなくてはならない。同性愛者だけの独立国家を創ろうとしても、それは無理である上に、意味がない。社会の分割を目指しているのではなく、同性愛者であることも社会構成者たる人間の一つの顔だ―――として、当たり前に受け入れて欲しいと訴えているだけである。

 闇雲に、『僕は同性愛者だ。男なのに男が好きなんだ』と息巻けば、周りの男性は要らぬ警戒心を抱くかも知れない。むろん、そのような警戒心など、全くバカバカしい話なのだが。
 しかし、『僕が愛するパートナーは、男なんだよ』、『僕は、○○みたいな男を恋人にしたいんだ』などと、表現に個別性を持たせることだけで、同性愛者のイメージががらりと変わるのは確かだろう。

 まだまだ、同性愛者への視線は冷たい。世の中、同性愛どころの騒ぎではないと、社会性の優先順位は相変わらず、後回しになったままだ。
 それを甘受すべきだとは微塵も思わないが、過渡期で未完成な世の中なりに、相応しい方法論があるのかなと、ここ一番は、賢くなるべきだろうとは感じる。

 僕が、日本らしいゲイリベレイションのありかたを模索し続けて、いったい何年になるだろうか。
 ここは心機一転。
 いま一度、原点に回帰し、ゲイ/同性愛(者)/LGBTが社会一般との<共生>を可能にするためには、どうしたら良いのか、ひとまわり大きな縮尺で展望をしてゆきたい。

 この機会に、そのようなことを考えている。


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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
こういう感じで取り上げられると、恥ずかしい個人体験をコメしてしまったことに後悔を感じつつ・・・

円山さんも書かれてましたけど、全ての同性を性の対象として眺めてる汚らしい生物じゃ無いですからね。妙な扱いを受ける方がオカシイ。性志向の差異だけなのに、性衝動の話とごっちゃになるから、変な方向にそれるのかと。

皆が避ける性の話をワザワザ取り上げるから、余計性衝動の強さを感じさせてしまうのかもしれないし、それに社会に向けてのメッセージみたいな重苦しさを乗せるから、なおのことウザイ感じがでるのかと、、、

ウザイなんて失礼な表現で申し訳ないですが、人に受け入れてもらえるかどうかでは、非常に重要なポイントなので・・・

「社会一般との<共生>」には少し抵抗を感じます。社会一般って何なんでしょう?正体の無い無生物主語にしか聞こえません。

望む望まざるに関わらず、社会に属して暮らしてます。その中で、誰が私を拒絶し、誰が受け入れてくれるかの方が問題かと。

拒絶する人々をどう対処するかの方が、適切な気がしますがいかがでしょうか?たぶん、ソッチこそ重要な課題かと思いますが、、、
名古屋のきりたんぽ
2008/04/29 09:46
以前にも書かせていただきましたが、そもそも私は異性愛者なのですが、「同性愛も、異性愛と変わらず、『人が人を好きになる』という自然なことだ」と思えるようになったのがほんの半年ほど前の話です。
円山さんのコメントであったと思うのですが、「知らないことによって恐怖や偏見があるなら、知ってもらう必要がある」。それにはメディア戦略・クチコミが一番!てなわけで、最近の私の活動は、男女問わず、BL漫画(エロが少ないやつ、異性恋愛でもエロが過ぎると気持ち悪い・・・)を読ませて、『偏見のない』感想を言わせることです。同性のこととなると、異性とは違って、本質的な『好き』の話なることが多く、その人の別の一面が見れたりして、非常に面白い。仕事でもそうですが、どんな意見にも、『ぴたっと同意』はありえない。同じ方向でも、温度差があったり、アプローチ方法が違ったりするんで、同意をより多く得るにはたくさん言葉が必要。だからこそ、『百聞は一見に如かず』、ドラマや漫画を見てもらいましょう。
yoshi
2008/04/30 20:02
ちなみに、異性間恋愛が万々歳ってことはないですよね。報われない恋(兄妹とか不倫とか)、拒絶されるタイプの人(オタク?)、自分に自信がなくて恋をする勇気がない人・・・。でもそんな恋こそ、ドラマになるんですね。
さて、木10ドラマ「ラストフレンズ」でレズビアンの話がメインに出ています。ご存知ですか?要チェックです。
新感覚のドラマとして、これまでに不倫、オタクといった当時としては日陰の人物にスポットを当てられてきましたが、同性愛はスパイス程度(オカマとか)でした。しかし、最近の同性愛の使われ方は、『恋する気持ち』に共感できる演出が多い!と思うのです。そもそも違いは恋愛間の差だけなので、こんな風に恋する人間に『共感する』ことが『共生する』ことではないかなと、私は思います。”強要せず”に、じわじわ共感の輪を広げる。不倫、オタク、韓国ドラマブーム然りです。あっという間に世の中に溶け込んでますよね。不倫を文化とは思いたくないですが・・・。難しいかもしれませんけど、『差別はやめろ!』と叫ぶ前に、差を感じさせないようになっていてほしいです。
yoshi
2008/04/30 20:27
上述したコメントに誤りがありました。『ラストフレンズ』に出てくるのはレズビアンじゃなくて、性同一性障害の女性でした。失礼しました。
yoshi
2008/04/30 20:54
>名古屋のきりたんぽさん

 社会一般なんて、確かに定義できませんよね。だからこそ、社会一般なのですが、要するに対比的に考えていただいて、LGBTという括りを離れた世界、諸々の問題を抱えた<私たちの住む世の中>という広い概念―――みたいなものとお考え下さい。もちろん、そこにはLGBTも含まれています。
 記事の文脈から読み取っていただければ、ここで言わんとしている社会一般の語義は如何なるニュアンスか、解っていただけると想います。
円山
2008/05/01 17:06
>yoshiさん

 同性愛者への差別をやめろと叫ぶのは簡単ですが、そうした敵対的とも言える解放運動だけでは、同性愛への理解どころか、反発を招くだけだろうとの認識を持つ必要がある―――と肝に銘じております。仰るように、まず”差を感じさせない”策と申しましょうか、同性愛者の恋の切なさを、異性愛者が共感できるかたちで表現できているドラマや映画、コミックや小説など、もっともっとたくさん良い作品が生まれ、セクシュアリティーを超えて、多くの人たちの目にとまるようになると良いですね。
円山
2008/05/01 17:07

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