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祭りと言っても、いろいろなものがある。 だから、一概に括れる話ではないが、日本古来の祭りは、何となく、微妙なニュアンスで、セクシュアルな香りを放っている印象を持つ。 ・ 八百万(やおよろず)の神々をいただき、森羅万象、一切のものに、ことごとく神が宿る―――との精霊崇拝/霊魂信仰に根ざす神道が、日本人の潜在的な精神的世界観を築き上げてきた。 人間が””作り出した””偏狭な教義/戒律におもねることなく、宗教の原始的形態を色濃く留め、自然のちから/尊さを謙虚に讃え、人間もまた大自然の一部として、あるがままにあろうとするのが、神道のようなアニミズム=自然崇拝の純真さであり、寛容さだ。 人間の<性の欲求>もまた、大自然の尊いちから/作用の体現であると、神聖視されていた感がある。性の営みは元来、決して汚れた行いではなく、まさしく聖なる交合なり―――と、極めて大らかに捉えられていたのである。 神道の継承は、朝廷から宮中そして貴族社会が専らリードしてきた。 セックスに纏わる容認主義的な発想は、ヴァージンたる乙女は先ず、神々にその純潔を捧げる誉れに浴してから、男と性交する―――との習慣に根ざしていたと言われる。 ””歌垣(かがい)””と称される<歌合わせ>が、貴族の若い男女たちの、言ってみれば””合コン””のようなもので、そのイヴェントで見初めあった男女は、先ず女性のほうが神々と交わる儀式に臨んでから、次に人間同士の性交に及んだのだそうだ。 この””歌垣””という風習は毎年、旧暦の7月15日に催され、宮中行事から、やがて一般庶民のあいだへも浸透するようになった。 奥ゆかしい<歌合わせ>だったものが、庶民にあっては、いつしか若い男女が激しく踊り/歌い合う祭事に変化した。 これが、盆踊りの起源であると言われる。 例えば、毎年8月上旬に開催される<青森ねぶた祭り>もまた、お盆を彩る風物詩だが、 「ラッセーラッセーラッセーラー!」の不思議な掛け声とともに、激しく跳ね上がり廻る若き男女の””ハネト(跳ね人)””たちには、もともと、あえてその性別を曖昧にする習わしがあったらしい。 若い男たちも、若い女たちと同じような女装をすることで、わざわざ男女の性差をぼやかそうとしている狙いがあった/あるようである。 むかしの庶民による祭りは、それぞれ身分の上下を越えて楽しもうという、無礼講の意味合いを含んでいたのと、何より重要なのは、祭事への参加行為=激しく踊ることなどによって先ず神々と交わり(親睦を深め)、そして祭りの後は、まさしく晴れて若い男女(あるいは、おそらく同性同士も)が堂々とセックスに興じても良い―――との特別な意味が込められていたのである。 つまり、盆踊りの””祭り””が元来、明らかにセクシュアルな<目的>を有していたことを、この際、再認識しておきたいのだ。 要は、祭りそのものが、封建時代の身分社会、そして厳格な倫理意識の中にあって、自由で解放された性を発散/謳歌するべき、人間として当然な欲求の反映であったということだ。 日本の祭り、その<原初の動機>が、それなのである。 今年の夏も、また東京プライドパレード〔略称:TPP7th〕が開催される。 とき : 2008年8月9日(土) 集合・発着場所 : 渋谷・代々木公園イベント広場 すでに、TPP7th・実行委員会によって、今年の<パレードテーマ>が決定されている。 【テーマ】 祭 〜伝えたい! 多様性こそ私たちの力〜 実行委員会のかたがたが、日本古来の祭りに、<自由で解放された性を発散/謳歌するべき、人間として当然な欲求の反映>との意義があったことを認識されていたかどうかは知らない。 おそらく、ごくシンプルに、東京プライドパレード〔TPP7th〕を、僕らLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の一大祭典として華やか/晴れやかなイヴェントにしようとの意気込みから、<祭>をメインテーマに定めされたのだと想像する。 第7回を迎える今年の東京プライドパレードは、「祭」というシンプルな言葉をテーマに選びました。日常とは違う「ハレの場」をつくり、そこに「人」が寄り合うことで成り立つのが「祭」です。セクシュアリティの違いを超え、たくさんの人々が気軽に「パレード」というハレの場に集まり、共に歩き、自分たちの存在を自由にアピールしてほしい。 僕は、祭りが好きだ。 いまは年齢的にチュウネンの域に達するようになり(精神的には、まだまだ子どものようだが)、さすがに体力の減退を感じるから無理は出来ないが、若いころは、実家地元の祭りとなれば、調子に乗って喜んではっぴ姿になり、先頭を切って御輿を担いだ。 「ウリャ ウリャ」 「セイヤ ソラ」 と、声を上げ、盛り立てていたほうだ。 自称・江戸っ子の血が騒ぎ、祭りと聞くと、おとなしくはしていられない。 僕にとって、いまこそ祭りと言えば、やはりそれはLGBTの夏の祭典―――東京プライドパレードに他ならない。 そこに、御輿こそ無いかも知れない。 祭り上げる御神体も、もちろん存在しないだろう。 だが、TPP7th公式・仮サイトの記事にあったように、僕らLGBTが日常の隠伏生活から、いっときと言えども仮面を脱ぎ捨てて<ハレの場>に立ち出で、そこで、それぞれがそれぞれの方法で、本当の自分をアピールして、人間として精真に生きている証を示すことは、神々にすがって救いを求めることよりも遙かに、僕らLGBTの魂を強くし、またLGBTではない人々へ―――社会へ、僕らの思いと理想を伝える最高のチャンスとロケーションになる。 きっと、そうに違いない。 パレードに加わって一緒に歩くことができる人たちは、毎年そうしている仲間も、まだパレードを歩いた経験のない仲間も、思い切り良く、隊列の中へと混じってしまおう。 どうしても、パレードの中に入ることが躊躇われてしまう人たちは、どうか渋谷の街の沿道からでも、大きな声援を送って、ともにアピールの輪に身を投じて欲しい。 パレードの中にあっても外にあっても、カミングアウトができようとも、できなくても、東京プライドパレードに集う人たちはみな、LGBTもヘテロセクシュアルも、セクシュアリティーなど関係なく、真実の自由とは何かを知っている人たちだ。 画一化と従順支配を目論む、硬直した旧来の社会規範など葬り去ることで、 個々の違いを認め合う――― お互いの多様な個性にあらためて敬意を払う――― 世の中を隔てている、目には見えない壁に少しずつ風穴を開け、LGBTとヘテロセクシュアルとが、何のわだかまりもなく<遭遇と対話>ができる、そんな当たり前の環境を作ってしまおう。 東京プライドパレードを定着させ、LGBTの<誰も>が、そして理解のある高い意識を持ったヘテロセクシュアルの人たちもまた、ともに手を携えて行進できるような、そんな空気を漲らせてしまおう。 それこそが、僕らの祭りの<目的>であり、<原初の動機>なのである。 僕らの祭り、僕らの行進は、いついつまでも終わらない。 クリックプリーズ
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