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help リーダーに追加 RSS 【コラム】 処刑が待つ強制送還を何故やろうとするのだ?<イラン問題>

<<   作成日時 : 2008/03/10 20:16   >>

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 2000年4月、日本でカミングアウトを果たしていたイラン人のゲイ=シェイダさん(仮名)が入国管理法違反容疑で逮捕され、イラン本国へ強制送還されそうになりました。
 彼は即座に難民認定を請求。日本人の支援者も得て、闘い続けていました。
 法務省は難民認定請求を却下。さらに、異議申し立ても棄却。東京地裁は在留特別許可請求を棄却。東京高裁での控訴審も敗訴。そして、最高裁へ抗告―――。
 2005年3月、シェイダさんが第三国への出国を叶えるまで、約五年間の歳月を要したことになります。長い道のりだったことでしょう。日本国内の支援者、そして海外人権活動組織の多大な尽力もあってこそと想われ、頭が下がります。
 しかし、日本の政府や裁判所は、最後までシェイダさんを守ろうとはしなかったことが見て取れます。

 役人や裁判官という方たちは、失礼ながら、およそ冷徹な前例主義者で、きっと同性愛にも同性愛者にも関心は薄く、
「たしかにイランには同性愛を禁じる刑法があるが、実態的には適用されておらず、むしろ同性愛は黙認されていて、帰国させても迫害される恐れはない……」などと、無情な判断をしていたのでしょう。
 しかし、人権活動組織などの調査により、イランでは、同性愛者の処刑が続けられていた/続けられていることは事実である―――との認識が拡がっています。
 僕も、そうだろうと想っています。

〔参考〕
イラン・イスラーム共和国と姦通・同性愛に関する死刑の執行
http://www.kt.rim.or.jp/~pinktri/shayda/adultery_sodomy.html

 イランでは、1979年にホメイニ師を指導者とするイスラム教主義革命が起こり、皇帝は亡命。シーア派による、強力な宗教国家体制が生まれました。
 厳格なイスラム法(シャリーア)がイランを支配するようになり、同性愛は、イスラム法が伝統的に定める通り、死刑を含めた重罰に処せられるようになってしまいました。
 預言者ムハンマドや、その後継者だったアリー(第4代カリフ)が、同性愛者をもっぱら迫害し、処刑していたとする言い伝えに基づき、イスラム法は厳しく同性愛を禁止しているのです。

 ホメイニ革命は、イランの同性愛者たちを底知れぬ不幸へと陥れました。

 イランでは、イスラム原理主義による独裁政治が行われていると言えます。イラン人、イスラム教徒たちの全てが、同性愛に不寛容であるとは思えません。
 問題にするべきなのは、イスラム教やイスラム教徒たちではなく、イスラム原理主義による支配と圧制なのです。

 2007年。イラン人のレズビアン=ペガー・エマンバクシュさんが、祖国から逃れて生活していたイギリスから、強制送還されそうになりました。
 世界中から寄せられた反対の声に圧され、イギリス政府が一旦は強制送還を延期したものの、やはり難民申請が認められない状況は、いまだ続いているようです。

 そして、もう一人、イラン人のゲイ=メディ・カゼミさんもまた、イギリス政府への難民申請が認められないまま、いまはさらに、オランダへと逃れているようですが、そこでも収容中の身。
 オランダの裁判所は、彼をイギリスへ移送するかどうか、まもなく判断を下すとのことで、もしイギリスへ戻されると、難民申請が認められない限り、イランへ強制送還される恐れがあるのです。

〔参考〕
イギリス イラン人レズビアン強制送還の恐れ、ゲイ男性も
http://gayjapannews.com/news2008/news39.htm

 正直、日本でならともかく、あのイギリスで、あのオランダで、こうした事態となっていることを、僕は意外に感じます。

 同性愛者の難民申請とは、それほどまでに困難なことなのでしょうか?

 もしも、ペガー・エマンバクシュさん、メディ・カゼミさん、と伝えられている名前が仮名であり、また報じられている顔画像が架空のものであるのなら、たとえイランへ強制送還されても、同性愛者であることを黙して語らず、隠し通し、ヘテロの振りをして生きていれば、イラン・イスラム共和国刑法に触れ、逮捕〜処刑されることは無いのかも知れません。
 しかし、本名や顔画像がすでに公表されてしまっているのなら、イラン当局によって逮捕される危険性は高いと想われます。

 ただし、物事の道理として、
<イランのような、””同性愛者にとって、超・危険な国””へ追い返したとしても、同性愛者であることを隠し通せるのだったら、迫害を受けることが無いのでは……>
 ―――という考え方は、果たして如何なものでしょうか?

<同性愛者など、しょせん隠れておりさえすれば、無難に生活できるじゃないか。
 ちょっとの我慢で迫害を受けないのなら、難民とは言えないな。
 国へ帰っておしまい。
 面倒は見られないよ>
 ―――これは、ヘテロの他人事な論理であって、当事者の気持ちを全く無視したものです。

 つまり、
<同性愛者など、隠れてコソコソと生きればいいのだ。
 カミングアウトなどと言って、臆面もなく、しゃしゃり出てくるから話がおかしくなるのさ>
 ―――そう、莫迦にされていることに、なりませんでしょうか?

 まさか、あのイギリスで、あのオランダで、そうした発想が幅を利かせているのだとしたら、さすがに裏切られたような気分になります。
 対同性愛・理解先進国と思われてきた国でさえ、まだまだ、潜在的な同性愛者軽視/蔑視が続いている―――と、そのように認識するべきなのでしょうか?

 『難民の地位に関する条約(難民条約)』で、難民とは、

 人種
 宗教
 国籍 
 特定の社会的集団の構成員であること
 政治的意見

 これらを理由に迫害を受ける恐れがあるという、充分に理由のある恐怖を有するために―――

 国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない人/国籍国の保護を受けることを望まない人

 国籍国に帰ることができない人/国籍国に帰ることを望まない人

 ―――このように定義されています。

〔参考〕
難民の地位に関する条約
http://homepage3.nifty.com/musubime/document/lawdoc/nanmin.htm

 本来なら、難民の定義に、はっきりと<性的指向>の一語を加えるべきだと思うのと、さもなくば、同性愛者は<特定の社会的集団の構成員である>との判断から、イランの実情を、<同性愛者が迫害を受ける恐れがあるという、充分に理由のある恐怖を有する>状況であると、率直に認めるべきだと、僕は考えます。

 同性愛者であることを、終生、隠し通さなければ、生命の危険にさらされるような国へは、仮に、その同性愛者が不法滞在などの罪に問われておろうと、強制送還の処分を下すべきではありません。

 イランは、国を支配するイスラム原理主義思想によって、同性愛難民を発生させている―――と、国際連合による決議を求めるべきです。

画像

 僕は、宗教が役割を担っていた時代は、もうすでに終わっていると思います。

 いまや、ハイビジョンのクリアで臨場感のある映像を通し、月面から昇る””地球の出””を誰でも見られるような時代です。スペースシャトルから眺める地球の壮大にして美しい景色は、珍しいものとも思われなくなりました。
 まるで、みんなでベテラン宇宙飛行士にでも、なったようなものです。

 こうした体験から、それぞれの庶民が、ごく日常の生活にあって、それぞれの形や遣り方で宇宙の広大無辺なることを覚り、まさに””神を知る””チャンスが与えられているのだと、僕は思います。

 お釈迦さまや、イエスさま、あるいは預言者ムハンマドのような人たちが、いまの地球上には、ゴロゴロしているのかも知れません。

 お釈迦さまや、イエスさま、あるいは預言者ムハンマドを、礎を築いた優れし先人として、人々が尊敬しようとする気持ちは理解できます。僕は、お釈迦さま、イエスさまが好きです。人間として、好きです。そして、伝統として、宗教が伝えてきた思想や文化の重みや幅広さを感じます。

 しかし、いま、かつて宗教でしかできなかったことは、もう、ないのだと思います。
 言い換えると、かつての宗教に相当するものは、いま、それぞれの人間存在の中に、それぞれの形や遣り方で備わっている/備わってゆくのだと考えます。

 預言者ムハンマドが、同性愛者を迫害/処刑していたと伝えられていることは、とても残念ですし、だからこそ、彼はただの人間だったと知るべきです。

 僕は、預言者ムハンマドを尊敬することはできません。

 しかし、だからと言って、預言者ムハンマドを信奉する人たちを迫害しようとは思いません。
 イスラム文化にも、素晴らしい要素がたくさんあると、僕は興味を持っています。イスラム教徒たちとも、友だちになりたいと、つねづね願っています。

 僕ら、地球人―――の時代。
 宗教の役割は終わり、そしてその権威は期限が切れているのです。

 多様性を認め合い、すべての人類が共存するべき時代。
 地球人は、この新しい時代に見合った新しい価値観を創出し、そして共有しなくてはならないと、僕は思っているのです。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
聖書やコーランに書かれてる事が、果たして預言者の意思を反映してるんだろうかって思います。実は全然違ったりするんじゃないかって。僕は宗教に興味ないんですが、聖書の基になってる福音書は書いた人の主観的な考えで書かれてますけど、それを何億っていう人間が絶対視してる。僕はキリストがあの当時ユダヤで未婚の男性は死刑だったのに独身を貫いてたことで(実はマグダラマリアと結婚してたっていう話もあるけど)、慣習に囚われないで自分がほんとにしたい事、しなければいけない事に人生を捧げたんだと思うし、それってゲイである今の自分にも通じるものがあるって思うんです。信仰の自由だから、キリストをどういう観点から尊敬しようが、それを必要としてる人は全て平等に扱われるべきです。ユダが裏切ったからユダヤ人=悪い人間とか、女は聖職者になれない=女性蔑視とか、完全に間違ってます。キリストの死後、キリスト教の一部の指導者のエゴと偏見でどれだけの罪無き人たちが殺されていったか…。宗教は今の時代でも大切なものに変わりないと思いますが、自分がなぜそれを必要とするのかを考えないとダメだと思います。
mcglow
2008/03/10 23:43
>mcglowさん
 >>>(イエスは)慣習に囚われないで自分がほんとにしたい事、しなければいけない事に人生を捧げたんだと思うし、それってゲイである今の自分にも通じるものがある>>>
 全く同感ですねえ(^^) 僕もそのように見て、イエスには好感を持っています。彼は根っからの自由人、そして卓越した人間主義者だったのだと想います。宗教など、疾うに原初の姿を離れ、権威の塊みたいになってしまいましたね。イエスも草葉の陰で泣いておられるかも。人々の心を救うべき宗教が人々に苦悩を与え、また人殺しを奨励しています。そんなの絶対にオカシイですものね。
円山
2008/03/11 23:41

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