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『カミングアウト・レターズ』―――その編者の一人であるRYOJIさんは、最初にこの本を作ろうと思った動機を、概ね次のように話された。 ・ ○教室の中の子どもたちを見渡しても、そこにLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の子どもが存在していることは判らない。本当は、どの教室にも必ずLGBTの子どもたちが隠れているのに。 ○子どもたちは、自分の性的指向に気付き、そして苦しんでいる。誰にも話すことができないでいる。自分は異常な人間なのかも知れない。頭がおかしいのかも知れない。どうして、同じ性の人間を好きになってしまうのだろう。どうして、自分の性に違和感を感じてしまうのだろう。そうした、どうしようもない疑問と葛藤しながら。子どもながらに。 ○学校の先生がたは、教室の中のLGBTの子どもたちが、どれだけ苦しんでいるのか考えたことがない。もちろん、家族もだ。 ○苦悶するLGBTの子どもたちを、どうにか救ってあげることはできないだろうか。 ○そこで、最初は、カミングアウトした10代のLGBTが先生と手紙のやりとりをすることで、若いLGBTの苦悩を描き出し、また先生がたが彼/彼女らをどう理解し、受容していったか、―――そういった生の姿を本にまとめられないだろうかと考えた。 【挿入小説】 <こんなことがあったの> 先日、別の記事に書いたことだが、僕が中学生のとき、つまらないことから僕がゲイであることが明るみに出てしまったことがあった。 その折り、同じ学年の数人の男子から、密かにカミングアウトを受けていた。 さり気なく、 「お前もオレと同じなのかよ……」みたいな言いかたで。 中には、ちょっと(いや、かなり)タイプ系の男子もいたのに、いまの僕には想像もつかないと言われてしまうかも知れないが(そんなこともないが)、当時の僕は大層”おくて”で、せっかく彼らからカミングアウトを受けたというのに、そこから一歩二歩、踏み込むことができなかった。もったいないことをしたものだ。 僕らの学年には男子が50人ほどいた。 カミングアウトをしてきた男子は、数人だったから、僕を入れると、全部でゲイが5人ぐらいはいたのではないかと推定することができる。 50人のうち5人がゲイなら、まさに一割である。 それが多いのかどうかは判らない。 学年に3クラスあったから、各クラスに1〜2人の勘定だ。 ゲイだけを想定しているのだから、レズビアンを加えると、同性愛の生徒という括りでは、各クラス3〜4人になったかも知れない。 『お言葉を返すようですが、学校長。生徒たちは事情を熟知していると思われますので、いつまでもイジメ否定では、通らないのではないかと』 僕らの中学時代は、一般論的な性教育も、全くと言って良いほど行われることがなかった。 たしか、一度ほど、子どもが如何にして誕生するか、受精から妊娠・出産に至るプロセスを説明する16ミリ映画を観せられたような覚えがある。その程度だった。 申すまでもなく、同性愛についての教育など皆無であった。 先生が、同性愛について触れることもなかった。 あたしたちだけ、二年生全員は、そのまま体育館に残されたの。 僕の記憶では、たった一度だけ、クラスのEくんとOくんとが、”ホモだち”の関係にある―――などという根も葉もない”ふざけた噂”が流れたことがあったとき、担任の教師が、 「それが本当なら、相談に乗るぞ」と、にやけて発言したことがあった。 もちろん、教師のほうも、本気には受け取っていなかったに違いない。それは、表情から判った。 あの教師が、どのようにして相談に乗る用意があったのかは知らないが、しょせん、いまから30年以上も前のことだ。あの時代の教育者が、確立した同性愛教育のノウハウを持っていたとは想えない。 イジメられるのは、誰だってイヤよね。だから、要領良くやらないとダメだったのよ。 いまのティーンエイジャーたちは、同性愛について、学校でどれだけのことを教わるのか。また、いまの10代ゲイ/レズビアンたちは、どのように学校生活を送っているのか。 僕が子どもだったころと比べると、現代は、たとえば、もろもろの大学の中にLGBTサークルが存在していたり、20代の若者たちの中には、気軽にカミングアウトをやってのけてしまうゲイたちの姿があったり、―――といった事々を知るに、10代の若い同性愛者たちも、学校の中で比較的、大らかに生活しているのではないかと、僕は期待を込めた想像をしがちだった。 ところが、『カミングアウト・レターズ』編者の一人、RYOJIさんに話を伺ってみると、決してそのような甘い実情ではない―――との答えが返ってきた。 『ねえ、春菜って〜、尾山君と幼稚園から一緒だったんじゃなかった?』 同性愛についての学校教育は、僕が子どもだったころもそうだったように、いまでもなお、全くなされていない。 僕が子どもだったころもそうだったように、クラスの中に数人は必ず存在しているであろうLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の子どもたちは、日々を、苦悩のうちに、自分の性的指向と向き合っているのだ。 状況は、全く変わっていない。 とりわけ、思春期の子どもたち=若者らは、性に対する思いや感覚が鋭敏で、しかもデリケートだ。 その時期、大人の世界と同様、異性愛絶対主義に弄ばれ、自らの性的指向である同性愛/トランスジェンダーに自ら偏見の目を向けなくてはならないとしたら、いったい如何としよう。 その心情の混乱は、想像するにあまりある。 『止められなかったのは、僕たちの意気地がなかったからだと思う』 RYOJIさんは、『カミングアウト・レターズ』の出版へ向けて綴られた企画書<この本への思い>の中で、次のように述べられている。 明らかな性への目覚め、第二次性徴期に最も悩みを深くする頃には、ゲイ、レズビアンの子どもは「家庭」から「学校」に、自我を発見する場を移しています。 その頃には自分の性のあり方と周囲のそれとの違いにもっと自覚的であり、行動もより慎重になり、自分が同性に惹かれることは多くの場合、隠されています。最も近しい大人たち―――親や先生も、彼/彼女たちが何を悩み、苦しんでいるのか気づけることは稀でしょう。子どもたちは自分を肯定することを教えられないため、ゲイであることを親に知られたくないあまりに自殺することさえあるのです。彼/彼女たちの苦悩の片鱗は、仄見えたとしても、その年齢の子どもらしい反抗期と見誤れらり、自分を隠して社会と関わることに慣れた子どもであるゆえに「ごく普通の、もしくはそれ以上に真面目で聞き分けの良い子」と映る場合も多々あります。 そうしたらね、驚いたわ。 『カミングアウト・レターズ』は、年齢やセクシュアリティーに関係なく、あらゆる人たちに読んで貰いたい本である。 カミングアウト・レターズ 子どもと親、生徒と教師の往復書簡 RYOJI + 砂川秀樹/編 本体1700円+税 ISBN978-4-8118-0725-6 C0036 太郎次郎社 http://www.tarojiro.co.jp/cgi-bin/SearchMain.cgi?operation=3&ISBN=978-4-8118-0725-6 7組19通の往復書簡―――。同性愛をカミングアウトした側(息子・娘)/された側(親・教師)それぞれの、”そのときの思い”と”今の思い”。互いの気持ちを整理しつつ、まだ消えない葛藤や疑問、変化した心、理解していたこと、氷解したわだかまり、感謝の気持ち、反省の気持ち、愛情、尊敬、激励、これからの展望など、ありのままを手紙で交わし合った生の証言集である。併せて、同性愛の我が子からカミングアウトされた経験を持つ親たちが集い、心情を吐露し、励まし、教え合った座談会の様子が続く。編者、RYOJI氏と砂川秀樹氏の的確な問題提起と丁寧な解説とが、読者を導く。 【コラム】 <カミングアウト・レターズ>を読もう! http://tapten.at.webry.info/200712/article_11.html そうだったの。 RYOJIさんの熱い思いを慮るに、やはり教育関係者にも是非読んでいただきたいと、僕は敢えて述べておきたい。 現場の教師たちはもちろんだが、学校の管理職にある方たちにも。 学校の管理側が意識を変えないことには、きっと教育の状況は変わらないのだろうから。 これは、切実なる問題なのである。 そしたらさ〜。 現場の教師の証言を聞いた。 これまで3人の生徒たちから、カミングアウトを受けてきた。 一人は在日韓国人、一人はレズビアン、人はゲイ。 彼らは、時速150qの勢いで、体当たりのカミングアウトをしてくる。むしろ、そのときは快活だ。 しかし、一番大切なのは、カミングアウトを果たしたあとの彼らを、どのようにケアすることだと感じた。 そう、その高校の先生は仰った。 なるほど―――と、僕は思った。 カミングアウトは、いっときの決断と勇気で、あっという間に済んでしまうことだ。 だが、カミングアウト済みの人が、その後、どのようにして”その他の人たち”の中で受容され、少数者と多数者が互いに順応しあってゆくか―――そのことこそ、さらに注意深く見守られ、扱われなくてはならないということである。 カミングアウトは終着ではなく、新たな出発なのだ。 「尾山君……。ごめんな……。ボクたちは……、君を……、救えなかった……」 僕は、2月2日に開催された<パフナイト>というイヴェントに出席し、『カミングアウト・レターズ』の編者・RYOJIさん(アクティビスト)、砂川秀樹さん(文化人類学者)、そして太郎次郎社の編集担当者・北山理子さん、また”レターズ”の執筆に参加されたイトー・ターリさん(パフォーマンス・アーティスト)らのお話を伺ってきた。 同じく”レターズ”の執筆に参加された高校の先生も出席され、意見や感想を述べられた。 構想から企画、そして出版へ至るできごと、裏話など、興味深いお話をたくさん聞かせていただくことができたのと併せ、取材を通じ、編者、編集者、そして執筆協力者の皆さんが感じられた、さまざまな生の思い、生の声、―――それらに、僕は深く動かされた。 また、僕が知らないこと、気付かなかったこと、―――いろいろなことを教えたいただいた。 とても良い会だった。 砂川さんが語られたことで、僕が印象深く感じたのは、次のような部分であった。 ○カミングアウトのドロドロとした現場をリアルに描くことも、また必要だろうが、カミングアウトが常に失敗し、悲惨なものとは限らない。その成功例を示す意義もある。カミングアウトを経て、愛情の再発見をし、暖かい関係も生まれ得るのだと。 ○『カミングアウト・レターズ』を作る過程で、カミングアウトをされる側が同性愛についての完全な正しい知識を持たなくても、カミングアウトをする側と互いに愛情の再発見をし、暖かい関係を生み出すことができると理解できた。一般に、同性愛に関する誤解や偏見が完全に払拭されるまで、すなわち正しい知識を獲得するためには時間を要するかも知れない。だから、それは後でゆっくりでも構わない。後で、自然に付いてくるものだ―――と言えるかも知れない。そのような認識を持つことができた。 僕自身のカミングアウト体験を通じて、カミングアウトをされた相手が決して悪意を抱いていなくとも、相手の反応から受容と拒絶が相半ばしている印象を受けることがある。それを僕は、<未理解>だと受け取る。心もとない気持ちにもなる。 しかし、それも仕方のないことだと、僕のほうがある程度、そういう反応を受け流せる余裕を持たなくてはならないのだと感じた。 ちょうど、僕がカミングアウトをした相手=旧い友人から、複雑な内容のメールを貰ったばかりのタイミングだったので、上手い具合に、僕も心の整理を付けることができたような気がする。 【A Gay's Mumble】 カミングアウトをした相手からのメール http://tapten.at.webry.info/200802/article_1.html まさしく、カミングアウトは終着ではなく、新たな出発なのだ。 また、カミングアウトは、たとえ試練ではあっても絶望すべきものではない。葛藤ではあっても関係破綻の道だけが続くものではない。 カミングアウトをする側、される側、双方の努力は要るだろう。 でも、きっと、ある程度の時間が、愛情の再発見や、暖かい関係の誕生を呼び起こしてくれる。 そういうものなのだろうと、僕は思った。 クリックプリーズ
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|---|---|
PA/F NIGHT「カミングアウト・レターズ」イベントレポ【くまくまレポート】
※クリックで拡大するよ! ...続きを見る |
悠悠自的。 2008/02/03 18:30 |
「カミングアウト・レターズ」へのレターズ
-----たくさんの手紙たち。 ...続きを見る |
悠@悠悠自的。の関心空間 2008/03/26 01:03 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
カミングアウトを受け取る側の未理解は大きな問題だと思います。自身は人は(男は、女は)こうあるべきと強制され(見られ)るのが大嫌いな人間で同性愛者に偏見は無いつもりです。でも同性愛を正しく理解は出来ていないです。丁度その関係の本を読んだところなのでつくづくそう思いました&勉強になりました。私のように知らない、知る機会のないそして知りたくもないような人間が大多数のところに、カミングアウトして理解して、というのは相手が信頼しうる人であっても難しい場合もあると思います。この意識の温度差を埋めるために私が出来ることって何か・・・考えてしまいました。 |
梧桐 2008/02/04 11:09 |
差別や偏見というものは、競争し合う人間社会には付き物です。差別や偏見を無くそうと多数側の意識を変える運動も大事だけど、現実的には、個々が受ける側になった時、差別や偏見に屈しないよう、本人に自信を持たせる励ましがyより大事なのじゃないかと思います。故に先生や学校の役割は常に生徒の後ろ側に立って自ら歩んで解決していく力を持つきっかけを与える事だと。確かに世間みんなが理解し受け入れてくれる事が理想ですが、まずは同類でなくても味方になってあげること、人と違うことは決して間違っていない、あなたが悪いわけじゃないという事を言ってあげるだけでも、言われた本人にとっては十分励みになるんではないでしょうか。 |
Mcglow 2008/02/04 22:58 |
>梧桐さん |
円山 2008/02/06 20:40 |
>Mcglowさん |
円山 2008/02/06 20:59 |
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