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ロイターが伝えるところによりますと、シンガポール議会が、イギリス植民地時代に制定された刑法・第377条の規定(『自然の摂理に反する性行為を禁じる』)に基づいて、引き続き同性愛を非合法に定めると決めた、とのことです。 ・ ―――同議会が、規定の廃止を要求する嘆願書に数千人が署名したことを受け、同性愛者同士のセックス合法化について”活発な”討論を行った末の裁定―――。 ・ シンガポールでは昨年、16歳以上の「異性同士」が双方の合意の上であれば、アナルセックスやオーラルセックスを認めるとの法改正を実施したようですが、同性同士に関しては、さらに”禁止”を継続することになったと、こういうことなのでしょう。 シンガポールのリー・シェンロン首相は、 「マイノリティの権利は法で保護されるが、同性愛者をこれらのマイノリティとはみなさない」と語ったのだそうです。その根拠を、ぜひともお示しいただきたいものですね。 〔参考記事(一部引用元)〕 この話が、もしも日本のことであれば、僕らは当事者として、それこそ”活発な”抗議行動に打って出ることもできましょうが、なにぶんほかの国の話なので、如何ともしがたいところです。ただ、シンガポールのような国があるとの事実を、ここでしっかり確認する機会なのでは―――と、僕は思います。 僕らが生活する、この日本社会は、例えばシンガポールのような社会と比較すれば、曲がりなりにも同性愛者であることを自由に謳歌できるとの点で、恵まれていることはたしかです。 僕らの社会よりも、同性愛者として生きる意味において、恵まれていない社会はどこなのでしょう。 同性愛に対して、厳しく法的に取り締まっている国々(同性愛・非合法諸国)を、あらためて調べてみました。 同性愛者が死刑になる国 同性愛・非合法諸国は、主として中東のイスラム諸国、そしてアフリカ諸国、中南米諸国の一部ということになりますが、アジア諸国の多くも、かなり保守的な体制であることが解ります。ただ、イスラムなど一神教の宗教的影響や、シンガポールのように旧植民地時代に与えられた法制の名残が、同性愛に対する厳しい意想をもたらしているとも言えそうです。 アフリカ諸国では元来、人々のあいだに同性愛禁忌の意想が強く、また中南米では移民、宗教、旧植民地時代の宗主国、などの伝統的影響が色濃いのではないかと想われます。 こうした国々の体制が、一日も早く同性愛を容認する方向に動くことを希望しますが、文化的・歴史的に、日本社会以上の難しさがあることを認識する必要があると思います。文化的・歴史的障壁に、やすやすと立ち向かうことはできません。 しかし、こうした国々にも、どれだけ社会的意想が厳しかろうが(場合によっては死刑にされてしまおうが)、第一に非合法の規定があることを以て、やはり同性愛者が確実に存在していることの裏返しであると断言することができましょう。 さらにそのことは、同性愛が後天的な”趣味趣向”や”悪しき因習”などではなく、一定数の人間に先天的に与えられた”性==セクシュアリティー”の一つであることの、何よりの証明であると、僕は捉えています。 だからこそ、こうした国々で苦しんでいる同性愛者たちを想うとき、また彼らが声を上げ、動こうとしているとき、その叫びと行動に共感しないわけには参りません。機会があれば、微力でも支援したいと、僕は思うのです。 同じ遺伝子を継承する人間として。 ただし、同性愛先天説については、まだまだ抵抗も大きいようです。 さて、ことのついでに、僕らの日本社会より、ずっと進んでいる社会―――国として同性愛を肯定的にとらえ、積極的に法的保障を与えている例を見てみましょう。 同性(登録)パートナー制度を施行している国 アメリカの一部の州では、マサチューセッツ州のように同性婚を議会が認め、合法化しているところもあります。ただ、連邦法がこれを認めようとしないので、現在は登録のみが可能になっていると聞いています。また、同性(登録)パートナー制度を施行している州としては、ハワイ州、バーモント州、カリフォルニア州、ニュージャージー州、メーン州、コネチカット州、が挙げられます。 アメリカのように、地方州レヴェルで同性(登録)パートナー制度を施行している国には、アルゼンチン(ブエノスアイレス州、リオネグロ州)、オーストラリア(タスマニア州、首都特別地域、クイーンズランド州、西オーストラリア州)、ブラジル(リオグランジドスル州)、などがあります。イタリアも、たしか、そうだったと想います。 日本ではどうでしょうか。この際、国レヴェルでなくとも、例えば大阪市、あるいは大阪府辺りが先頭を切って、地方レヴェルの同性(登録)パートナー制度を実現してしまうことができたら、オモロイことになるのですが、可能性は低いのでしょうか。 こうして考えると、地球はまだまだ広いのです。 上を見たら切りがないし、下には下で、僕らよりももっとつらい環境で生きている人たちもおられます。 文化的・歴史的障壁を簡単に考え、安易な批判をすることもできません。 しかし、いっぽうで虐げられている人たちのあることを、看過することもできません。 いろいろな現実を踏まえ、日本社会で生きる僕らが、僕らなりにできることを頑張ると、けっきょく当面の答えはそこへ行き着くのですが。 皆さんは、それぞれ、どうお感じになるでしょうか? クリックプリーズ
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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なるほど意外でした。シンガポールってかなりゲイ・カルチャーが大っぴらなところなんですけどね。もしかしたら「同性愛者をこれらのマイノリティとはみなさない」「マジョリティーである」という意味だったりして。 |
darimana 2007/10/25 20:08 |
円山さん、こんにちは。 |
闇太郎 2007/10/26 01:07 |
上のコメントを簡単に補足しておきます。 |
闇太郎 2007/10/26 01:23 |
重ねての投稿、お許しください(重要かつ難しい問題ですから)。 |
闇太郎 2007/10/26 01:57 |
ところが、イスラームというのは、アッラーを信じるという意外に明確な教義はなく(『コーラン』は煩瑣な神学的議論を禁止しています。またイスラーム社会にはキリスト教社会と同じような意味での聖職者も教会組織も存在しません。このあたり、イスラームは徹底的に平等主義的であり、それゆえ今なお信者が増えているのだとおもいます)、アッラーを信じるということは具体的に何をさすかというと、アッラーの定めた行動規範に従って生活するということなのです。 |
闇太郎 2007/10/26 02:08 |
>darimanaさん |
円山 2007/10/26 03:48 |
>闇太郎さん |
円山 2007/10/26 03:49 |
(2)いっぽう、同じ同性愛者として、同性愛者が同性愛者であると言うだけで、虫けらのように殺される実態が<あるとするならば>、僕はそれを、あちらのしきたりだからタッチできぬ―――と看過することはできません。もちろん、イスラム社会へ軍隊を送って、全てのムスリム同性愛者を解放することなど、僕は微塵も考えませんし、主張もしません。しかし、いくら価値観が異なるとは言え、かかる実態を見過ごすことはできません。闇太郎さんの仰る学問的解釈は、僕のような者にもよく解りますが、現実的に、イスラム社会に生まれついた同性愛者たちを、同じ遺伝子を持つ仲間として、<如何にして救うべきなのか、否か>、いつの日か、あたらめてご講釈いただければ幸いです。 |
円山 2007/10/26 03:50 |
(3)一神教的同性愛禁忌の規範を持たない僕ら日本人には、イスラムの同性愛タブーはもとより、キリスト教世界の同性愛タブーにしても、実感を以て理解できないだろうと思います。キリスト教的タブーは宗教的罪の意識に裏打ちされ、その抑圧が強かったがゆえ、反動で法的保障を得た欧米型の同性愛運動は、まさに法律を制定することによってこそ初めて、同性愛の無罪化を勝ち取ったのです。イスラムそのものが法であるのなら、このやりかたをも採ることができないのでしょうね。日本ではどうか。ご承知のように、日本のタブーは恥の意識に裏打ちされています。僕は、日本的世間体原理主義の打破が、日本の同性愛タブーを恥の意識から解放する手段ではないかと考えています。 |
円山 2007/10/26 03:53 |
(4)もちろん、日本的世間体原理主義を打破することは、日本的伝統の一部を破壊することにも繋がるかも知れません。仮に、それが都市部で可能だとしても、保守的意想が強い地方では、極めて困難ではないかとのご指摘を、ある方から頂戴しています。ただ、現実に、都市部ではなく地方から、世間体原理主義の打破を目指しているゲイ諸君を、僕は個人的に知っています。彼らは、本当に頑張っておられます。斯様な実際の動きを無視し、概念だけで事象を語ることもまた、できないのだろうと感じています。 |
円山 2007/10/26 03:54 |
円山さん、お返事ありがとうございます。 |
闇太郎 2007/10/26 13:27 |
「クルアーンは<われ(アッラー)はすべてのものを男女の対に創った>とし、雌雄の交わりによって生物一般および人間が繁殖することを自然の理としている。イスラーム法における”成人の規定”も、次世代を生産する生殖能力を基準として定められている。イスラームは宗教として、”禁欲”を称揚せず、合法的に性欲を満たすことを奨励する点に特徴がある。(続く)」(『イスラーム辞典』より) |
闇太郎 2007/10/26 13:30 |
以下、「性」の項目の核心部です。 |
闇太郎 2007/10/26 13:33 |
以下、若干の私見を述べさせていただきます。 |
闇太郎 2007/10/26 13:46 |
それと、これも言葉尻をとらえるような些細なことで恐縮ですが、「イスラーム原理主義」という概念は、イスラーム社会の外からみた概念(キリスト教社会からみた概念規定)であり、イスラーム社会の内部からすると「原理主義」は非常に定義しにくいという議論もあるようです。 |
闇太郎 2007/10/26 13:57 |
イスラームは一神教であるがゆえにゲイに敵対的なのではなく、イスラームという宗教自体が本質的にゲイに非寛容であるということは、上に書いたさまざまな点からご理解いただけているのではないかとおもいますが、それゆえ、イスラーム社会におけるゲイの社会的許容は、キリスト教社会とおなじ視点や方法論では論じることができないのです(ある意味では、このことが私の一番いいたいことです)。ゲイに対する寛容という以前に、岩波『イスラーム辞典』の記述をお読みいただければわかるとおもいますが、まず一般的な性解放ということが困難なのです。 |
闇太郎 2007/10/26 14:18 |
ですから、そういうなかでイスラーム社会におけるゲイへの寛容を勝ち取るにはどうしたらいいのか。これはとても難しい問題だとおもうのですが、イスラーム社会に向かって、「ゲイは自然な性行動の一部であり、世界中のどのような地域にも存在するのだから、イスラーム社会やイスラームの法体系もそれを許容すべきである」と主張することは、必ずしも寛容に結びつかないということを考える必要があるのではないかと、私はおもっています。 |
闇太郎 2007/10/26 14:26 |
>闇太郎さん |
円山 2007/10/26 23:40 |
いわゆるイスラーム圏に存在する同性愛者の問題ということであれば、私もなんとか発言できるかとはおもいますが、円山さんのおっしゃる「イスラム教徒のゲイ」というのがどういう人たちであるのか、私にはよく理解できません。もう少し勉強させてください。 |
闇太郎 2007/10/27 00:40 |
>闇太郎さん |
円山 2007/10/27 13:13 |
毎度、皆様のように上手くは書けず、レベルの低いコメントを書いて申し訳ございません;;; |
toorisugari 2007/10/29 02:38 |
その考え方ですと、世の中今のように自由など得とくできなかったんじゃないでしょうか。 |
toorisugari 2007/10/29 02:39 |
まぁ、書いた文章全て、仰る通りですし、ごもっとも!心から共感します。私も実際思ったことだらけですしね。そして、キリスト教など私の嫌悪の対象でもあります。ですが、「偏見」というものは何であれ好きになれませんね。「キリスト教」だけでなく「ゲイ」を扱う文章や番組を見ても同じくそうなんですけど、 |
toorisugari 2007/10/29 02:41 |
実存する、そしてまだ知り尽くされていない色んな可能性を人間の作ったものでしかないイメージのせいで不可能だと決め付けてしまうのはもったいなさすぎる。 |
toorisugari 2007/10/29 02:42 |
韓国という地域で韓国という国籍を持って実際住んでいる人として、それが偏見であるということがよくわかります。言葉だけきいたら物凄く息苦しくて変わるという可能性など微塵もないような絶対と呼ばれている国や文化たちが実際昔から少しずつ変わっていってるんです。その中で住んでいる人たちが「自由」というものを望みながら・・・できるだけの欲望が叶えられる「自由な世界」に向けて・・・まぁ、血液型診断みたいなもので、明確な証拠なんてないんですけどね;;;それにそれが「人類の目標」といっているわけでもありませんw |
toorisugari 2007/10/29 02:43 |
それに、「文化」という言葉が、たまーに自分らの立場を正当化したりアげるための「いいわけ」に聞こえる時がある。 |
toorigari 2007/10/29 02:44 |
なんだか、書き方はメチャクチャだし、文章の繋ぎ方もわけわからなくなるくらいバカげてますが、 |
toorisugari 2007/10/29 02:45 |
>toorisugariさん |
円山 2007/10/29 09:12 |
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