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アメリカ・カリフォルニア州での出来事を、そのまま日本に当て嵌めることはできません。 あちらで進んでいる”ある議論”を、日本で次の指導者が誰になるのかを巡る議論と重ね合わせてみると、政治的状況の決定的差違を歴然と識ることができますし、ひるがえって、日本の政治的状況を考えたとき、この国の国会へ、同性愛(LGBT=レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)イシューをメインに掲げた政治家を誕生させることに、どれほどの意味があるのだろうと、僕は頭を抱えてしまいます。空しい気持ちで。 ・ カリフォルニア州のシュワルツェネッガー知事は、2005年に同州議会で同性婚法案が可決されたあと、残念なことに拒否権を発動して、この法案を葬り去ってしまいました。さて、今度はどうなのでしょう。注目点はそこです。 ゲイジャパンニュースの記事に、詳しく書かれています。 カリフォルニア州上院、同性婚法案を再可決 http://gayjapannews.com/news2007/news210.htm この法案は、「宗教の自由及び民事婚保護法案」と呼ばれるものだそうですが、僕が興味深く感じたのは次のポイントです。 「宗教の自由及び民事婚保護法」は、あらゆるカップルに婚姻証明証取得の平等なアクセスを認めるとともに、宗教の自由を規定。基本的教義に抵触する場合には、いかなる宗教機関も、同性婚の儀式の執行を強要されないことを明記している。 あらゆるカップル……ということは、すなわち同性カップルにも婚姻証明書を等しく与えるのでしょうが、そのいっぽうで、宗教の側に配慮を示し、同性婚の儀式が宗教の教義に反するのなら、それを拒否する自由権を保証しようと書いてあるものと想われます。 アメリカ的だと、つくづく感じます。 日本で同性婚の議論など、ギロンのギの字も出てきませんが、もし我が国で同性婚が議論されるようになったとしても、争点となるのは決して、宗教との折り合いをどうするかではないだろうと、僕は想います。ここに、アメリカ社会で同性愛が嫌悪されてきた背景には、宗教の社会的介在が如何に大きいかを窺い知ることができそうです。 カリフォルニア州では、他の複数州と同様、同性カップルにパートナー登録を認めているようですが、僕のような日本人LGBTからすると、それだけで充分うらやましく思えるのに、さらに同性婚法案にこだわろうとするところが、なおのことアメリカ的だと感じます。登録パートナー制度”だけ”では、まだまだ不公平と満足しないのでしょう。その辺りに、欧米的社会意識の顕著な先進性を察することができます。 たしかに、全ては政治なのです。 しかし、アメリカと日本の政治的状況が、あまりにも違い過ぎます。 来年は、アメリカ大統領選挙の年になるわけですが、誰が候補者に上がってくるにせよ、必ず同性婚に対する政策が問い質されます。つまり大統領を選ぶに際して、同性愛者の人権をどのように考えているか、その姿勢や取り組みかた、考えかたが、政策チェック項目のひとつに位置づけられるまでになっているのです。 いままさに、””安倍ショック””で蜂の巣を突いたような騒ぎになっている日本政界=永田町、そしてマス・メディアですが、自民党総裁=内閣総理大臣=日本国の指導者との方程式がズウッと続き、いまだにそういうことになろうということで(本来は、直ちに衆議院を解散するべきなのですが)、誰が自民党総裁選に出るのか、票読みはどうなのか、誰が有利でどういう連中が支えているのか(甘い汁を吸いたいがために)、……と、まるで大相撲の優勝争いを見ているかのようです。(大相撲を揶揄しているのではありません。)日本人にとって、国の指導者を決めるプロセスに直接加わることができない以上、自民党の総裁レースと、横綱・朝青龍の去就と、さほど変わらないウエイトで報道されてしまうのも、無理のないことかも知れません。情けない話ですが。 それにしても、額賀氏にせよ、麻生氏にせよ、福田氏にせよ、それから彼らの動向を追うマス・メディアにせよ、いったい誰が、どこが、いまこのときに”同性婚”を語ることでしょう。 あり得ません。 ただ、問われているのは数だけ。派閥、派閥、ああ派閥。自民党議員たちが誰になびいて行くか、合従連衡。簡単に言えば、議員たちそれぞれの出世が、誰に近付いて行けば有利なのか、それだけのことでしょう。勝ち馬指向。国民不在。あるのは、政治家本人たちの利益獲得争い。血眼の権力闘争。これが、日本の政治的状況なのです。いつまで経っても、全く変わりません。 空しいこと限りなしです。 このような政治的状況の中で、同性愛者の人権を掲げる政治家を誕生させようとすることに、果たして本質的な意味があるのでしょうか。 そこを、考えて行かなくてはならないのでは、……と、僕は思います。 同性愛者の人権をいくら訴えようとも、ただ(まさに、今日、明日と行われてゆくような)権力闘争の渦の中に巻き込まれてゆくだけに終わってしまうことになりはしないかとの心配です。 例えばアメリカのように、社会の底辺から同性愛・LGBTの人権意識、社会意識が高まり、大統領選の票を動かすほどだからこそ、同性愛者であることを明かした政治家が誕生する流れになるし、またそうなることの意義があるのでしょう。 僕は、日本に同性愛者であることを明かした政治家が必要ないと言っているのではありません。必要は大いにあります。そして、同性愛者であることを明かした政治家自身が、同性愛者の人権を確立するために尽力して下さるような政治的状況を作りたいと、強く願っています。 いま街角で、TVの報道取材インタビューを受けたと仮定して、 「あなたは、総理大臣にどんな政策を求めますか?」と質問されたとき、年金問題への対応、政治と金の問題、社会格差の是正、官僚の天下り禁止、税金の無駄遣いを一掃して財政再建、などを挙げずに、 「同性婚を実現して欲しいです」と応えたとしたら、どうなるでしょう。 マス・メディアがニュースで取り上げるでしょうか。 マス・メディアなど、人々が持つ興味の最大公約数的項目しか情報として流そうとしません。仮にマス・メディアが豹変し、同性婚の実現を訴えまくったとして、実際、そうだそうだと同調する世論を叩き起こすことが、現状で叶うものでしょうか。 あり得ません。 マス・メディアが豹変し、同性婚の実現を訴えまくること自体が、まずあり得ません。 日本人の性格からすると、同性愛者が一団を成し、大挙して人権を訴えるような行動を見たとき、特異に映る存在をなるべく排除しようとの暗黙的本性が作動してしまうだろうことは、容易に想像ができます。日本人は、一団を成すものに対し、複団を以てこれに対峙し、穏やかさを装い、体良く粉砕しようとする性格があるように思います。特異なもの、目に付く邪魔者を取り除けようとするのです。世間体を気にするからでしょう。世間さま、ああ世間さま。 ただし、ひとりひとり個人のレヴェルになると、どうでしょう。 僕は、まだまだ望みがあると思うのです。 いまの段階は、同性愛者であることを明かした政治家を、無闇やたらに立てようとするべきときなのでしょうか。 安倍ショックによって、同性愛者の人権確立は、政策テーマとしてますます光りの当たらないものになってしまっているように、僕は感じます。 満を持して、僕らは充電し続けなくてはならないのです。 しばらくのあいだ。充電が完了するまで。 ひとりひとりのLGBTが、手始めに(1000万人近くは存在するであろう)同性愛者・LGBTの社会意識を高めて行く努力をする段階が、いまなのではないでしょうか。そして、もっとアクティヴにできる人は、やはりひとりひとり、身近なノンケさんたちに向け、地道に僕らの理想を訴えることです。(その点で、ブログは有効な手段だと思います。) そうした労苦を嫌って、同性愛者であることを明かした候補者を唐突に立てたとしても、著しい成果が上がるとは考えられません。 次の衆議院総選挙は、そう遠くではありませんでしょうが、然りとて、仮に、いきなり次の総選挙を目指して良い結果が得られることでしょうか。僕は、懐疑的です。 それが、どうしてなのかは、これからしばらく続くことになる日本の政局、そして混乱した政治的状況を眺めて行かれば、きっと、ご理解いただけようというものです。 クリックプリーズ
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日本の政治・社会状況を見ていて思うのは、まるで基礎数学を知らずして連立方程式を解こうとするかのような、そんな土台の心もとなさです。例えば民主主義という思想の根っこには、一神教の契約概念がありますよね。契約はいわば一次方程式ですけど、これをしっかり叩き込まないと連立方程式なんて解けっこありません。 |
darimana 2007/09/14 21:00 |
>darimanaさん |
円山 2007/09/15 06:50 |
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