前世のどこかで、僕も女性だったことがあるかも知れない。しかし、あいにく前世の記憶が呼び起こせないから、女性だったときの感覚の何一つ、いまでは解らない。そして、いまは男性をやっているものだから、当然のこと、女性の感覚は解らない。性的な話だ。
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性的快感は、女性と男性とで、どうやらかなりの違いがあるようだ。
諸説紛々――。女性の性的快感の強さは男性の二倍程度とも、あるいは数百倍とも言われる。十倍だと聞いたこともある。一体どうなってんだと叫びたいが、いずれの説も女性のほうが男性より強い性的快感を得ているとの点で共通している。
作家の虎井まさ衛さんは、女性の肉体を有しながら男性の性自認を持たれていた。のちに性適合治療によって肉体を男性化させた経験から、女性と男性、両方の性的快感を体験的に比較され、次のように述べている。
「残念なことに、男は絶対に女ほどには感じない。……確かに絶対に女体であったときのほうが、敏感であり、感じやすかった。何倍も、ことによると十何倍も。……男性ホルモン投与の回数を重ねていくにつれて、私は日々自分の体が、ゴムにでも覆われていくような感覚をもっていった。触角、痛覚などが薄くなっていくのである。首筋だのウエスト周りだの、ぼんやりと性感を感じることもあった箇所もすべて、鼻の頭などと同じ色気のない部位とほとんど変わらないほどの感覚しかなくなってしまったのだった。性感帯は、およそ股間周辺のみにまで縮小していってしまった」
(虎井まさ衛 / トランスジェンダーの時代〜性同一性障害の現在〜 / 十月社)
いっぽう、男性は射精によって確実に性的エクスタシーを得るのに対し、女性の場合は性的経験を積まないと、どれだけ陰部をまさぐられようと何がどう気持ちいいのか見当も付かない人があるらしい。乙女から寄せられるセックス相談には、次のような内容が散見されるが――、
「私は、カレシと何度セックスしても、まだ一度もイクことができません。カレシはすごく気持ち良さそうなのに、私は全く濡れもしないんです。気持ち良くなんて、ちっともないんです。でもエッチをしたい欲望とかはあるんです。いつもカレシに申し訳けなく思っちゃうのと、私自身、いっつも悲しくなるんです。どうして気持ちよくならないんでしょう? カレシには、意識しずぎなんじゃないのって言われました。不感症なんでしょうか? どうしたらいいですか?」
――寝ているあいだ、夢で淫らなシーンに遭遇した果てに、オーガズムを伴う夢精にまで至ることもある少年と比べると、これは大きな相違である。
つまり、性的に熟した女性なら男性の数倍ないし数十倍(or 数百倍?)の性的快感を得るものの、女性の境遇によっては、あににくなかなかその域に達することができず、さらなる性的経験を積むことが要求される反面、男性の場合、得られる性的快感そのものは大したことがないにせよ、性的行為のたび、ほぼ自動的に一定の性的エクスタシーとオーガズムに到達できる、――と比較対照できる。
女性と男性、性的快感の度合いと体験確率とを掛け算すると、ほぼ同じ値になるのかも知れない。だとすれば、なるほど神は男女を平等にお作りになったのか。
もっとも、女性には産みの苦しみがあるが男性には無い。だからこそ、女性の性的快感には初期設定からオマケが付いているとも考えられる。それが開発次第であるところが味噌であろうか。
男性の射精は――、
@大脳で感知される性的快感と興奮が高まるにつれ、射精中枢からの指令によって精液が精巣から尿道内に押し出され溜まってゆく
A尿道に溜まった精液の内圧が限界に達すると、射精管閉鎖筋が堪え切れなくなり、球海綿体筋の律動的収縮によって精液が尿道から勢い良く射出される
――と、大脳および生殖器周辺の反射によって起こり、その過程で局所的にオーガズムが発生する。
女性の場合、オーガズム時に子宮筋が収縮運動を起こすことによって、性的快感が全身に広く伝わることになるのだそうだ。なるほど。
女性の子宮筋の収縮運動は、男性が射精時に起こす球海綿体筋の律動的収縮とほぼ同じ間隔で起こるようで、要するに男性の射出する精液を無駄なく子宮内へ誘導する仕組みになっているようだ。また、同時に子宮の奥が風船のように膨らむ現象も起こるらしいが、これは精液をしっかり子宮内へ溜め込むための反応だと言われる。うーむ。
前進直行して放出しようとする男性的本能に対し、弛緩開放して吸い尽くそうとする女性的本能が、双方、オーガズムの一致を果たしたとき、まさしく生殖目的一本に機能集約を実現させるように出来ているとは、実に肉体の神秘を感じる。だが、どうだろうか。実際は一緒にイクことなど、なかなかできるものではないのではないか。達人の意見を求めたい。
男性には生殖器周辺の局所的な性的快感が発生し、女性には生殖器から広く全身へ拡がる豊かな性的快感が発生する。男性の性的快感は射精に伴うものだから毎回確実に起こるが、女性の場合は射精に相当する反射がなく、従って性的快感は、個々の性的経験や性的行為時のイマジネーション、雰囲気、気分、などに依存する、あるいは左右されてしまうことになると言われる。
また、性的行為に際して通常、男性は痛みとは無縁だが、女性の場合、これに伴うある程度の痛みを堪え乗り越えることで、いわゆる脳内快楽物質の分泌が促される。おそらく、この脳内快楽物質の作用が女性の性的快感を倍増倍々増させるゆえんなのだとも思われる。
こうして、一般的に男女のセックスを語るとき、精力有り余る男性が、生来敏感に作られている女性の肉体をじっくりと高め、痛みに馴染ませ、気分を解しムードを和らげた上で行為に及び、射精衝動を巧みに調節しながら丁寧に女性を絶頂へ導くという、大層な努力をしなくてはならないことになる。男性にとって、相手は他ならぬ愛する女性なのだろうから、そのぐらいの労苦を惜しむことはないし、相手も女性もそこまで自分のことを愛してくれる男性ならばこそ結ばれて良しとするのだろう。セックスとは本来、気高い行ないなのである。
そして――、
男同士のアナルセックスにおいては、受け手=すなわちアナルへの挿入を許す側(つねに片方とは限らない)は、前段までに書いた女性の感じ方とほぼ同じプロセスを辿ることとなる。もちろん擬似的にではあるし、本物の女性のように男性の数倍〜数百倍もの性的快感を得るまでにはもちろん至らないのだが、それでも男性として得られる性的快感のマキシマムを感得することにはなるのだろう。”こと”が上手く運んだらの話だが。――でも、”こと”が上手く運ぶかどうかという点は、男女のセックスにおいて女性を満足させられるかどうかと似ている。あるいは同じだと言っても良いだろう。
経験の少ない女性がなかなか性的快感を得ることができないのと同じで、アナルセックスにおいて、アナルによる性的快感を知るまでにはある程度の体験的蓄積が必要である。
アナルへの刺激に痛みを伴う点でも、女性の感覚に近いものがあろう。痛みを馴染ませるために分泌される脳内快楽物質の作用が、受け手の男性が得る性的快感を特別なものにしていることは確かだろう。
アナルへの刺激は、前立腺への刺激と同義だが、前立腺を単体で刺激するだけで性的エクスタシーとオーガズムを得るのは、理屈として可能ではあっても現実に簡単ではない。当然、ペニスを直接刺激するほうが有効だが、それでは男性が通常すぐ射精してしまうように射精してしまうので、決定的場面になるまで”お預け”にしておくのが普通だ。それに、ペニスを刺激する分だけアナルが固くなるなどの支障もある。いろいろ難しいのである。
よほどの経験者でもない限り、アナルの強固な括約筋の力を自由自在に操ることはできないから、まさに女性の膣を愛撫するのと同じように、あるいはそれ以上の優しさで、時間をかけ、気分を解しムードを和らげた上で行為に及ぶ。ペニスを挿入した側は、自らの射精衝動を巧みに調節しながら丁寧に相手の男性を絶頂に導く。これもまた、男女の営みと何ら違わないのではないか。一緒にイクことなど、実際にはなかなかできるものではないことも。
ところで、いろいろ調べもし、自分の体験なども併せてここまで書いてきて、では、どうして性的快感が快感たるか、つまり、なぜ性的行為はいい気持ちを伴うのか――について、結局のところ分からなかった。
実は、それを考えながら書いていたのである。
性的快感の正体も分からないが、だいだい、あのオーガズムとは何ものなのか。
ほとんどの人はイクのが好きだと想うのだが、イキ好きの人は、セックスにせよオナニーにせよ、イッてなんぼ、イカなきゃ銭返せというぐらいイクのが好きである。イクと承知しているからこそ、そのイキを獲得するために性的行為をするのだ。
では、どうして人はイクのだろうか。あの激しい気持ちよさとは何なのだろうか。キリスト教的表現をすれば、神が与え賜うた妙なる快感であるに違いない。神の業であるのなら、きっとわけがある筈だ。
以前、ゲイ嫌いを自称する知人が、どうしてゲイはいけないかを次のような主旨で語っていた。
『ゲイは同性同士エッチをするから、異性より互いに感じるツボを心得ている。それを相手に施すから、さぞかし強烈な快感に浸るのだろう。なんと貪欲なことか。それは麻薬に溺れ中毒に陥っているのと同じだ。しかも、ゲイのエッチは絶対に生殖を伴わない。超・気持ちいい上に楽をしている。だから、これを認めることはできない』
僕は、その知人が独身で、さんざん風俗通いをした挙げ句、女喰いの自慢話をすることをあげつらえ、次のような主旨で反撃した。
『あなたにしても、それだけ風俗嬢とセックスしておいて、赤ちゃんを一人も産ませていないのではないか。生殖を伴わないセックスに明け暮れているあなたが、どうしてゲイのことを責められるだろうか。ゲイ・セックスが強烈な快感かどうかは一概に言えない。相手にも気分にもよるものである。あなたのほうこそ、テクニシャン風俗嬢の卓越した性戯が忘れられないからこそ、熱心に通いつめているのではないだろうか』
愛の無いセックスが横行している。
だから、産んだばかりの赤ん坊を無残に捨てられるのだろう。
別れた妻とのあいだにできた子どもを、新しい女と一緒になって虐待できるのだろう。
妻子をホームレスに貶めて、他の女に溺れられるのだろう。
夫を殺してバラバラに切断できるのだろう。
セックスに気持ちよさばかりを求め、愛を忘れているからではないのか?
気持ちいいからセックスをするのは、僕だって同じだ。
でも、我がパートナー君としか本物の深いセックスをしたことがない未熟者の僕は(ホントの話)、二人で一緒に気持ち良くなっているうち、ヤツに対して無上の情愛が湧き上がって止むことのない経験を何度もしている。そして、いつまでもそれが忘れられない。
だから、我がパートナー君にも普段から左様なことを言って僕の愛の真剣さを告げるのだが、
「このアメリカ人め!」と、ヤツは日に何度も”愛してる”を連発する僕を、そのようにからかって呼ぶ。
何を言うか。恥ずかしいだけだろう。お前だって分かっているくせに。
セックスがどうして気持ちいいのか、その科学的説明はできなくとも、ともに全てを許し合って大楽の境地に浸ることで、言語を絶する宇宙の慈愛に包まれるのは確かだ。そのとき心のうちそとを貫いた宇宙の慈愛は、そのままヤツと僕の強い結びつきとなっている。愛し合っているのだ。
結ばれて、ともに性的快感に包まれること、互いに相手に対して性的快感を施し合うこと、そうした行ないこそが愛を注ぎ合うことであって、愛なくしては為し得ないことではないだろうか。
また、ともに性的快感に包まれる体験を経ることで、愛と絆は一層増すのである。ああ、不可思議なり。
何を当たり前のことを言っているのかと笑われそうだが、性的行為が性的快感を生じせしめるのは、二人して気持ち良くなること、理想的には一緒にイッてしまうことを通じ、二人の愛と絆が深まるからであって、まさにそのためにこそセックスは気持ちいいのだと、いまさらながら妙に納得している僕なのである。
愛のあるセックスをしよう。
愛のあるセックスであれば、それがどのような形をとろうと構わないじゃないか。
たとえ、男同士であろうとも。
男女のセックスと男同士のアナルセックスと、大した相違が無いことは、さきほど簡単にだが述べた通りである。
愛をもたらし愛を育むセックスをしよう。
勃たなくなったって、体力が持たなくなったって、如何様にも代替策はある。
オーラルセックスだって、ヴァニラセックスだって、いいじゃないか。
愛の自由とは、相手が異性だろうと同性だろうと、愛する人を愛し、結ばれた相手と愛し合い、そして終生、愛し合い続けることのできる自由である。
しかし――、
僕らの社会には、まだ愛の自由がない。
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