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help リーダーに追加 RSS 【ニュース】 こんなにあるのか、同性愛・非合法諸国

<<   作成日時 : 2007/10/25 13:32   >>

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 ロイターが伝えるところによりますと、シンガポール議会が、イギリス植民地時代に制定された刑法・第377条の規定(『自然の摂理に反する性行為を禁じる』)に基づいて、引き続き同性愛を非合法に定めると決めた、とのことです。

 ―――同議会が、規定の廃止を要求する嘆願書に数千人が署名したことを受け、同性愛者同士のセックス合法化について”活発な”討論を行った末の裁定―――。

 シンガポールでは昨年、16歳以上の「異性同士」が双方の合意の上であれば、アナルセックスやオーラルセックスを認めるとの法改正を実施したようですが、同性同士に関しては、さらに”禁止”を継続することになったと、こういうことなのでしょう。
 シンガポールのリー・シェンロン首相は、
「マイノリティの権利は法で保護されるが、同性愛者をこれらのマイノリティとはみなさない」と語ったのだそうです。その根拠を、ぜひともお示しいただきたいものですね。

〔参考記事(一部引用元)〕
Reuters.co.jp
シンガポール政府、同性愛者間の性交禁止を継続
http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPJAPAN-28508920071024

 この話が、もしも日本のことであれば、僕らは当事者として、それこそ”活発な”抗議行動に打って出ることもできましょうが、なにぶんほかの国の話なので、如何ともしがたいところです。ただ、シンガポールのような国があるとの事実を、ここでしっかり確認する機会なのでは―――と、僕は思います。

 僕らが生活する、この日本社会は、例えばシンガポールのような社会と比較すれば、曲がりなりにも同性愛者であることを自由に謳歌できるとの点で、恵まれていることはたしかです。
 僕らの社会よりも、同性愛者として生きる意味において、恵まれていない社会はどこなのでしょう。

 同性愛に対して、厳しく法的に取り締まっている国々(同性愛・非合法諸国)を、あらためて調べてみました。

同性愛者が死刑になる国

<中東>
イラン
アラブ首長国連邦
サウジアラビア
イエメン   

<アフリカ>
スーダン
モーリタニア 


同性愛者が終身刑になる国

<南米>
ガイアナ 


同性愛者が重罪に問われる国

<中東>
シリア
レバノン
クウェート
バーレーン
カタール
オマーン

<アフリカ>
エジプト
リビア
チュニジア
アルジェリア
モロッコ
西サハラ
セネガル
ガンビア
ギニア
シエラレオネ
トーゴ
ベナン
ナイジェリア
カメルーン
エチオピア
エリトリア
ジブチ
ソマリア
ケニア
ウガンダ
タンザニア
マラウイ
モザンビーク
ジンバブエ
ザンビア
アンゴラ
ボツワナ

<アジア>
ウズベキスタン
トルクメニスタン
アフガニスタン
パキスタン
インド
バングラデシュ
ミャンマー
シンガポール
マレーシア
ブルネイ
パプアニューギニア

<中米>
ニカラグア 
ジャマイカ


同性愛者が軽犯罪に問われる国

<アフリカ>
リベリア
スワジランド

〔参考資料〕
Image:World homosexuality laws.png
http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:World_homosexuality_laws.png

 同性愛・非合法諸国は、主として中東のイスラム諸国、そしてアフリカ諸国、中南米諸国の一部ということになりますが、アジア諸国の多くも、かなり保守的な体制であることが解ります。ただ、イスラムなど一神教の宗教的影響や、シンガポールのように旧植民地時代に与えられた法制の名残が、同性愛に対する厳しい意想をもたらしているとも言えそうです。
 アフリカ諸国では元来、人々のあいだに同性愛禁忌の意想が強く、また中南米では移民、宗教、旧植民地時代の宗主国、などの伝統的影響が色濃いのではないかと想われます。

 こうした国々の体制が、一日も早く同性愛を容認する方向に動くことを希望しますが、文化的・歴史的に、日本社会以上の難しさがあることを認識する必要があると思います。文化的・歴史的障壁に、やすやすと立ち向かうことはできません。

 しかし、こうした国々にも、どれだけ社会的意想が厳しかろうが(場合によっては死刑にされてしまおうが)、第一に非合法の規定があることを以て、やはり同性愛者が確実に存在していることの裏返しであると断言することができましょう。

 さらにそのことは、同性愛が後天的な”趣味趣向”や”悪しき因習”などではなく、一定数の人間に先天的に与えられた”性==セクシュアリティー”の一つであることの、何よりの証明であると、僕は捉えています。

 だからこそ、こうした国々で苦しんでいる同性愛者たちを想うとき、また彼らが声を上げ、動こうとしているとき、その叫びと行動に共感しないわけには参りません。機会があれば、微力でも支援したいと、僕は思うのです。
 同じ遺伝子を継承する人間として。

 ただし、同性愛先天説については、まだまだ抵抗も大きいようです。
 直近のニュースでは、次のようなものがあります。

〔参考記事〕
AFPBB News
イタリアの同性愛者人権擁護キャンペーンで騒動
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2302512/2278795

 イタリアで、「HOMOSEXUAL」と書かれたリストバンドをしている赤ちゃんの写真が使われたキャンペーンポスターを巡って、同性愛は先天的なのか否か、議論が起きていることを伝えています。

 僕の個人的見解ですが、自分の幼児体験を想い起こしても、やはり僕のゲイネスは幼い頃から発現していたと思われ、先天説に同意します。まだ、性のあれこれを知る以前から、僕は間違いなく同性に惹かれていたのですから。

〔関連記事〕
【ゲイ想】バットマンという雛形
http://tapten.at.webry.info/200701/article_15.html

画像

 さて、ことのついでに、僕らの日本社会より、ずっと進んでいる社会―――国として同性愛を肯定的にとらえ、積極的に法的保障を与えている例を見てみましょう。

同性(登録)パートナー制度を施行している国

<ヨーロッパ>
イギリス
フランス
アンドラ
ポルトガル
スイス
ドイツ
ルクセンブルグ
チェコ
ハンガリー
スロベニア
クロアチア
デンマーク
ノルウェー
スウェーデン
フィンランド
アイスランド

<中東>
イスラエル

<南太平洋>
ニュージーランド

<南米>
コロンビア 


同性婚を認めている国

<ヨーロッパ・北米>
オランダ
ベルギー
カナダ
スペイン

<アフリカ>
南アフリカ

〔参考資料〕
Image:World homosexuality laws.png(同上)

 アメリカの一部の州では、マサチューセッツ州のように同性婚を議会が認め、合法化しているところもあります。ただ、連邦法がこれを認めようとしないので、現在は登録のみが可能になっていると聞いています。また、同性(登録)パートナー制度を施行している州としては、ハワイ州、バーモント州、カリフォルニア州、ニュージャージー州、メーン州、コネチカット州、が挙げられます。
 アメリカのように、地方州レヴェルで同性(登録)パートナー制度を施行している国には、アルゼンチン(ブエノスアイレス州、リオネグロ州)、オーストラリア(タスマニア州、首都特別地域、クイーンズランド州、西オーストラリア州)、ブラジル(リオグランジドスル州)、などがあります。イタリアも、たしか、そうだったと想います。

 日本ではどうでしょうか。この際、国レヴェルでなくとも、例えば大阪市、あるいは大阪府辺りが先頭を切って、地方レヴェルの同性(登録)パートナー制度を実現してしまうことができたら、オモロイことになるのですが、可能性は低いのでしょうか。

〔関連記事〕
【ゲイ想】大阪市、同性カップルを祝福する施策発表
http://tapten.at.webry.info/200610/article_13.html

 こうして考えると、地球はまだまだ広いのです。
 上を見たら切りがないし、下には下で、僕らよりももっとつらい環境で生きている人たちもおられます。
 文化的・歴史的障壁を簡単に考え、安易な批判をすることもできません。
 しかし、いっぽうで虐げられている人たちのあることを、看過することもできません。

 いろいろな現実を踏まえ、日本社会で生きる僕らが、僕らなりにできることを頑張ると、けっきょく当面の答えはそこへ行き着くのですが。

 皆さんは、それぞれ、どうお感じになるでしょうか?

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コメント(28件)

内 容 ニックネーム/日時
なるほど意外でした。シンガポールってかなりゲイ・カルチャーが大っぴらなところなんですけどね。もしかしたら「同性愛者をこれらのマイノリティとはみなさない」「マジョリティーである」という意味だったりして。
あるいは最近中東のオイル・マネー運用に熱心なシンガポールとしては、大手取引先のイスラム国に神経を使っているのかな。
それはさておき、僕の好きなシンガポール映画を一本ご紹介します。ストーリーの本筋はコメディーなんですが、主人公の弟が性同一障害である、というエピソードがかなりピリッとストーリーを引き立てていて、娯楽に収まらない奥行きのある先品に仕上がっています。シンガポールのリアリティーがとても良く表現された作品ですので、まだでしたらぜひご覧いただきたいです。
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B00005HPQA/249-2264986-8225940?SubscriptionId=1PGV4GGGAXZ1AMXAKKG2
darimana
2007/10/25 20:08
円山さん、こんにちは。
ゲイの国際環境を問題とするとイスラームはすぐにやり玉にあがりますが、一神教と多神教の違いというより、これは法や生活習慣に対する、イスラームとそれ以外の文化圏の大きな違い、つまり現代社会の多くの国々(欧米および日本)が基本的には自然法にもとづき社会行動を律しているのに対し、イスラームの法体系(社会規範)はイスラーム法と呼ばれる独自の概念で律されていることをまず念頭におくべきだと私はおもいます。
これを抜きにして、同性愛や特定の性行為は「自然」であるかどうかを論じても、イスラーム圏では議論がまったく意味をなさないし、説得力をもたないのではないでしょうか。
では、イスラーム圏も自然法を採用すればいいという議論になるかというと、ムスリムにとって、それはイスラームという宗教を捨てろというのとほとんど同じことになってしまうので、不可能だとおもいます。
ですから、私は、単純にイスラーム諸国を非難するのではなく、イスラーム法の範囲のなかで、社会的に同性愛はどこまで許容できるか考えるのでなければ意味をもたないとおもっています。これ自体、かなり困難な問題なのですけれど。
闇太郎
2007/10/26 01:07
上のコメントを簡単に補足しておきます。
@シンガポールの国家事情はよくわかりませんが、すぐそばにインドネシアという世界最大のイスラーム国があるので、もしかすると、同性愛禁止ということはそうした環境と関係があるのかもしれません。
A『コーラン』は同性愛を明確に禁じていますから、ごく一般的に考えれば、『コーラン』およびそれを信奉するムスリムと同性愛に共存の余地はありません。この点は、キリスト教の『聖書』以上に明確です。
Bイスラーム法という法概念をはじめて耳にする方もいらっしゃるかもしれませんが、わかりやすくいえば、これは「掟」の集大成です。個々の掟には、なぜその掟を守らなくてはならないか(破ってはいけないか)、自然法的判断の余地はなく、掟であるがゆえに守らなくてはなりません。
   *   *   *
以上の点からすると、イスラーム社会と同性愛の共存はかなり難しい問題だとおもっていますが、「イスラームは間違っている」と安易に非難するのではなく、イスラーム社会を尊重する方向で、なにか解決策が見出せないものか、いろいろ愚考しております。
闇太郎
2007/10/26 01:23
重ねての投稿、お許しください(重要かつ難しい問題ですから)。
   *   *   *
先日、イラン大統領がアメリカで行った発言が同性愛との関連で大きな問題となったようですが、私は、彼の真意は、ムスリムでありかつ同性愛者であることは不可能だということにあったのではないかとおもっています。ムスリムの立場からすれば、それはそうなのです。
このあたり、キリスト教を信奉する方のお考えもうかがってみたいところですが、一般的に考えれば、キリスト教を信じるというのは、その教義を信じ、そのモラルを受け入れることであり、その範囲のなかで社会的行動はある程度自由です。ですから、キリスト教社会のなかで、神の法に対する自然法という概念が生まれてきたわけですね。それと、これにはキリスト教普及以前のローマ法の概念も影響していると考えられます。
このあたりの議論は、宗教や社会背景を異にする東アジアでも受け入れやすいですし、東アジアの法概念は、はじめから自然法的だったと考えることも可能だとおもいます。
闇太郎
2007/10/26 01:57
ところが、イスラームというのは、アッラーを信じるという意外に明確な教義はなく(『コーラン』は煩瑣な神学的議論を禁止しています。またイスラーム社会にはキリスト教社会と同じような意味での聖職者も教会組織も存在しません。このあたり、イスラームは徹底的に平等主義的であり、それゆえ今なお信者が増えているのだとおもいます)、アッラーを信じるということは具体的に何をさすかというと、アッラーの定めた行動規範に従って生活するということなのです。
ですから、イスラーム社会のなかでは、法、モラル、日常行動(および信仰)を切り離して論じることは不可能に近いのですね。不自由といえば、不自由極まりないですけれど。
(このあたり、イスラーム社会というのは、ある意味でフーコーのパノプティコンのような、万人が万人を監視する社会といっていいのかもしれない。)

ですから、こうした点をふまえたうえでの議論でないと、イスラーム社会と同性愛の問題は、非イスラーム社会とのあいだにいたずらに対立をもたらすだけの不毛な議論になってしまうのではないかと私はおもいます。
闇太郎
2007/10/26 02:08
>darimanaさん
 >>>シンガポールってかなりゲイ・カルチャーが大っぴらなところなんです>>>か?
 僕は、シンガポールを識らないので、どういう状態なのか、無知無明でお恥ずかしい限りなのですが、議会でいろいろ議論した末に、刑法の改正を見送ったらしく、シンガポール社会は保守的なのだ―――と決めつけているリー首相のお考えが、どういう根拠で形成されているか、是非とも知りたいものです。ゲイ・カルチャーが大っぴらな社会の、どこが保守的なのでしょうね? いったい、あの国の政治家は、どういう物差しを持っているのか、とても気になります。
 ご紹介の映画を全く知りませんでしたが、このブログ、amazonのアフィリエイトもできるので、はっつけてみようかしら? (^o^)
円山
2007/10/26 03:48
>闇太郎さん
(1)ムスリム・ゲイ―――を、ご存じでいらっしゃると想います。僕は詳しくありませんが、イスラムを尊びつつ、ゲイとして自己を確立しようとしているムスリムたちが数多く存在することを小耳に挟みました。命がけの困難をかえりみず、それでもゲイであり、またムスリムであること、その両方に誇りを持っている人たちの生きざまを想うと、胸が熱くなります。きっと、イスラム社会にも、同性愛に寛容たれと心密やかに念じる人々が多くあることを祈ります。同性愛者を吊し首にしようとする人たちは、僕から見れば原理主義者です。果たして、全てのムスリムが原理主義者なのでしょうか? 僕に断言はできませんが、そうではないことを願っています。
円山
2007/10/26 03:49
(2)いっぽう、同じ同性愛者として、同性愛者が同性愛者であると言うだけで、虫けらのように殺される実態が<あるとするならば>、僕はそれを、あちらのしきたりだからタッチできぬ―――と看過することはできません。もちろん、イスラム社会へ軍隊を送って、全てのムスリム同性愛者を解放することなど、僕は微塵も考えませんし、主張もしません。しかし、いくら価値観が異なるとは言え、かかる実態を見過ごすことはできません。闇太郎さんの仰る学問的解釈は、僕のような者にもよく解りますが、現実的に、イスラム社会に生まれついた同性愛者たちを、同じ遺伝子を持つ仲間として、<如何にして救うべきなのか、否か>、いつの日か、あたらめてご講釈いただければ幸いです。
円山
2007/10/26 03:50
(3)一神教的同性愛禁忌の規範を持たない僕ら日本人には、イスラムの同性愛タブーはもとより、キリスト教世界の同性愛タブーにしても、実感を以て理解できないだろうと思います。キリスト教的タブーは宗教的罪の意識に裏打ちされ、その抑圧が強かったがゆえ、反動で法的保障を得た欧米型の同性愛運動は、まさに法律を制定することによってこそ初めて、同性愛の無罪化を勝ち取ったのです。イスラムそのものが法であるのなら、このやりかたをも採ることができないのでしょうね。日本ではどうか。ご承知のように、日本のタブーは恥の意識に裏打ちされています。僕は、日本的世間体原理主義の打破が、日本の同性愛タブーを恥の意識から解放する手段ではないかと考えています。
円山
2007/10/26 03:53
(4)もちろん、日本的世間体原理主義を打破することは、日本的伝統の一部を破壊することにも繋がるかも知れません。仮に、それが都市部で可能だとしても、保守的意想が強い地方では、極めて困難ではないかとのご指摘を、ある方から頂戴しています。ただ、現実に、都市部ではなく地方から、世間体原理主義の打破を目指しているゲイ諸君を、僕は個人的に知っています。彼らは、本当に頑張っておられます。斯様な実際の動きを無視し、概念だけで事象を語ることもまた、できないのだろうと感じています。
円山
2007/10/26 03:54
円山さん、お返事ありがとうございます。
まず議論の大雑把な前提として、『イスラーム辞典』(岩波書店)の「性」の項を引用させていただきます。私と円山さんの「書き方」の違いは、意見の根本的相違というより、言葉の定義の違いによるものが多いようにもおもいますし、イスラーム社会を考えるとき、欧米的な定義も東アジア的な定義も、そのままでは通用しないことが多いですから。
それと、次に引用する「性」の項では、同性愛について特に述べられていませんが、基本的には、異性間の性の禁忌に対する考え方がそのまま援用されるのではないかとおもいます。
闇太郎
2007/10/26 13:27
「クルアーンは<われ(アッラー)はすべてのものを男女の対に創った>とし、雌雄の交わりによって生物一般および人間が繁殖することを自然の理としている。イスラーム法における”成人の規定”も、次世代を生産する生殖能力を基準として定められている。イスラームは宗教として、”禁欲”を称揚せず、合法的に性欲を満たすことを奨励する点に特徴がある。(続く)」(『イスラーム辞典』より)
闇太郎
2007/10/26 13:30
以下、「性」の項目の核心部です。
   ☆    ☆    ☆
「合法的性行為とは、婚姻契約を交した男女が断食中など性行為が禁じられた特定の時を除いて、性交およびそれに関連する行為を行うことをさす。そのため<結婚は信仰の半分(ほども値がある)>というハディースのように、婚姻が奨励されている。(中略)性交が”結婚している夫婦以外の成人間で行われた場合、ズィーナー(姦通)とされる。夫婦以外の男女の場合、禁止行為を導く行為は禁止されるとの原則により、2人だけで密室に籠ることや、性交にいたらない性行為(接吻、愛撫など)も禁止事項となっている。(中略)夫婦間の体位は、正常位・後背位・座位等どのような体位も可である。肛門性交は禁じられている。(以下省略)」(『イスラーム辞典』より)
闇太郎
2007/10/26 13:33
以下、若干の私見を述べさせていただきます。
   ☆    ☆    ☆
まず、「ムスリム・ゲイ」ということですが、私からするとやはり、ムスリムであってゲイであることは、「ムスリム」という言葉の定義上不可能なような気がするのです。円山さんがおっしゃる、「ムスリム・ゲイ」というのは「自称」であって、ごく普通に字義どおり考えれば、ムスリムおよび『コーラン』とゲイが共存する道はないようにおもいます。ただ、このあたりは、イスラームという宗教をどう考えるかの問題で、あまり生産的な議論にはならないとおもいますが…。
ですから私は、イスラーム圏におけるゲイの問題は、ムスリムと非ムスリムの共存の問題としてとらえた方がいいようにおもいます。つまり、イスラーム地域にもゲイは存在し、それらのゲイの存在は『コーラン』とは相容れないが、それらの人々は非ムスリムとして許容され、あるいは社会的保護を受けるべきであると。
闇太郎
2007/10/26 13:46
それと、これも言葉尻をとらえるような些細なことで恐縮ですが、「イスラーム原理主義」という概念は、イスラーム社会の外からみた概念(キリスト教社会からみた概念規定)であり、イスラーム社会の内部からすると「原理主義」は非常に定義しにくいという議論もあるようです。
それでも、イスラーム社会の内部にあえて「原理主義者」を探すという場合、サウジ、アフガンなどで有力なスンニー派は、『コーラン』を字義どおりに墨守しようという伝統重視派であり、そのなかからいわゆる「原理主義」グループがでているようですが、イランが代表するシーア派は、『コーラン』に対して、ある範囲内の解釈を許容するいわば改革派ですから、『コーラン』原理主義とは本来的には相容れないのです。そのイランが、イスラームの伝統を守ることに頑なになっているというのは、そこに「原理主義=悪」だけでは解決できない問題があるのだろうと、私はおもっています。
闇太郎
2007/10/26 13:57
イスラームは一神教であるがゆえにゲイに敵対的なのではなく、イスラームという宗教自体が本質的にゲイに非寛容であるということは、上に書いたさまざまな点からご理解いただけているのではないかとおもいますが、それゆえ、イスラーム社会におけるゲイの社会的許容は、キリスト教社会とおなじ視点や方法論では論じることができないのです(ある意味では、このことが私の一番いいたいことです)。ゲイに対する寛容という以前に、岩波『イスラーム辞典』の記述をお読みいただければわかるとおもいますが、まず一般的な性解放ということが困難なのです。
社会を動かしている根本原理の相違を考慮せず、ゲイ解放の名のもとに、キリスト教社会と同じような方法論をイスラーム社会にもちこむのは、ある価値観の押し売りであり、それこそ自爆テロであって、イスラーム社会としては基本的に受け入れられないのではないかとおもいます。
闇太郎
2007/10/26 14:18
ですから、そういうなかでイスラーム社会におけるゲイへの寛容を勝ち取るにはどうしたらいいのか。これはとても難しい問題だとおもうのですが、イスラーム社会に向かって、「ゲイは自然な性行動の一部であり、世界中のどのような地域にも存在するのだから、イスラーム社会やイスラームの法体系もそれを許容すべきである」と主張することは、必ずしも寛容に結びつかないということを考える必要があるのではないかと、私はおもっています。
   ☆   ☆   ☆
個人的には、この問題を解決するためにまず必要なのは、迂遠なようでも、イスラーム社会と非イスラーム社会のあいだの緊張緩和であり、互いに相手のことをよく知ることではないかという気がします。
(長々とすみません。)
闇太郎
2007/10/26 14:26
>闇太郎さん

 ことばの定義がどうか分かりませんが、僕が言いたいのは、それでも「イスラム教徒のゲイ==同性愛者は存在している」ということです。現実に存在するのです! そして、どうしたら、同じ同性愛の血を引く者として、彼らを救えるのですか―――と、お尋ねしているのですよ!
円山
2007/10/26 23:40
いわゆるイスラーム圏に存在する同性愛者の問題ということであれば、私もなんとか発言できるかとはおもいますが、円山さんのおっしゃる「イスラム教徒のゲイ」というのがどういう人たちであるのか、私にはよく理解できません。もう少し勉強させてください。
個人的には、先にも少し書きましたように、イスラーム圏におけるゲイの救済は、可能なかぎりイスラームという宗教の枠をはずして考えた方がよくはないかと愚考致します。
闇太郎
2007/10/27 00:40
>闇太郎さん

http://d.hatena.ne.jp
/Ry0TA/20070911

 Ry0TAさんのブログ「にしへゆく」でご紹介頂いている記事↑↑が、鍵になっています。
 ご迷惑になるといけませんので、Ry0TAさんへのコメントは、お控え下さい。悪しからず。
 ムスリム・ゲイが如何なるものか、ご紹介したかっただけですので……。
円山
2007/10/27 13:13
毎度、皆様のように上手くは書けず、レベルの低いコメントを書いて申し訳ございません;;;
ただ、闇太郎さんの書き込みを見て、なんだか違和感を感じてしまいました。
「他の文化」とか「外国の価値観」とかをあまりにおそれおそれしすぎている、といえば良いんでしょうか・・・。;
或る目には見えない塊or価値・・・「韓国」とか「イラク」とか「キリスト教」とか・・・
そういうものが持つ価値観を「変えられない」または「変えてはならない」という前提で甘やかしすぎ(?)てる感じがします。
正直、文化がいくら違えど、どうしようもなく同じ人間なわけで・・・自分の住んでいる社会とはやり方が少し違っていても、まったく理解することなど不可能な、足を踏まえてはならない全然違う別の世界ってわけではないんですから、そこまで距離持たなくても良いんじゃないのかと思います。
toorisugari
2007/10/29 02:38
その考え方ですと、世の中今のように自由など得とくできなかったんじゃないでしょうか。
全体の像が持つ価値観がどうであろうと、それは所詮全体の像の価値観でしかない。その中で住んでいる人間はほとんど違ってませんよ。実際その中で住んでみとる色んな人・色んな考えが混じっています。

私の周囲にはキリスト教の信者の友人がいっぱいいるんですが(私自身実際元クリスチャンでしたしw※今は違う今はむしろ嫌悪する)、そんな私としてここのブログや他サイトで「キリスト教&クリスチャン」を対象として書いた文を読むと、なんだかよくわからない違和感を感じてしまいます。「ちょっとあんたらカタく考えすぎなんじゃないのかwww」と思うほどに・・・。
toorisugari
2007/10/29 02:39
まぁ、書いた文章全て、仰る通りですし、ごもっとも!心から共感します。私も実際思ったことだらけですしね。そして、キリスト教など私の嫌悪の対象でもあります。ですが、「偏見」というものは何であれ好きになれませんね。「キリスト教」だけでなく「ゲイ」を扱う文章や番組を見ても同じくそうなんですけど、
「だから奴らは皆そうだし、変えることなど不可能」みたいなことを読むと、「いやいやそりゃちゃうってwww」と、つい突っ込みたくなります。
頭と口だけではものは判断できませんよ。実際全身で感じてみないと・・・。
toorisugari
2007/10/29 02:41
実存する、そしてまだ知り尽くされていない色んな可能性を人間の作ったものでしかないイメージのせいで不可能だと決め付けてしまうのはもったいなさすぎる。
国籍が日本の人だと、「韓国の文化は〜で〜だから、[韓国人]はそれを望んではいない。失礼になる。それは無理だ。韓国の文化は〜だからそれを尊重するために〜をするorしない。それに、勝手に私達の価値観を述べてはならない。価値観の押し付けになるから。」とか言いながらなんでも尊重して、弱気になって自分たちが勝手すぎると決め付けるばかりか「韓国はずばりこうだ」というような人もたまにいるんですが(これも「韓国」だけでなく「ゲイ」の場合でもそう)、
(まぁ尊重するのはもちろん重要ですし、押し付けるのは私も好きではありません、けど、)
それも「或るツールにあえて属してない人」「外国人」の持つ一種の「偏見」ですね。行き過ぎれば。
toorisugari
2007/10/29 02:42
韓国という地域で韓国という国籍を持って実際住んでいる人として、それが偏見であるということがよくわかります。言葉だけきいたら物凄く息苦しくて変わるという可能性など微塵もないような絶対と呼ばれている国や文化たちが実際昔から少しずつ変わっていってるんです。その中で住んでいる人たちが「自由」というものを望みながら・・・できるだけの欲望が叶えられる「自由な世界」に向けて・・・まぁ、血液型診断みたいなもので、明確な証拠なんてないんですけどね;;;それにそれが「人類の目標」といっているわけでもありませんw
ただ、文化や規則というものは、所詮、文化や規則でしかないということです。「だから〜だ」と決め付けることこそその文化や価値観をバカにすることになっちゃうんじゃないかなぁ・・・。
toorisugari
2007/10/29 02:43
それに、「文化」という言葉が、たまーに自分らの立場を正当化したりアげるための「いいわけ」に聞こえる時がある。
その中で実際に自由や変化を望む人が「いる」限り、「文化」という言葉では誤魔化せません。
なんか、或る日本人が「日本の自販機はおつりが自動的に出る。韓国は手動なんだな。これもまた文化の差だな。」とか言ってた覚えがあります。「いや、それは普通に日本の方が機械がもっと発達しているだけのことだと思うのだが・・・」と誰もが思っていましたwまぁ、実際、その自販機だけ古い奴だっただけのことw
話が元に戻りますが、
文化や規則では人のありのままの意志を抑圧することなど100%言えるくらい不可能ですからね。その規則や文化というものも結局生活の中で作られたものにすぎませんし。時間とともに自然と変わるようなそういう習慣を「変えられない」ものとして保守しようとしたり、「それをなんとかしよう」or「変えよう」ということに「絶対無理」ってことは「絶対無い」と思います。
toorigari
2007/10/29 02:44
なんだか、書き方はメチャクチャだし、文章の繋ぎ方もわけわからなくなるくらいバカげてますが、
これが今の私の最善でした・・・T_T;すみません!…
では・・・
(ちなみに、私は別に「愛国者」ではありませんw例をあげるために使わせてもらっただけですのでw)
toorisugari
2007/10/29 02:45
>toorisugariさん
 闇太郎さんは、学問的(専門的?)お立場から、正確な言葉の定義を意識しつつ、お考えを述べられたのでしょう。ただ、僕自身、イスラム教徒のゲイと出会ったこともあり、それが理解できないとの闇太郎さんのご意見には首を傾げています。学問的に、イスラム教徒は絶対にゲイではあり得ないのでしょうか? 僕は、イスラム教徒の中に、ゲイが存在しないことを証明することなど、不可能だと考えます(常識的に)―――。字句の定義を正確にやらないと、これまた闇太郎さんには理解していただけないのかも知れませんが……。追々、何かの折りに、ご説明があることでしょう。
円山
2007/10/29 09:12

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