低能流[ゲイ]文章計画

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help リーダーに追加 RSS 【ゲイ想】 やっぱ、仲間だよね

<<   作成日時 : 2007/04/02 12:31   >>

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 僕が、初めて新宿二丁目に”呑みに出て”きたのは、そう遠いむかしではない。
 同年代のゲイ諸氏に訊いてみると、二丁目派の人たちの多くは、二十代のころから”出始め”ていたそうだ。
「20代ころは、遊びまくってたわあー。この歳になると、反動で全然だめよ。一丁上がりね」
「若いときには、ずいぶん鳴らしたもんだぜ。いまは、すっかり干からびてしまったがな」
 ――などと、宣うていたりもする。愚痴なのか、自慢なのか。いや、やはり愚痴なのだろう。
 正直申して、若いうちから、二丁目であるかどうかは別として、ゲイ・コミュニティーに絡んでこられたというのは、幸せなことだろう。もちろん、一匹狼的ゲイとして、左様な交流がなくとも構わないと仰るなら、それはそれ、何も悪いことではない。いまの時代、むかしと違って、友達・恋人などを得ようと思えば、ゲイ・コミュニティーに参加しなくても、インターネットなどの手段はいくらでもある。

 僕の場合、二十代は、まったくゲイ・コミュニティーとは無縁だった。映像屋になろうと、撮影遠征を目論んでいた。バイト代のほとんどを貯金していた。仲間たち(ノンケばかり)と一緒に、日々の時間とエネルギーを映像屋になるためだけに費やしていた。だから、ゲイ・コミュニティーどころではなく、恋人もなく、いまから想うと、欲深い僕には似つかわしくないことに、とんでもなく禁欲的生活に勤しんでいたような気がする。あのころは、それでも良かったのだろう。いまの認識で言うと、もし二十代からゲイの友達などがいたら、僕のマインドは、もっと早くから自由に解き放たれていたに相違ない――と痛感するのだが。

 あれは、1984年の末ごろだったか、初めてタイランドを(撮影などの目的で)訪れたとき、あそこは敬虔な小乗仏教の国だから、てっきり性に関してもお堅いのか――などと、まるで見当違いの理解をしていた。あるときバンコクの小さな書店に赴いて、店頭に並んだゲイ・グラビア雑誌の数々を発見したときには、まさに度肝を抜かれたものだった。こと性風俗に関して、(当時)大いに寛容な国だったことを初めて理解した。その上で、あらためてタイの人たちを見渡してみると、あの国には、性を売る仕事をしている女性や、また少年たちが大勢いたことに気付いたのだ。お恥ずかしい話だが、僕の知識とは、斯様に拙いものだった。パタヤの街だったか、いわゆるゴーゴーボーイたちと遊べる刺激的なバーを発見したときは、たまたま開け放たれていた舞台そでのドアから、美しい肢体を扇情的にくねらせながら踊る少年たちの姿を目撃し、悔しい気持ちになったものだった。観光ではなく、あくまで撮影が目的の旅だったのと、一緒に行ったメンバーがみな、ノンケだったからだ。
 いろいろなことがあって、帰国ののちしばらくしてから、映像屋になろうとの挑戦が立ち行かなくなり、僕は差し当たっての定職を得て、普通の賃金労働者になった。もう三十代になっていた。あちこち外国に出ることもなくなり、当面は日本で腰を据えることが確実になってきたので、僕は真剣に恋人を探したいと思うようになった。ゲイ雑誌、当時は「薔薇族」と「さぶ」ばかりを買っていたのだが、それらの文通欄を利用して恋人を探す努力を始めた。まだ、パソコンがあまり普及していなかった時代だ。恋人は、できたり別れたり、またできたり別れたりを繰り返し、虚しい月日が経過した。パソコンを使うようになって、ニフティーサーヴというパソコン通信を利用し始めた。最初は気が付かなかったが、しばらくしてから、そこにゲイやレズビアンが集まってネット交流するフォーラムが存在することを知った。どのようなものかと加入してみた。いまから、たった十数年むかしのことだ。それが、僕がゲイ・コミュニティーに触れた原初だったのである。

 現在のミクシイやブログ交流と比べてしまうと、誠に隔世の感がある。ニフティーサーヴのセクシュアリティ・フォーラムやレインボー・フォーラムに出入りしていたレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーたちの数は、日本中から全部合わせても、アクティブなライターだけでせいぜい数十人、Read Onlyと呼ばれた、書かないで読むだけの人たちを含め、総勢でも100人程度だったのではなかろうか。当てずっぽうだが。
 あるとき、初めてのオフ会に参加した。そこに集まったのは、たしか、たったの10人そこそこだった。まだ、二丁目のゲイ・酒場に行ったことがなかった僕は、そのとき初めて、複数のゲイたちと一堂に会する体験をした。相当に遅蒔きのゲイ・コミュニティー・デビューだったわけである。
 いまでも覚えている。必ずしも、タイプの男ばかりが集まっていたわけでもない。何の深い会話をしたわけでもない。下らないことばかり話していただけのオフ会だったが、そこに集まっていた人間たちが、みな僕と同じ仲間なのだというだけで、心の内に説明のできない感動が湧き上がったのだ。一晩中を呑み明かした。朝になって一人帰宅するとき、他に誰も乗っていない電車の中で、僕は、それまで経験したことのなかった喜びに包まれ、その感涙――止め処なく流れ落ちる涙を拭うことさえ忘れていた。ゲイであることを悩んだことはなかったにせよ、そのとき、僕はゲイとして生きてきて、本当に良かったとさえ感じた。僕と同じように生きている人間たちと生身で接することが、これほどまでの強い共感と、目に見えない連帯の絆を覚えるものなのだと、初めて知ったのだ。それからのち、僕はニフティーサーヴのフォーラムで親しくなった何歳も年下のゲイ友たちに導かれる形で、二丁目のゲイ酒場へ通うようになった。

画像

 新宿二丁目へ”呑みに出る”ことだけが、ゲイ・コミュニティーに参加することではない。二丁目の存在は、解りやすくゲイ・コミュニティーをシンボライズしているに過ぎない。
 同じ意味で、全国にあまた存在するであろうゲイ酒場に足を踏み入れることだけが、ゲイ・コミュニティーに参加することではない。そもそも、お酒や酒席が苦手な人たちだってたくさんいることだろう。

 初めて僕が二丁目で酒を呑むようになったころ、他に、いわゆるゲイ・サークルにも顔を出したことがあった。一橋大学の学生が中心となって運営していたゲイ・スタディーズのサークルや、現在の”L&G市民政治文化フォーラム・アクエリアス”の前身だった”政治を語る会”、劇団・フライングステージ主宰の関根信一さんが中心となっていて開かれていたゲイ・サークル”TOGETHER”など、どれも酒を呑むためだけの集まりではなく、それぞれに趣旨目的を持ったゲイ・コミュニティ活動だ。僕の場合、酒が好きだったこともあり、結局、二丁目にばかり出るようになってしまったが、他にも、主に趣味を軸に置いたゲイ・サークルは、いまでもたくさん存在しているに違いない。スポーツ系、音楽系、映画系、旅系、グルメ系、――種々限りなく。先述したように、いまはインターネット時代なので、あえてサークルに参加しなくても、ゲイ友あるいは恋人などなど、好きなだけこしらえることが可能になった。とは言え、僕が早朝の電車で感涙に咽んだように、生身の人間的交流だからこそ、一層、心をダイレクトに癒やしてくれることもある。
 まだまだ、たった独りで苦しんでいるゲイ諸君がいる筈だ。人付き合いがどうにも苦手というゲイさんたちもいるだろう。無理強いなど、するつもりは毛頭ない。――が、ある程度の勇気は要るけれど、どのような形でも良いから、思い切ってゲイ・コミュニティーの中へ飛び込んでみるのは一興だと思う。取って喰われるようなことは決してないだろう。もしも、いま、淋しさに悶えているようなゲイくんたちがおられたら、踏み出す一歩目が厄介に感じるかも知れないが、どこかのドアを、やけくそでいいからノックしてみたらどうだろう。インターネットからでも構わないが、心の解放、その一番の切っ掛けは、複数の仲間たち――人間同士の輪――の中へ身を投じてゆくことにあると、僕は自分の経験から、そう思っている。

 僕のブログ仲間であり、いまやゲイ・アクティヴィストの一人として、地元の新聞でも紹介されてしまうまでになったゲイリーマン(エディ)さん(松山/愛媛)が、立ち上がったばかりのNPO団体「レインボープライド愛媛」の活動として、”れいんぼ〜ティーサロン”というサークルを企画しておらえる。

れいんぼ〜ティーサロン
第一回茶会
4月15日(日)14:00〜
場所 コムズ(松山市男女参画推進センター)
参加費 500円お茶代
参加希望の方は人数確認のため、予めメールいただけますと助かります
deep8822@yahoo.co.jp


 ゲイリーマンさんのブログ→ http://blogs.yahoo.co.jp/deep8822

 ゲイ酒場に慣れたベテラン・ゲイも、これから”呑みに出る”ようにしたいと考えているゲイも、酒場は苦手だけど友達が欲しいというゲイも、異性愛主義社会に埋没して生きていると、普段なかなか口にできないことを、愚痴でもいいから、好きなだけ語り合えるチャンスとして、こうした場を利用してみては如何だろうか。

 ゲイ・コミュニティーなどと言っても、あいにくなかなか一枚岩にはならないものだ。しかし、日頃からゲイ・リブ活動の真っ只中にいるゲイも、そういうのはどうも――と敬遠しているゲイも、ゲイ・リブを批判するようなゲイも、男作りや遊びに夢中――難しいことよりも愉しいことが一番というゲイも、ゲイであることが嫌なゲイも、みな突き詰めたところでは、きっと連帯できるだろうと、僕は信じている。

 突き詰めたところとは何だろう。
 それは、個々に自分の存在が非道く脅かされていると感じるときではないだろうか。

 仮にいま、LGBTの連帯という意味ではバラバラであろうと、なにしろ時代が時代だけに、いつかはきっと、”小異を捨てて大同につく”ステージが訪れるのではないかと、僕は察知している。

 やっぱり仲間なのだから、――という一点で、僕らは解り合え、繋がり合えるのだと。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
円山 てのるさん、初めまして、輝文と申します。 この度、ブログを始めましたので、リンクを勝手ながら貼らさせて頂きました。 これからも益々のご活躍をお祈り申し上げます。  http://gaymaruke.blog98.fc2.com
輝文
2007/04/02 21:16
>輝文さん

 はじめまして。
 ブログ開始とのこと、おめでとうございます(^o^)
 楽しみに、これから読ませて頂きますね。
 早速リンクして下さって、光栄です。どうもありがとう。
 僕もリンクさせてもらっちゃおうかな。
 宜しくお願いいたします。末永く♪
円山
2007/04/03 02:09
取り上げていただいてありがとうございます!!俺も始めてゲイの仲間たちとあった感動思い出しました。
ゲイリ−マン
2007/04/04 00:15
> ゲイリ−マンさん

 ゲイリーマンさんが、初めてゲイの仲間たちと出会ったときって、どんな感じだったの? 僕と同じように、涙するほど心を動かされるものがあったでしょう(^o^)? ゲイリーマンさんの活動を通じて、年齢に関係なく、そうした感動を初体験するゲイたちがたくさんいるだろうと、そのことを念じて、このようなメッセージを送らさせて頂きました。まだまだ、クロゼットに隠れたまま、仲間たちさえとも出会えていないゲイたちは、想った以上に大勢いるような気がしています。ネットが発達したから、昔と状況は違うけれども、やはり人間同士で接したいという気持ちがあるだろうし、それは必要だと思います。もしかすると、松山にはこれまでさほど多くはなかったサークル活動かとも想え、大変だろうけど、愉しくやれば苦労なんて吹っ飛んじゃうだろうから、頑張ってね。愚痴があったら、いくらでも聞いてあげるから、電話してね(^o^)
円山
2007/04/04 13:09

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