低能流[ゲイ]文章計画

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help リーダーに追加 RSS 【A Gay's Mumble】 ゲイ/レズビアンである子どもたち

<<   作成日時 : 2008/02/03 14:10   >>

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 『カミングアウト・レターズ』―――その編者の一人であるRYOJIさんは、最初にこの本を作ろうと思った動機を、概ね次のように話された。

○教室の中の子どもたちを見渡しても、そこにLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の子どもが存在していることは判らない。本当は、どの教室にも必ずLGBTの子どもたちが隠れているのに。
○子どもたちは、自分の性的指向に気付き、そして苦しんでいる。誰にも話すことができないでいる。自分は異常な人間なのかも知れない。頭がおかしいのかも知れない。どうして、同じ性の人間を好きになってしまうのだろう。どうして、自分の性に違和感を感じてしまうのだろう。そうした、どうしようもない疑問と葛藤しながら。子どもながらに。
○学校の先生がたは、教室の中のLGBTの子どもたちが、どれだけ苦しんでいるのか考えたことがない。もちろん、家族もだ。
○苦悶するLGBTの子どもたちを、どうにか救ってあげることはできないだろうか。
○そこで、最初は、カミングアウトした10代のLGBTが先生と手紙のやりとりをすることで、若いLGBTの苦悩を描き出し、また先生がたが彼/彼女らをどう理解し、受容していったか、―――そういった生の姿を本にまとめられないだろうかと考えた。


 【挿入小説】 <こんなことがあったの>

 沙也香が、後で話してたけど、夜のニュースに出ちゃうよりも前に、電話連絡網で廻ってきたんだって。でも、あたしはお母さんが電話で話してるときに、ちょうど自分の部屋でテレビ見てたのね。それで知ったの。だから、ホントにびっくりしちゃって。
「大変よ〜っ、お母さん!」
「春菜ちゃん! 大変!」
 あたしが急いで居間へ降りていったら、お母さんが、ヤバそうな顔になってて、尾山君が死んじゃった……ってことと、明日の朝は、臨時の全校朝礼があるから…って言ったの。
 翌朝――――。
 ――――校門の外に、ずら〜っと、テレビの取材の人たちとか来てた。カメラマンとかマイク持った人。
 インタビューには何も答えないように……って、それも連絡網で言われてたのね。何だか変な空気だった。みんな、下向いて登校。教室に入ったら、すぐ体育館に全員集合だって言われたから、行ったわ。
「このたび、誠に痛ましい事故が起きてしまいました。しかし、こんどの出来事で、皆さんが動揺しないことを、私は心から希望しています。とくに、三年生の皆さんは、ちょうど、大事な大事な受験のシーズンを迎えています。とにかく、いまは、受験にしっかり集中して、この時期を無事に乗り越えることができるよう、そのことだけを考えるようにして下さい」
 あんまり先生の話とか聞いてなかったと思う。もちろん、最初ショックはショックだったけど〜……みたいな感じ、してたわよ。でも、あたし、朝礼のときには、内心”やっぱしな”って思ってた。みんなも、きっとそうだったんじゃない?―――
『なんかー、校長先生って、やけに慌てちゃってるわよね〜』
『あたしたちが高校に受からないことのほうが、尾山君が自殺したことより、出世とかに響くと思ってるんじゃないのかしら?』
『だってさ、ニュースで喋ってたけど、あの校長、イジメは全然なかったとか、大嘘吐いてんじゃん』
『絶対インチキだよね、大人ってさ……』
 ―――とか、そんなことばっかり喋くってたから。

 先日、別の記事に書いたことだが、僕が中学生のとき、つまらないことから僕がゲイであることが明るみに出てしまったことがあった。
 その折り、同じ学年の数人の男子から、密かにカミングアウトを受けていた。
 さり気なく、
「お前もオレと同じなのかよ……」みたいな言いかたで。
 中には、ちょっと(いや、かなり)タイプ系の男子もいたのに、いまの僕には想像もつかないと言われてしまうかも知れないが(そんなこともないが)、当時の僕は大層”おくて”で、せっかく彼らからカミングアウトを受けたというのに、そこから一歩二歩、踏み込むことができなかった。もったいないことをしたものだ。
 僕らの学年には男子が50人ほどいた。
 カミングアウトをしてきた男子は、数人だったから、僕を入れると、全部でゲイが5人ぐらいはいたのではないかと推定することができる。
 50人のうち5人がゲイなら、まさに一割である。
 それが多いのかどうかは判らない。
 学年に3クラスあったから、各クラスに1〜2人の勘定だ。
 ゲイだけを想定しているのだから、レズビアンを加えると、同性愛の生徒という括りでは、各クラス3〜4人になったかも知れない。

『お言葉を返すようですが、学校長。生徒たちは事情を熟知していると思われますので、いつまでもイジメ否定では、通らないのではないかと』
『だがね、竹部教頭。ある種の人権問題を看過していたとなるとねえ。ことはデリケートなのだよ……世間的にね。私たちの立場としてはだね、”いくらなんでもそこまではさすがに察知できなかった”……で、一貫しておかないと』
『そうですわよ。心配することはございませんことよ、教頭先生。あくまで、生徒たちのプライヴェートな領域だったからと、説明してしまえば、問題なし……で、ございましょ』

 僕らの中学時代は、一般論的な性教育も、全くと言って良いほど行われることがなかった。
 たしか、一度ほど、子どもが如何にして誕生するか、受精から妊娠・出産に至るプロセスを説明する16ミリ映画を観せられたような覚えがある。その程度だった。
 申すまでもなく、同性愛についての教育など皆無であった。
 先生が、同性愛について触れることもなかった。

 あたしたちだけ、二年生全員は、そのまま体育館に残されたの。
 悪かった中心は、一部の男子グループだってことは、み〜んなが知ってたわ。池畑君なんて、市街のほうまでバイク無免許乗りしちゃって、地元のヤンキーたちとかと遊んでて、とっても恐いリーダーだったらしいの。人の弱みを握って、脅かして、お金も巻き上げていたわ。

『やばくね、なあ。俺たちが尾山を……イジッて遊んでたこと、誰かチクるぜ、このままじゃ』
『バ〜カ! ビビってんじゃねえんだよ。みんながバラす訳けねえじゃん』
『ウチらに逆らえるなんて、誰も思ってねえからよ、どうせ』
『え? そんなの分かんねえぜ、池畑。だってさ、B組のトミヤンとか……。あいつ、熱血マンで正義の味方だぜ。ヒーロー物に憧れてんじゃなかったっけ?』
『笑わせんなよ、バカ! だいじょぶだいじょぶ、絶対俺自信あっから。富田なんか、あんなカッコ付けの優等生なんかに、何も言えっこねえって』

 僕の記憶では、たった一度だけ、クラスのEくんとOくんとが、”ホモだち”の関係にある―――などという根も葉もない”ふざけた噂”が流れたことがあったとき、担任の教師が、
「それが本当なら、相談に乗るぞ」と、にやけて発言したことがあった。
 もちろん、教師のほうも、本気には受け取っていなかったに違いない。それは、表情から判った。
 あの教師が、どのようにして相談に乗る用意があったのかは知らないが、しょせん、いまから30年以上も前のことだ。あの時代の教育者が、確立した同性愛教育のノウハウを持っていたとは想えない。

 イジメられるのは、誰だってイヤよね。だから、要領良くやらないとダメだったのよ。
 それに、ああいうのって、小学校の頃からあったんで慣れてたし。自分に降り掛かってきても、あたしだったら”何よっ”……って、はじき返すことはできたのね。けっこう突っ張ってるほうの女の子だったから。でも、性格によってだわ。交わせない子は、いつも可哀想よね。
『男子たち、みんな見て見ぬふり。尾山君がイジられてても』
『うん……。でも、あたしたちだって同じじゃなかった?』
『関係ないわ……って感じだったわよね』
『だって事実そうじゃない? 関係なんてなかったわよ』
『だけど……』
 良心が痛まない人もいなかったと思いたいの。でも、勇気が出なかった。尾山君の場合は、あんまり同情できない雰囲気みたいのがあって、みんな退いちゃってたから。
 二年生全員は、引き続き学年集会になったわ。
 生活指導主任の成宮先生、保健体育の担当で、バスケ部の顧問。あたしのクラス、A組の担任だったの。
「君たちの世界は、先生がたや家族のような、大人たちの世界とは違う。それに、大人に言えないことだって、きっとあるのだろう。なので、こうしよう。一人のクラスメイトを死に追いやってしまった原因がどういうことにあったのか、今日は一日、授業を全て中止するから、君たちの中で、きちんと総括する話し合いをして貰いたい」
 ああ……、憧れの成宮先生……。超イケメンだったのよ。いま想うと、エロカワ系っぽいかも。体育大学を出たてで、赤城中学に来て、それからあたしたちが入学して、すぐ担任になったんだって。

 いまのティーンエイジャーたちは、同性愛について、学校でどれだけのことを教わるのか。また、いまの10代ゲイ/レズビアンたちは、どのように学校生活を送っているのか。
 僕が子どもだったころと比べると、現代は、たとえば、もろもろの大学の中にLGBTサークルが存在していたり、20代の若者たちの中には、気軽にカミングアウトをやってのけてしまうゲイたちの姿があったり、―――といった事々を知るに、10代の若い同性愛者たちも、学校の中で比較的、大らかに生活しているのではないかと、僕は期待を込めた想像をしがちだった。

 ところが、『カミングアウト・レターズ』編者の一人、RYOJIさんに話を伺ってみると、決してそのような甘い実情ではない―――との答えが返ってきた。

『ねえ、春菜って〜、尾山君と幼稚園から一緒だったんじゃなかった?』
『おままごと遊びとかしたんでしょ〜』
『うっそ〜。や〜だ、そうなの? 春菜……、あの尾山君と〜?』
『ねえ? そうなの? ちょっと、スルーしないでよね〜。ね〜え〜、聞いてんの? ハ・ル・ナ〜』
 あたし、話し合いは正直どーでも良くって〜、成宮先生のこと、ずっと見てたりして……。だって、教室より体育館のほうが、先生の存在、スッゴイ似合うんだもん。
『うっぜえんだよな、こういうハナシアイとか言うの』
『あんなぐらいのことで、まさか自殺するなんて、誰も思わなかったもん……な』
『”弱かった”だけだよ。尾山の根性が』
『そういうとき、根性”足りねえ”とか言わね?』
『ってか、尾山に根性なかったから、当たり前のこと言われただけで、あんなに落ち込んだわけじゃん?』
 よく考えてみれば、当時のあたしたち、荒んでたわよね。
 あたしにしたってさ、幼稚園時代から知ってたっていうのにさ、尾山君の死を、何だかとっても軽く扱ってた。
 ……ってかさ。大人たちだって、何でもテキトーに済ませてなかったかしら? あの頃も、いまでも。
 悪い大人がテレビに映って、たくさんの人たちの前で、あたしたち中学生にだってミエミエの嘘話しとかしてて、悪いことやったのに平気な顔して、笑いながらスッ惚けてたりしてさ。じゃなければ、”申し訳けございませんでした”……とか、記者会見みたいなとこで、イイ大人たちが頭を下げて謝ってるシーンばっかり、何度も見てきたような気がするわ。ルールを破って誰かを騙して、お金をくすねたり、人を殺したり、迷惑を掛けたりさ。

 同性愛についての学校教育は、僕が子どもだったころもそうだったように、いまでもなお、全くなされていない。
 僕が子どもだったころもそうだったように、クラスの中に数人は必ず存在しているであろうLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の子どもたちは、日々を、苦悩のうちに、自分の性的指向と向き合っているのだ。

 状況は、全く変わっていない。

 とりわけ、思春期の子どもたち=若者らは、性に対する思いや感覚が鋭敏で、しかもデリケートだ。
 その時期、大人の世界と同様、異性愛絶対主義に弄ばれ、自らの性的指向である同性愛/トランスジェンダーに自ら偏見の目を向けなくてはならないとしたら、いったい如何としよう。
 その心情の混乱は、想像するにあまりある。

『止められなかったのは、僕たちの意気地がなかったからだと思う』
『止められなかったって何をだよ?』
『いじめ……』
『イジメじゃなかったんじゃね?』
『イジメまでいかない、イジリだったよ』
『どっちでも同じだと思う』
『そんなこと言ったら、冗談ひとつ言えなくね?』
『そうだよ。仕方なかったんだよ』
『けっこうみんなで無視とかして、集団でイジメてなかった?』
『だから〜、ただのイジられキャラだっただけでしょ?』
『って言うか、尾山って気持ち悪くなかった?』
『避けられても当然っぽくない? ……ああいうの』
 たしか、とりあえず給食の時間になりそうです、みたいな感じで、学年集会がいったんまとめに入ったのよね。
「良し、それじゃ前川。お前、学級委員だろ。みんなの意見を集約するとどうなるか言ってみろ」
『えっと〜。尾山君が自殺って言うか〜、あんなに急に死んじゃうなんて〜。誰も〜、予想できなかったと思います。ただ〜、尾山君は〜、おとなしい感じで〜、からかいやすいキャラクターって言うか〜、そういうところがあったので〜、みんなもついついからかっちゃって〜、遊んでたんだと思います。で〜、いまは〜、いけないことしたと思います』
「そうか。じゃ、池畑。お前は、どう思う?」
『おれだって、小さい頃、つむじが二つあるとか言われて、ずいぶんー、からかわれたりしたこともあったし〜、べつに尾山だけじゃないと思うんすよね。自殺しちゃったのは可哀想だけど〜』
「意外だな。池畑みたいな奴でも、友達にからかわれていた時期があったのか」
『どーゆー意味っすか、それ、先生?』

 RYOJIさんは、『カミングアウト・レターズ』の出版へ向けて綴られた企画書<この本への思い>の中で、次のように述べられている。

 明らかな性への目覚め、第二次性徴期に最も悩みを深くする頃には、ゲイ、レズビアンの子どもは「家庭」から「学校」に、自我を発見する場を移しています。
 その頃には自分の性のあり方と周囲のそれとの違いにもっと自覚的であり、行動もより慎重になり、自分が同性に惹かれることは多くの場合、隠されています。最も近しい大人たち―――親や先生も、彼/彼女たちが何を悩み、苦しんでいるのか気づけることは稀でしょう。子どもたちは自分を肯定することを教えられないため、ゲイであることを親に知られたくないあまりに自殺することさえあるのです。彼/彼女たちの苦悩の片鱗は、仄見えたとしても、その年齢の子どもらしい反抗期と見誤れらり、自分を隠して社会と関わることに慣れた子どもであるゆえに「ごく普通の、もしくはそれ以上に真面目で聞き分けの良い子」と映る場合も多々あります。


 そうしたらね、驚いたわ。
 B組の男子アイドル・富田君が、いきなり立ち上がって発言したの。
 富田君って、高嶺の花・男子版。とくに、沙也香が夢中になってたわ。
 バスケ部のキャプテンで運動神経抜群。県の体育大会で表彰されたりするほど。それに成績も、学年でトップクラスだったのよ。バレンタイン・デーには、コンバースのバスケバッグがチョコで一杯……が恒例。
「もう、やめようぜ、あんなこと……。なあ、池畑!」
「何がだよ? ……富田」
「女っぽいとか、ホモだとか、ナヨナヨしてて気色悪いとか、そうやってイジメることだよ」
「決めつけんなよ。俺ひとりがイジメてんのかよ。みんなで、からかってただけだって、さっき、前川が言った通りじゃねえのかよ」

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 『カミングアウト・レターズ』は、年齢やセクシュアリティーに関係なく、あらゆる人たちに読んで貰いたい本である。

  カミングアウト・レターズ
  子どもと親、生徒と教師の往復書簡
  RYOJI + 砂川秀樹/編

  本体1700円+税
  ISBN978-4-8118-0725-6 C0036
  太郎次郎社

http://www.tarojiro.co.jp/cgi-bin/SearchMain.cgi?operation=3&ISBN=978-4-8118-0725-6

 7組19通の往復書簡―――。同性愛をカミングアウトした側(息子・娘)/された側(親・教師)それぞれの、”そのときの思い”と”今の思い”。互いの気持ちを整理しつつ、まだ消えない葛藤や疑問、変化した心、理解していたこと、氷解したわだかまり、感謝の気持ち、反省の気持ち、愛情、尊敬、激励、これからの展望など、ありのままを手紙で交わし合った生の証言集である。併せて、同性愛の我が子からカミングアウトされた経験を持つ親たちが集い、心情を吐露し、励まし、教え合った座談会の様子が続く。編者、RYOJI氏と砂川秀樹氏の的確な問題提起と丁寧な解説とが、読者を導く。

【コラム】 <カミングアウト・レターズ>を読もう!
http://tapten.at.webry.info/200712/article_11.html

 そうだったの。
 自殺しちゃった尾山君ってね、一年生のときから、みんなにホモだ……って言われちゃってて。ホモ山って陰で呼ばれてたわ。池畑君がね、これが証拠だ…… とかって、学校にビデオテープを持ってきたことがあって、そこに、尾山君が池畑君に、言い寄ってるとこ、全部撮られちゃってたの。
 尾山君は、”あれはおふざけだったんだ”……って、必死に弁解したんだけど、それからもう尾山君イコールゲイ、ゲイイコールエイズ、みたいな感じで。あたしたち女子も、尾山君のこと汚らわしがって、イジメっぽく、しちゃったかも……。
 反省……してるわ……ホントよ。だってさ―――、

「……先生。ぼ……、ボクも、ボクだって尾山君と同じなんです」
「何だと!? 富田も、みんなから、イジメられていたと言うのか?」
「そ……、そうじゃなくて……、ボクも……」

 ―――ホントは、たくさん、いるんだもん。あたしたちの周りに。

「……あいつと同じで、ボクも、ゲイ……なんです……」

(富田君がゲイ)
(マジで? 嘘でしょ?)

 一番、あり得な〜い……って感じたの、きっと沙也香だったと想うわ。

 RYOJIさんの熱い思いを慮るに、やはり教育関係者にも是非読んでいただきたいと、僕は敢えて述べておきたい。
 現場の教師たちはもちろんだが、学校の管理職にある方たちにも。
 学校の管理側が意識を変えないことには、きっと教育の状況は変わらないのだろうから。
 これは、切実なる問題なのである。

 そしたらさ〜。
『あの……、ぼくも……』
『おれもっす』
『僕も……』
『わ……、私、レズビアンです』
『自分もです』
『前川、お前もか……』
『富田君がタイプかも〜』
『うっそマジで?』
 次々と……、なのよ。べつに、示し合わせてなんかじゃなかったと思うわ。そんな余裕、なかったもん。

 現場の教師の証言を聞いた。

 これまで3人の生徒たちから、カミングアウトを受けてきた。
 一人は在日韓国人、一人はレズビアン、人はゲイ。
 彼らは、時速150qの勢いで、体当たりのカミングアウトをしてくる。むしろ、そのときは快活だ。
 しかし、一番大切なのは、カミングアウトを果たしたあとの彼らを、どのようにケアすることだと感じた。


 そう、その高校の先生は仰った。

 なるほど―――と、僕は思った。
 カミングアウトは、いっときの決断と勇気で、あっという間に済んでしまうことだ。
 だが、カミングアウト済みの人が、その後、どのようにして”その他の人たち”の中で受容され、少数者と多数者が互いに順応しあってゆくか―――そのことこそ、さらに注意深く見守られ、扱われなくてはならないということである。

 カミングアウトは終着ではなく、新たな出発なのだ。

「尾山君……。ごめんな……。ボクたちは……、君を……、救えなかった……」
 富田君が、切っ掛けを作ったの。
『ごめんなさい』
『許してくれ〜っ』
『ごめんよ〜……、うわあああ〜っ……』
 みんなも、あたしも、身につまされて泣いちゃった。
 ……でね。話は、これで終わらないのよ。
 担任の成宮先生……、ほら体育の。あたしの憧れだった先生ね。

「良し! 富田たちも、勇気を出して、よく告白したな。いいか。みんな。分かったか? もう、イジメもイジリもやめるんだ!」

『………………』
『………………』

「みんな、わかったか!?」

『…………はい……』
『……はい…………』
『はい……ハイッ!……はーい……』

 ……っつうか、成宮先生も、
「……先生だって、ゲイなんだぞっ!」って、カミングアウトしちゃったのよ。

””ええええーーーーっっっっ!!!!””

””ううううっっっっそそそそーーーーっっっっ!!!!””


「……この際だから言っておく。先生は、去年から竹部教頭先生と同棲している!」

 あたし、もう、唖然。

 僕は、2月2日に開催された<パフナイト>というイヴェントに出席し、『カミングアウト・レターズ』の編者・RYOJIさん(アクティビスト)、砂川秀樹さん(文化人類学者)、そして太郎次郎社の編集担当者・北山理子さん、また”レターズ”の執筆に参加されたイトー・ターリさん(パフォーマンス・アーティスト)らのお話を伺ってきた。
 同じく”レターズ”の執筆に参加された高校の先生も出席され、意見や感想を述べられた。
 構想から企画、そして出版へ至るできごと、裏話など、興味深いお話をたくさん聞かせていただくことができたのと併せ、取材を通じ、編者、編集者、そして執筆協力者の皆さんが感じられた、さまざまな生の思い、生の声、―――それらに、僕は深く動かされた。
 また、僕が知らないこと、気付かなかったこと、―――いろいろなことを教えたいただいた。
 とても良い会だった。

 砂川さんが語られたことで、僕が印象深く感じたのは、次のような部分であった。

○カミングアウトのドロドロとした現場をリアルに描くことも、また必要だろうが、カミングアウトが常に失敗し、悲惨なものとは限らない。その成功例を示す意義もある。カミングアウトを経て、愛情の再発見をし、暖かい関係も生まれ得るのだと。
○『カミングアウト・レターズ』を作る過程で、カミングアウトをされる側が同性愛についての完全な正しい知識を持たなくても、カミングアウトをする側と互いに愛情の再発見をし、暖かい関係を生み出すことができると理解できた。一般に、同性愛に関する誤解や偏見が完全に払拭されるまで、すなわち正しい知識を獲得するためには時間を要するかも知れない。だから、それは後でゆっくりでも構わない。後で、自然に付いてくるものだ―――と言えるかも知れない。そのような認識を持つことができた。


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 僕自身のカミングアウト体験を通じて、カミングアウトをされた相手が決して悪意を抱いていなくとも、相手の反応から受容と拒絶が相半ばしている印象を受けることがある。それを僕は、<未理解>だと受け取る。心もとない気持ちにもなる。
 しかし、それも仕方のないことだと、僕のほうがある程度、そういう反応を受け流せる余裕を持たなくてはならないのだと感じた。
 ちょうど、僕がカミングアウトをした相手=旧い友人から、複雑な内容のメールを貰ったばかりのタイミングだったので、上手い具合に、僕も心の整理を付けることができたような気がする。

【A Gay's Mumble】 カミングアウトをした相手からのメール
http://tapten.at.webry.info/200802/article_1.html

 まさしく、カミングアウトは終着ではなく、新たな出発なのだ。
 また、カミングアウトは、たとえ試練ではあっても絶望すべきものではない。葛藤ではあっても関係破綻の道だけが続くものではない。
 カミングアウトをする側、される側、双方の努力は要るだろう。
 でも、きっと、ある程度の時間が、愛情の再発見や、暖かい関係の誕生を呼び起こしてくれる。

 そういうものなのだろうと、僕は思った。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
カミングアウトを受け取る側の未理解は大きな問題だと思います。自身は人は(男は、女は)こうあるべきと強制され(見られ)るのが大嫌いな人間で同性愛者に偏見は無いつもりです。でも同性愛を正しく理解は出来ていないです。丁度その関係の本を読んだところなのでつくづくそう思いました&勉強になりました。私のように知らない、知る機会のないそして知りたくもないような人間が大多数のところに、カミングアウトして理解して、というのは相手が信頼しうる人であっても難しい場合もあると思います。この意識の温度差を埋めるために私が出来ることって何か・・・考えてしまいました。
梧桐
2008/02/04 11:09
差別や偏見というものは、競争し合う人間社会には付き物です。差別や偏見を無くそうと多数側の意識を変える運動も大事だけど、現実的には、個々が受ける側になった時、差別や偏見に屈しないよう、本人に自信を持たせる励ましがyより大事なのじゃないかと思います。故に先生や学校の役割は常に生徒の後ろ側に立って自ら歩んで解決していく力を持つきっかけを与える事だと。確かに世間みんなが理解し受け入れてくれる事が理想ですが、まずは同類でなくても味方になってあげること、人と違うことは決して間違っていない、あなたが悪いわけじゃないという事を言ってあげるだけでも、言われた本人にとっては十分励みになるんではないでしょうか。
Mcglow
2008/02/04 22:58
>梧桐さん
 同性愛を正しく理解できていなくても、まず偏見なく同性愛者に接する気持ち、理解しようとする気持ち、こうあるべき論をかざさない気持ち、―――そうしたものを持って下さることから、お互いの関係を始めてゆくことが大事なのだと思います。きっと、同性愛者との<遭遇と対話>を経て、ちょっと時間が掛かっても、ゆくゆく、同性愛者って、こういうものなのか―――という感覚を持っていただけるものと信じたいです。僕の旧友の一人は、このブログを読んで下さって、「そうか、お前の言いたいことは解った!」の一言で、まず受け入れることから始めてくれました。同性愛の正しい理解を神経質に求めなくても、まずそのように応えてくれることが、なにより嬉しく感じました。人は毎日、同性愛のことばかり考えて生きているわけではありません。特別講習を課して、やれ理解しろ、やれ勉強しろと強いることが、お互いの和みに連なるとも思えませんものね。尖ってばかりいないで、丸くなることもまた、僕のようなゲイの発言者に必要なのだろうと考えるようになりました。
円山
2008/02/06 20:40
>Mcglowさん
 子どもにとって、自分は間違った存在ではないと自信をつけることは、とても大事です。僕の場合、ゲイであることを悩み出す以前にゲイ雑誌と出会い、「ああ、僕と同じ人たちが、たくさんいるんだ」と理解することができました。幸運だったと思います。今の時代、同性愛者について、学校の先生が、もっと積極的に語って欲しいものです。それは、同性愛の当事者だけでなく、同性愛でない子どもたちにとっても、偏見を持たない人間に成長するために必要なレクチャーになるはずです。とは言え、個性が大切と言って、いたずらに個性主義を煽り、個性のない奴は駄目な人間だと説くような教育も考えものです。みんな違って、みんな良い。違わなくても、それで良い。そうした柔らかな個性教育であって欲しいと思います。いずれにせよ、同性愛は罪ではないこと、同性愛は、生まれながらに備わるセクシュアリティーの、一つの様態であることなど、学校で何らの戸惑いもなく、しっかり教えることができるようになることを望みます。
円山
2008/02/06 20:59

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