低能流[ゲイ]文章計画

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 【コラム】 <カミングアウト・レターズ>を読もう!

<<   作成日時 : 2007/12/16 00:21   >>

トラックバック 3 / コメント 8

 ゲイであることを、両親に告白したことは、まだない。
 僕の場合、そのタイミングを逸してしまった。弁解がましいが、正直な想いである。

 人生いろいろ。ゲイもいろいろ―――。

 今にしてみれば、もっと早くカミングアウトに挑んでいれば良かった。チャンスはいくらでもあったと、顧みればそう感じるが、あのころの僕は、やはりあのころの僕だった。さまざまな経緯があって今がある。仕方のないことだと納得するしかない。
 いずれにせよ、僕の両親は表向き、僕がゲイであるとは知らないことになっている。―――と、おかしな書き方をするのは、言わなくても気付かれている可能性があるからだ。

 そもそも、学生時代から家族にも(親戚にも)、カノジョの<か>の字も喋ったことがなく、カノジョなど、いたことがないから家に連れてきたことも、もちろんなく、むしろ連れてくるのはオトコばかりで、それが何者なのか判らないとなれば、両親としても、この息子は、もしかするとゲイなのかと察して然るべきだろう。

 二十代の半ば、映画制作に全てを傾注していたころ、僕は一年の大半を余所の国で過ごし、家を留守にしていた。帰ってくると、間取りが変えられていたほど丹念に部屋の掃除をしてくれたのは、どうやら両親で、あとでチェックしてみると、僕の<秘密の引き出し>のいくつかが開けられていた形跡があった。そこを見られていたなら、僕がゲイだとひと目で判ったはずだ。

 父親から提案された見合い話を、僕が”けんもほろろ”に突っぱねたとき、父親は何も言い返さず、たったの1秒で言葉を呑み込んだ。それ以来、両親からは結婚の<け>の字も言われたことがない。
 今、父親はすでに80歳を超えている。80歳に近付いている母親は、認知症状を露わしながら病院でほとんど寝たきりになっている。残念なことに父親は、息子がゲイであることを易々と理解するようなタイプでは毛頭なく、母親にカミングアウトしても、きっと半日も経たないうちに忘れてしまうだろう。
 だから僕は、タイミングを逸してしまったのだ。もっと早く、現在も進行中のカミングアウト作戦を開始していれば良かったのかと、時間を取り戻したい気持ちにはなる。
 でも、今さら親に余計な心労を与えたくない。
 言うまでもなく、本当は僕の全てを解って欲しい。
 しかし、ときすでに遅しなのである。少なくとも、今の僕は、そう感じている。

 人生いろいろ。ゲイもいろいろ―――。

画像

 <カミングアウト・レターズ>という最新刊を読んだ。

カミングアウト・レターズ
子どもと親、生徒と教師の往復書簡
RYOJI + 砂川秀樹/編

本体1700円+税
ISBN978-4-8118-0725-6 C0036
太郎次郎社

http://www.tarojiro.co.jp/cgi-bin/SearchMain.cgi?operation=3&ISBN=978-4-8118-0725-6

 7組19通の往復書簡―――。同性愛をカミングアウトした側(息子・娘)/された側(親・教師)それぞれの、”そのときの思い”と”今の思い”。互いの気持ちを整理しつつ、まだ消えない葛藤や疑問、変化した心、理解していたこと、氷解したわだかまり、感謝の気持ち、反省の気持ち、愛情、尊敬、激励、これからの展望など、ありのままを手紙で交わし合った生の証言集である。併せて、同性愛の我が子からカミングアウトされた経験を持つ親たちが集い、心情を吐露し、励まし、教え合った座談会の様子が続く。編者、RYOJI氏と砂川秀樹氏の的確な問題提起と丁寧な解説とが、読者を導く。

 登場するゲイ/レズビアンたちは、概ね若い。46歳の僕よりも若い。九人中二人、僕より年上の方が出てくる。
 巻末のほうに、RYOJI氏の文章で―――、

 この本が特に、多くの子どもたちに届くことを願う。一人ぼっちだと感じているゲイやレズビアンに。それから、これから親や教師になるヘテロセクシュアルの子どもたちにも。そしてもちろん、セクシュアリティを問わず多くの大人たちに。(P.219)

 ―――とある。

画像

 思うに、この良書が持つ意義は、読者の年齢に全く関係がない。

 ヘテロの人たちも、どうか読んで欲しい。そして、ゲイ/レズビアンたちが抱えている苦悩に、正面から向き合って欲しい。何も小難しい理屈が書いてあるわけではない。カミングアウトしたゲイ/レズビアンたちと、その親たち/先生たちから発せられる、真っ直ぐなメッセージの連続である。これらを素直に読めば、ゲイ/レズビアンたちが何を躊躇い、何に怯え、そして生きるためにどれだけの忍耐と努力と勇気を要するかが、手に取るように理解できるはずだから。

 それから当然のことだが、一人でも多くのゲイ/レズビアンたちに読んで欲しい。
 カミングアウトを考えたことがあろうとなかろうと、あるいはカミングアウトをしたことのある人たちも、どうかどうか読んで欲しい。そして、それぞれに考えて欲しい。
 カミングアウトとは何なのか。必要なことなのか。自分にできることなのか、できないことなのか。あるいは挑んでみるべきことなのか。

画像

 カミングアウトとは、内なる葛藤である。するほうも、されるほうも。とくに、家族へのカミングアウトには、特別な葛藤がある。僕の友人/知人のほとんどは、カミングアウト作戦によって僕がゲイだと知るところとなっている。しかし、先述のように家族だけは別格だ。
 僕にとっては、とうとうタイミングを逸してしまった家族へのカミングアウトだからこそ、この本を読んで、今もって踏み切ることができない僕自身の不甲斐なさに、半ば恥じ入るような気持ちにもなった。
 年老いた両親(病に冒された母、介護を尽す父)の心を、今さら煩わせることは、どうしてもできない。しかし、もっと早くカミングアウトの決心がついていればと嘆くのだから、すっぱり諦めたつもりでも葛藤は続いている。年老いたとは言え、病気だとは言え、我が両親は健在である。もしかしたら、本当はまだ間に合うのかも知れない。僕の葛藤は続くのだ。

 この本の中に記されている生の声は、僕がなかなか挑戦してこなかった(むしろ避けてきた)領域の実例であるだけに、僕の心に深く染み込んでやまない。強く心動かされると同時に、どこか羨ましくもある。複雑な感じがする。

 この本は、カミングアウトへの勇気と励ましを与えてくれる。僕の気持ちを捉えて離さないのは、カミングアウトすることは、相手への信頼の証しであるということだ。
 同性愛を告白した側は、これまで本当のことを言わなかったことについて後ろめたく感じ、告白された側は、どうして察してあげることができなかったのかと謝罪の気持ちを抱く。同性愛であろうと、自分は幸せに生きているからと相手を安心させたい心には、どうか幸せな人生を送って欲しい、家族として/友人として応援しないわけがないとの心が応じる。

 簡単に書いたが、これがすんなり行くとは限らない。

 しかし、カミングアウトする側/される側、双方のよりどころは互いへの信頼感に他ならない。この信頼感が絆を生み、絆が相互の理解を引き寄せる。

 カミングアウトされた側の戸惑いや落胆は、ほぼ共通して、世間一般に流布されている間違ったゲイ/レズビアン認識、つまり誤解から偏見に至る、こびり付いてなかなか落ちない頑固な汚濁が原因である。それに、悪意を根底に蔓延らせている差別的意識/中傷/嘲笑、こうしたものに惑わされ、右往左往してしまうことが、カミングアウトされた側の苦悩の原理として働く。
 やはり、誰あらんゲイ/レズビアン自身が、巷に流れ溢れる心ないゲイ/レズビアンへの揶揄/バッシングに向かって、失敬なことを言うなと声に出す必要性を感じる。

 それと、とくにカミングアウトされた親の場合、いきなりの当惑から、すぐに立ち直って我が子のセクシュアリティーを理解しようとの意欲を掻き立てることが、なかなか難しいのが普通だ。
 同性愛の基礎知識を、独学独習で叩き込もうとしても、気が滅入るだけで、やがて放り出してしまうものだろう。
 だからこそ、<LGBTの家族と友人をつなぐ会>のような、―――ゲイ/レズビアン(LGBT)の家族あるいは友人として、セクシュアリティーの受容に苦悩する人たちのために、知識と理解の輪を拡げる活動サークルへ、彼らを導いて差し上げたいと強く感じる。
 同じ辛らさを共有し、それを一緒に乗り越えるプロセスから、ゲイ/レズビアンの家族/友人であることの何たるかを少しずつ受け入れてゆくことができるよう、願ってやまない。

 カミングアウト自体が難関であるから、カミングアウトすることだけでも意義があるのは確かだ。ただ、カミングアウトした先にあるものの大切さにも、思いを馳せなくてはならない。
 カミングアウトした結果、案外、
「はい、そうですか。判ったよ」だけで軽く済んでしまったり、
「べつに、迷惑を掛けるわけじゃないから、同性愛であることを邪魔しようとは思っていない。勝手にしていいよ」と、それ以上のコミュニケーションが遮断されてしまうことが往々にしてある。

 そこで終わってしまってはいけない。

 なるべく、カミングアウトすることだけに満足しないで、繰り返し気長に、ヘテロの人たちが深いところまで僕らの気持ちを理解してくれるよう、ゲイ/レズビアン(LGBT)について語ってゆくことにしようではないか。ちょっと執拗に感じられるぐらい。
 そうしないと、こびり付いた誤解と偏見の汚濁は、なかなか剥がれ落ちてくれない。

 ……もし、自分のことを理解してもらいたい、この絆を深めたいという思いをもってカミングアウトをしたいのなら、そのカミングアウトは、一度伝えただけでは終わらないということも覚えておく必要がある。世の中には、ゲイやレズビアンに誤解を持っている人がひじょうに多い。ネガティブなイメージが刷り込まれていることもある。場合によっては、そのような誤解やイメージを丹念に解いていかなければならない。……(砂川秀樹氏:P.206)

 同性愛コミュニティーに参加することは、”一人じゃないんだ”との癒しを得る機会であるとともに、ゲイ/レズビアンとしてのアイデンティティーを確固たるものに築き上げ、場合によっては<外へ>踏み出す切っ掛けやエナジーを与えてくれる。同性愛コミュニティーは、ときに、誰かがカミングアウトするための燃料供給基地となっていなくてはならないのだが、果たして、実際のコミュニティーが、単に内へ籠もるためだけの避難場所として使われていることがないものか、僕らは今一度、検証してみる必要があるかも知れない。

 とは申せ、カミングアウトを強制することはできない。強制するべきではない。これは、あくまで自主的判断に基づく行動である。
 いっぽう、カミングアウトが必要かどうかを考えれば、絶対に必要なことだと、僕は言う。

 ゲイ/レズビアンとそうでない人たちとを隔てる、目には見えない壁に風穴を開けるためには、どうしても、つねに誰かが、新たにカミングアウトし続けなければならないと考えるからだ。
 そして精一杯、ゲイ/レズビアン(LGBT)について語るのである。

 私は社会を変えていきたいと思って動いていますが、一人ひとりのカミングアウトが社会を変えていくんだなと思いました。私も親として友人にカミングアウトするわけです。友人は、セクシュアル・マイノリティとはどこかのだれかの話だったのが、それを友人の息子の話として聞いてくれる。これまではテレビや本のなかの話だったのが、身近な友人の家庭に起こった話として聞いてくれます。そこには冗談もなければなにもない。息子さんは苦しんだ、悩んだのね、と前向きに聞いてくださる。一人ひとりがカミングアウトをし、まわりにそういう人がいることを、生身の存在として知らせていく、堂々と自信をもって知らせていく、それが世の中を変えていく大きな力となると思うのです。そうしたことのできやすい社会を、親として作っていきたいと思っています。(清水尚美さん:息子がゲイ・17歳のときカミングアウト:P.192)

 僕にしたところで、両親へのカミングアウトは果たせないままだ。―――それにはそれなりの理由も判断もある。

 人生いろいろ。ゲイもいろいろ―――。

 でも、相手を見て、この人なら大丈夫と判断したら、今の僕は躊躇なく、ゲイであることを告げている。
 さまざまな方法で。
 面と向かって言いにくいときは、このブログのURLを教えるようにしている―――など。

 カミングアウトできる環境やタイミングというものもある。それには、当事者の心の環境も含まれる。もはや、告白しても構わないと感じる瞬間が、訪れる人には訪れるのだ。

 <カミングアウトが、できる人から、できる相手に、できるタイミングで試みて欲しい(カミングアウトしようと思わない人は、する必要がない。)>と、僕はつねづね、このブログで書いてきた。

 ……カミングアウトは、まわりの人が「すべき」「すべきではない」と言うべきものではない。本人の気持ちとさまざまな状況を判断した結果で、どちらが自分にとってより良く生きていけるかを考えながら決めていくことだ。
 また、ゲイやレズビアンでも誤解している人が少なくないが、「カミングアウトする」ということは、イコール「そのことをオープンにする(誰に対しても隠さない)」ということではない(もちろん、オープンにしてもいいのだが)。「カミングアウトする」とは「ある特定の人に伝える」ということであり、自分が伝えたいと思う人に対して、その時々のタイミングで伝えればいいのだ。もちろん、「どんな相手にも伝えない」という選択もある。……(砂川秀樹氏:P.214)

画像

 ゲイ/レズビアン(LGBT)とヘテロの人たちとは、もっともっとコミュニケーションをとらなくてはならないと、要はその一語に尽きる。

 <話せば、きっと解るのゲイ・リベレイション>である。

 一神教的同性愛禁忌の規範が無く、世間体原理主義に支配されている日本社会は、やろうと思えば、ヨーロッパよりも遙かにあっさりと、人々の、ゲイ/レズビアン(LGBT)に対する偏ったものの見方を改められる可能性を秘めている。
 世間体原理主義を裏打ちしている規範など、これまで、時代の変遷に応じ、いとも簡単に<変更>されてきたからである。
 例えば、いわゆる事実婚など、ひと昔前だったら、滅多に口にできないような理由によって、他にどうすることもできず、こっそりとやっていたものなのに、今では、パートナーシップの一つのあり方として、ごく気軽に事実婚を選択する男女のカップルが増えていると聞く。
 二千年近い歴史の過程で、硬く打ち固められるようにして構築された一神教的同性愛禁忌の規範などより、世間体原理主義を裏打ちしている規範のほうが、ずっと容易に打破できるに違いないと、僕が信じるゆえんである。

 まさしく、巻末で砂川秀樹氏が述べておられるように、カミングアウトについて、
<……「言わない/言えないのは当然」だった時代から、「カミングアウトする/しないを選択する」という時代に移り変わってきた……(P.215)>のである。

 もちろん、それでもなお、カミングアウトは簡単なことではない。

 人生いろいろ。ゲイもいろいろ―――。

 しかし、今一度、カミングアウトとは何なのか、必要なことなのか、自分にできることなのか、できないことなのか、あるいは挑んでみるべきことなのか―――、それらを真剣に考えてみるためにも、ぜひ一度、この優れた本を手にとって読んで欲しい。

クリックプリーズ
にほんブログ村 恋愛ブログ 同性愛(ノンアダルト)へ
にほんブログ村 恋愛ブログへ
にほんブログ村 ニュースブログへ

設定テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

トラックバック(3件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
カミングアウト
カミングアウト プロフィール検索 動画検索 画像検索 ...続きを見る
いま人気のコトバとは?
2007/12/16 21:46
カミングアウト・レターズ
カミングアウト・レターズ(2007/12/11)砂川秀樹商品詳細を見る ...続きを見る
悠悠自的。
2008/01/06 10:37
「カミングアウト・レターズ」へのレターズ
-----たくさんの手紙たち。 ...続きを見る
悠@悠悠自的。の関心空間
2008/03/26 01:03

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
お父様へのカミングアウトは、お見合い話を断ったときに事実上果たされているのではないでしょうか。お父様が言い返さなかったのは、既に気づいていらしたことを確認し、受け入れてくださった証だと思います。お父様は心の中でその現実と感情を一人で、あるいはお母様と二人で内密に処理なさったのでしょう。何か言うことで息子を傷つけたくなかったのだと思います。ゲイであることもひっくるめて息子を愛していこうと。
そして今、年老いたご両親を大切になさっていることで、円山さんのカミングアウトは立派に完了だと感じますが、いかがでしょうか。
「カミングアウトの方法もいろいろ」、要は相手に伝わればいいのでは?

ご参考までに、こんなページも見つけました。
http://identityhouse.blogzine.jp/yoshikaji/cat4547954/index.html
brrr
2007/12/16 12:20
>brrrさん
 そう仰っていただいて恐縮しますが、僕は両親へのカミングアウトは、できていないと思います。察せられたり、仄めかすだけではカミングアウトとは言えません。僕はゲイだと、はっきり伝えることをしないと―――。両親が、僕について何を語り合ったかは判りませんが、かなり前に一度、「孫の顔を見ずに死ぬのか」と父が言ったようなことを母から告げられたことがあります。でも、両親にはすでに孫が6人もいるのですから、もう充分だろうと、僕はそのとき思いました。親の気持ちとしては、そういうものでもないのでしょうか……。/クリスチャンゲイについては、このブログでも何度か書いたことがありますが、主に教会批判的な内容だったと想います。クリスチャンゲイには、聖書というハードルがあり、カミングアウトが一層困難なのですが、理解ある教会に所属している場合は、ラッキーですね。宗派あるいは聖職者の質によっては、悲惨なことになります。僕はキリスト教系の高校・大学に通いましたが、ゲイフォビックな教師や聖職者はとことん頭が硬いですから。
円山
2007/12/16 17:06
早速この本を読んでみたいと思い、注文いたしました。ご紹介してくださって本当に感謝しております。
自分も親ですから、こういう書籍を待っていた感がありますね。カミングアウトする側とされる側、双方の考えをぜひとも知りたいですし、理解したい。相手を理解したいという衝動が、事態打開に向けてなんらかの力になってくれることを信じています。

それにしても、カミングアウトにはやはりいろいろ難しい面がありますよね…。カミングアウトという言葉を、今まで気軽に使っていたことを反省しました。私自身は、もしされる側になるのであれば、自分の子供にはちゃんと打ち明けて欲しいと思いますね。相方は微妙ですが…(苦笑)。子供が、大切なことを心の中に抱え込んだままでいるなんて、逆に悲しいです。人それぞれでしょうが、葛藤があるなら知らせて欲しいなあというのが、親心の1つでもありますね。
豆酢
2007/12/17 23:09
>豆酢さん
 親御さんの子どもに対する気持ちは、「たとえ貴方が同性愛者だろうと、貴方を愛する気持ちに何ら変わりはない」というところに帰結するものだと判ります。そして、巷に溢れる同性愛者に対する間違った認識、蔑みなどに対し憤りを覚えるとともに、親御さん自身も反省をするのです。子どもが独りで秘密を抱え込み、どれだけ苦しんでいたのかを親御さんが理解した瞬間、同性愛者当事者の気持ちが、そのまま親御さんの気持ちとなる―――そうなれば、親子の関係は以前にも増し、より強固な愛情で再結合することとなりましょう。もちろん、そうでない不幸なケースもあるかも知れません。この本には、カミングアウトをしたのに、上手く理解が進まないような当事者の人たちにも、参考になる要素が多々あると感じます。いずれにせよ、いくつかのケースだけで全てを語ることはできませんが、多くの示唆を得ることは可能です。またカミングアウトというテーマを通じ、同性愛者の置かれている現実に、ある程度の深さまで触れることができるよう、この本は書かれていると思います。
円山
2007/12/18 11:55
カミングアウトは自分と距離が近ければ近い人ほど難しいものになります。
私も親兄弟には未だカミングアウトできていません。
昔、大学時代の友人にはカミングアウトしましたが見事にアウティングされた経緯があるので、それ以来うかつにカミングアウトできなくなりました。
信じていた友人にそんな仕打ちをうけると人間不信にもなりますし、カミングアウトした事自体、非常に後悔します。
特にLesbianは顕在化している方が少ないので認知度もかなり低いと思われます。
私にとってはやはりまだ「言える/言えない」の選択肢しかないように思います。
みすてぃー
2007/12/20 00:49
>みすてぃーさん
 それは、とても悲しい経験をなされましたね。残念ですね……。僕の場合も、カミングアウトした相手が、全て好意的というわけではありません。意図的に僕を避けている感じを受ける人もあります。かなり親しい友人が―――です。もちろん、ガッカリしますが、向こうの気持ちを曲げて理解して貰うわけにも行かず、ただ”そこまでの人”だったのだと考えるしか他にありません。僕のほうは心を開いていますから、いつでも向こうの気が変われば、喜んで交流を再開したいと思っています。僕は、めげないよう心掛けていますが、めげてしまう人の気持ちも理解できます。友だちを失うのはつらいですものね。心の態勢ができないうちにカミングアウトしてしまうのは、たぶん、あまり良くありません。大事なのは、どういう反応が起ころうと、それを受け流せられるような自信をつけておくことかも知れません。開き直りと言うのかな。物事には、タイミングがあります。みすてぃーさんにも、いつしか再びカミングアウトを考える時や相手を迎えることになるかも……。人生、何がどう転ぶか判りませんから。明るく前向きに!
円山
2007/12/20 03:32
温かいコメントありがとうございます。

#どういう反応が起ころうと、それを
#受け流せられるような自信をつけて
#おくことかも知れません

そうですね。
カムアウトすること以上にそれに対する
リアクションへの覚悟の方がむしろ
必要なのかもしれませんね。

真実を告げることは怖いのだけれど、
最近は本当の自分を知っておいてもらいたいという気持の葛藤に苛まれています。
いい加減腹をくくらないといけないのかも
しれません。
みすてぃー
2007/12/21 00:42
>みすてぃーさん
 大丈夫だと想っていますが、くれぐれも”やけっぱち”にだけはならないように、タイミングを熟慮して下さいね。それと、いろいろ相談してみることも大事かな。Lesbianのお友だち、いませんか? カミングアウト相談を受けてくれるところもあったかと。カミングアウトは、できるところから少しずつが吉ですよ。(^^)
円山
2007/12/21 02:07

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文

サーチエンジン

ブログリーダー

LGBT・情報

ネット・コム

Gay Japan News