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help リーダーに追加 RSS 【ゲイ小説】ぶっきら坊主プロジェクト Part6

<<   作成日時 : 2006/05/08 20:36   >>

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【ぶっきら坊主プロジェクト Part5よりつづき】
 *
 貴史は、傍らの浄道監督から何の指示も出ないので、カメラのファインダーから思わず目を離した。ひそひそ声で、
「かんとく……か・ん・と・く?」
 カメラを止めないのかと訊いてみる。
 あれ? おっかしいな浄道さん。どうしたんだろう、ぼんやりしちゃって。お疲れかな?――――新堂も奇妙に感じた。
 ここで、一旦シーンが切れる予定で、出来の良し悪し……いずれにせよ、浄道がカットを叫ぶはずのタイミングなのに。
 台詞が繋がらないから自然に間があいた。現場に、静寂が広がり掛けた。
 浄道は、ふっと気付いたように、
「お? おお……いけねえいけねえ……。おいらのポカかい。ここで止まるんだったっけ? は……はっは。ようし、カットでえ……。あの……ど……どうだったい? 秋葉さん……?」
 成田を演じている秋葉に、芝居の出来を尋ねた。
「ボクちゃんは絶好調ですぴょ〜。盛り上がってゆくシーンなんで〜。テンション切らさないでドンドン続けませ〜ん?」
 秋葉は、この場面では撮影現場全体のムードを上げ気味に保つことが大切だと言いたいようだ。
「あ……ああっ。そ……そうだよな。はっは……。すまねえ。じゃあ、いまんとこはオッケーで、次……な。ハイ。よーい……」
 おっかしいなあ。浄道さん、ちょっと今日は様子が変だ。あの人が、これまでズウッと発して途絶えることがなかったオーラを、どういう訳けだか感じない。初めは……十中八九、身体の調子が悪いんだろうと思った。無理しないで欲しいよね。貴史もいるんだし、秋葉さんも来ているし。こんなときは、プロの二人に任せて、浄道さん、ゆっくり休んで頂戴よね。――――カメラが再び回り始めたのに、新堂は集中できなくなっている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
      成田、いきなり元通りのお調子乗りに戻る。
  成田「でね……でへへ。その子って、お尻からモモにかけてのラインとかがもう、よだれもんでたまらないのお。でへでへ。すんごくエッチな凹凸なのよ。えへへ。ボクって、お尻ちゃんがだ〜い好き!」
 はじめ「そうそう。ですからフェチの話でしたな。ふっふ。直人くんのフェチが知りたいものです。大いに知りたい。ひっひっひ」
  成田「されば、このワタクシが当てて進ぜよう、直人くんのフェチを。いざいざ」
      阿波踊り調のSE・BGM。
      酔った客が浮かれて調子に乗る。
成田「世にさまざまなるフェチこそあれど、さてお立ち会いのみぎひだり」
ノリオ「まえからうしろから」
貫太「無理じゃな〜い。アタシたちの場合って、まえからは入らないでしょうよ」
ノリオ「そうそう。だから、まえをしごいてうしろから掘る」
貫太「やっぱし……。アタシ、ネコにゃん、やめられニャイ」
 ノリオ「ちげえだろ。あんた、見た目に似合わずタチってるって噂だぜ」
      困惑したはじめの表情。訝しげに貫太を見る。
      まるで冷めた感じの直人、やや呆れ顔で浮かれた客たちを見渡している。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 役者である秋葉は、ノリオの芝居が気に入らないようで、
「茂木ちゃんさ〜あ。台詞廻しが遅いよ。それから、貫太との息が合ってないかも。間がさあ、イマイチぴったりじゃないよ〜。ここは、あんまり身体の動きは必要ないから。言葉のリズムとか流れに神経遣ってくれるかな……」
 浄道監督の“カット”指示が入らないうちから、うっかり口を出してしまった。
「あっ……、ごっめ〜ん……なさい。ボク……出しゃばったこと言っちゃった。ついつい、普段の稽古みたく勘違い。えへへ。監督ごめんなちゃ〜い。悪気なんかは全然ないの〜」
 分かってるよ、秋葉さん。どうも浄道さんがピリっとしてないから、玄人の本能が働いて演技指導しちゃったんだよね。みんな、それは理解してるって。――――現場に入ったときから、今日の浄道に覇気がないのは、新堂だけでなく、ここにいる全員に伝わっている。
 浄道は、メガホンで自分のスキンヘッドを神経質っぽくポンポンポンと、やりながら、
「いや……、何……イイんだよ、構わねえって。おいら、初めっから専門家の秋葉さんにはよ、ガンガン演出していただくつもりなんだ。それによ、ここのシーンは秋葉さんが演る成田の独擅場だあね。ちょうどイイから……遠慮しねえで……どんどん……進めてくんな……。」
 貴史と雪枝にも助けを求めるような視線を送って、静かに一歩後ろへ下がった。
 アッシュと木乃子がカメラの下辺りにしゃがみ込んで、それぞれレフ板と記録用紙のボードを握りながら、どうしたんだろね浄道さん……みたいな風に、互いに怪訝な顔を見合わせている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
成田(アドリブ)「だからあ。でへ。身体じゅうどこでもフェチってあるのよ。背中でしょ。うなじ、首筋でしょ。のどぼとけ、肩、腕、腰、お腹も胸もそう。乳首よ乳首。あはは。それから割れた腹筋とか、耳もあるわ。でへでへ。えっと、そうね……頭の毛とかあ。あと、体毛フェチとか。それからあ、そうねえ、髭もあるわ。えへへ。足とか、お尻〜。でへへ〜。手でしょ。う〜ん……と、そうそう、ペニス大好き……って言う人いるじゃない。もっこり系とかよね。あ、包茎好きとか。でへへ。あとは〜。ええとねえ……目よねえ、そうそうお目目ちゃん。ふう〜。それから……他に何かなあい? ねえねえ?」
 ノブキ「でもさあ、身体だけとは限らないわけでしょう? 例えばSMだって、あれもフェチの一種じゃなあい」
ノリオ「切腹ものが好きなヤツって、明らかにフェチだよねえ。あっしゃあ、そんなのどうでもいいんだけど……」
貫太「あんたって自分勝手よね」
はじめ「ふむふむ、スカトロ系もフェチでしょうね。ハッハッ。それから、六尺を履かないと駄目という方々もフェチでしょう。ワッハッハ」
ノリオ「だからさあ、はじめさんって本当は、六尺はいて切腹プレイなんでしょ? 毎日イクときって……。実は、あっしゃあ見たもんね!」
貫太「きゃあ〜! うっそー」
はじめ「は?……ッハッハ。それは、ありません。絶対にそれだけは。ハッ!」
      はじめ、ちょっと不機嫌そうになっている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「は〜い! ええっとね。会話を聞いてる直人の表情とか仕草はあとで……別撮りで……イイですね、貴史さん?……ノブキママの顔もね、はいはいはい。……あのねえ、やっぱ、みんな、台詞のぶつけかたが甘いなあ。コミカルな芝居だけど、台詞が軽すぎると意味が分かんなくなる。それから台詞がなくて休んでる人。関係ないとか映ってないと思わないで。そこでバッサリと絵が死んじゃうから」
 秋葉が、別人のような真顔になっていて、
「じゃ、一回テストしよっ。それからカメラ回ります〜。ボクの台詞からね。ハイ、ヨーイ……ドン!」
 その口調も声のトーンも、いつもここで酒を喰らってふざけているときとは恐ろしいほど違う。そして、芝居になると、
『だっからあ。でへへへ〜。身体じゅうどこでもフェチってあるのよ〜。背中でしょ〜……』
 もう一人、他の誰かの魂が憑依したかのように、一瞬にして、またもや人格が変わってしまうのだ。
 いっぽう浄道は、ここはもう完全に任せたぜ……という様子で、背中を壁際に、ぴたりと付けて寄り掛かっている。腕組みをしながらうつむき、厳しい目付きで床を睨み、何かを一心に考え込んでいる風に見える。
『でもさっ、身体だけとは限らないわけでしょ〜? 例えばSMとかって、あれもフェチの一種じゃない』
 おやおや……浄道さん、身体が不調だとかの問題じゃないかも知れないぞ。これは、きっと悩んでいるんだ。しかも、撮影の内容についてのことでもないね。他のトラブルだろう。――――台詞をどうにかこなしながら、新堂は思った。あとで絶対、浄道に訊いてみないとならない。何が起こったのかを。
「でへへ。ごっめんね〜。もう一回、台詞……合わせてみようっか。貫太の入りがポイントかな〜。注意して入ってきてね……タケシちゃん。イ〜イ? お願いしま〜す」
 おちゃらけない秋葉の、テンポが良い演出指導に、
「分かったわ〜。簡単なようで実はむずいのね〜……こういうとこって〜。次は、バッチリ決めてくわ〜」
 ふて腐れないタケシは謙虚で、しかも真剣である。
 ここへきて、アマチュア出演者たちの士気が、以前とは比べものにならないほど高くなっている。秋葉も貴史も、彼らを上手く引っ張って、惚れ惚れするような本職の仕事振りを見せてくれる。連帯感や責任感が自ずと育まれ、撮影も快調に進んでいた矢先なのに、
「…………おうっし……。みんなお疲れさん……。今日は済まなかったね、秋葉さんよ。はっは……。あんたに、すっかり監督の代わりをやらせちまって……。だけど、助かったよ。秋葉さん、これからも助監督……やってくんねえかい。撮影の日程はよ、マジで、残り……ほんのチョイ……なんだけどよ…………」
 この日に限って浄道は、撮影が終わると、もうあと少しだから……と、何度も自分に言い聞かせるように繰り返しながら、とうとう最後まで冴えない顔のまま、すうっと一番先に帰ってしまった。こんなのは、本当に初めてのことだった。



「今日は……珍しくグロッギー……でしたよね、浄道さん。どうしました? あはは……。やっぱ、歳には勝てないんでしょ? えへへ。それとも、蒸し暑さにやられちゃった?」
〈そうさな。今年の梅雨はしっかり降りやがるねえ。おいら、ジメジメには弱えんだ。はっは……。勘弁してくんな〉
「……ねえ、浄道さん。俺にだけは正直な話をして下さいよ。いまさら隠し事なんて、水臭いですよ……。突然、体調不良なんて納得できないな。違うんでしょ? 何か、あったんでしょ?」
〈あんたが、いまさっき言ったばかりじゃねえか。歳だよ。歳にゃあ勝てねえってのが正解さあ。心配すんねえ。来週までにゃあ、ケロッとして見せてやらあ〉
「俺の勘は、そうじゃない……って言ってるね。もう……、クランクインから、丸々三ヶ月も経っちゃってるじゃありませんか。遅れてるんでしょ? プロジェクトが?」
〈はっは……。もともと、締め切りなんてねえんだぞ。遅れるもへったくれもねえや〉
「資金でしょ? もう……、お金が……、なくなっちゃったんでしょ?」
〈…………。何を抜かしやがる……べらんめえ……。天下の宗教法人さまを馬鹿にするねえ……〉
「宗教法人・妙楽寺の経費で映画なんてまかなえる訳けがありませんよ。そんなこと、俺だって分かります。ぜ〜んぶ、浄道さんの財布から出してきたんでしょ?」
〈…………この野郎、いつ、おいらの財布を覗きやがったんでえ……〉
「覗きゃしませんよ。だけど、分かりますって、ボンボンお金が出て行ったぐらいのことは。最近になって、ようやくみんなエンジンが掛かってきたけど、最初の頃なんて、ひどかったじゃありませんか。毎回、全然、撮影にならなかった……。誰も集まらなかったり、宴会みたいになっちゃったりしてさ……」
〈…………。ふうっ……。あとな、おいら計算間違えちまったんだあ。ここだけの話だけどな。途中っからカメラを二台にしちまったろ?……でもな、一台っ切りじゃおめえ、どうしようもねえじゃねえか。どうっせ、やるからにゃよ、半端なものにゃ……したくねえ〉
 よしよし……白状しましたね、浄道監督。元気がなくなったのは、お金がなくなったせいなんだ。そもそも、俺だってお金がない人間だから、金策に困ってる人のマイナス念動……、割と感じやすくなってる。だから判ったんだけど。でも、どうすんの? どうにか、なりそうなの?……なんて尋ねたところで、俺が、どうこうできるもんでもないんだけどさ。――――さっきから……新堂の胃に、浄道の心持ちの悪さが、まるで、ダイレクトに伝わって来ているような、イヤ〜な感触が継続していた。
〈ここまで来ちまったんだ。何とかするよ……石に齧り付いてもな。はっは……。金がねえのは、あんたのお見立て通りだよ、新堂さん。でもよ、みんなには黙っといてくんな。頼むよ……。なあに、残りのギャラは、最後にドーンと、まとめて払うようにさせて貰うよ……。一人ずつ、きちんと説明すっから。おいら、きっとどうにかする。あんたは、なあんにも余計な心配はしねえでおくれ。はっは……。それより、新堂さん。散々……、手伝わしといてこんなこと言うのもナンだけどよ、あんたのほうこそ、自分の仕事をどうすんのか、そろそろ、チャンとしねえといけねえんじゃねえのかい? はっは……〉
 浄道の、力なく乾いたような笑い声を聞いて、新堂は、少しずつ胸が悪くなってきた。あたかも、小船だか車で酔ってしまったように具合いが良くない。
 現実に蓋をしていたのだ。浄道の言いなりになって。そうなることを、積極的に望んだ。自分のことなど、何も考えたくなかった。
 ともすれば、たちまち出鱈目に乱れてしまう撮影スケジュールを整え、最初は遊び半分だったソット・ヴォーチェの客たちを鼓舞して、次第に、やる気を出させた。屋外のロケハンにも自ら先頭を切って出掛け、撮影の許可を得るまで、どこへ行っても粘り強く交渉した。誰よりも忠実な、浄道の部下になっていた。身を捧げるようにして、連日、浄道と行動を共にした。
 しかし、どれもこれも、映画の成否を懸けて真摯に取り組んできたというよりは、新堂自身が……現実に降り掛かっている難題を、ただただ直視したくなかったこと……の、単なる裏返しだったのだ。
 何となくだが、あれもこれも嫌なことに変わりがなかった。
 だからこそ、浄道みたいな、自分を強引にどこかへ連れ回してくれる人間に、命じられるままにされていて居心地が良かったのだ。体良く、現実からの逃避を決め込んでいた。
「もう、撮影できないんですか?……中断するんですか?」
〈中断なんてしねえよ。あんたも知っての通りでよ、撮影は、もうあと残り少しじゃねえか。つうっても、大事なシーンばっかしだけどよ。おいら、やっちまうよ。どうせ、ここまで借金し倒してんだあ。大した違いじゃねえやね。あと一発、ちゃりん……と、借りちまえばイイ……。そうすりゃ、きっと最後まで撮れるだろって……〉
 カネ……、やっぱり、どっかから借りてるんだ。江戸っ子の風変わりな坊さんが、ゲイの映画を作るからって、ホイホイと金を融通してくれる物好きな銀行が、いまのご時世……ある訳けがない。間違いなく高利貸しからだろうな。一人で背負い込んじゃって、だいじょぶなのかよ、返せるのかよ。――――本格的に、胃から逆流して込み上げて来るものをゲロゲロと吐きそうになっていて、新堂は、受話器を片手に、自宅のトイレの前で佇んでいる。全身が、ものすごく……だるい……。これは、尋常な感覚ではなかった。
(もしかして……、これ……発症……なの?……うそだろ〜……)
 二日酔いでも乗り物酔いでもないのに、こんなにひどい嘔吐感に襲われたのは、もちろん生まれて初めての体験だった。我慢の限界を超えそうだ。
「……ご、ごめん浄道さん、ちょっと俺、お腹……、痛くなっちゃった……。一旦電話切るね。すいません。また掛け直す……」


 【5】


 担当の……不健康そうに丸々と太った医師は、新堂に、できるだけ警戒心を与えないよう、計算ずくで努力しているのが、ありありと判る人工的な笑顔を浮かべ、
「今日は、どうですか?……ご気分は、如何です?」
 冷たいお茶を、過剰に思える丁寧さで勧めてから、どうぞソファーへ……と、度を越してふくよかな手を慇懃に差し出した。
 この空間は、皮肉なほど空調が穏やかに効いていて、嫌味なまでに心地良いカウンセリング・ルームである。いまをときめく、勝ち組最先端企業のポップ・テイスト溢れる貴賓室のようだ……と、形容しても良い。部屋全体を、やたら清潔そうに統一しているライトグリーンの腹の立つ色調。ほのかで、森のような香りが、思わせ振りたっぷりに漂っていて、患者やその家族の精神を、少しでも癒そうと努めているお節介な姿勢を、憎しみを抱きたくなるぐらい、わざとらしく感じ取れる。――――いまの新堂には、あらゆる善意が逆の効果になっている。心が、ひねくれ上がって、よじれているのだ。
「あれから、あんなに気持ち悪くなるようなことはありません。いったい、何だったんでしょうか、こないだのは?」
 新堂は、心配そうな面構えを隠さなかった。鬱症状から嘔吐感を催すこともあると、どこかのネットサイトで読んだ。でも、HIVポジティヴや免職の件で、ゲロを吐きたくなるほど日常的に鬱々していたのかというと決してそうではない。むしろ、そのようなことを忘れるためにこそ、ぶっきら坊主プロジェクトに没入していたのだ。浄道の資金が底を突いているようだから、決して良い精神状態ではないにせよ、それと吐き気とが別の回路であることぐらい、新堂には自己診断できている。
「ああ……、お身体の一部に、軽微ですが、帯状疱疹様態の発赤が見られますねえ……。どうでしょう……、痛くありませんか?」
「……痛いです……」
「ん〜、なるほど……。これまでも、こういった……広範囲な皮膚の発疹などを経験されたことはありますか?」
 横っ腹から背中に掛けて、ピリピリと刺すような痛みがある。これほどイライラさせる感覚は、生まれてこのかた想像したことすらない。もとより、新堂は皮膚疾患が大の苦手なので、このように無粋なものを一度経験したら、いつまでも忘れないはずだ。
「いいえ。こんなのは初めてだと思います」
「そうですか……」
 医師の沈黙は、気味が悪くて嫌な感じだ。カルテをめくりながら……目をパチパチさせて何かを考えている。慎重に言葉を選んでいるような気がして、新堂は、ますます不愉快になりそうだった。
「血液検査の結果は出ています。現在のところ、CD4は370を切るか切らないかというぐらい。少なくとも360台後半で留まっています。血中ウィルス量は2万コピー程度で安定していますね。数値的には、直ちに抗HIVの投薬治療を開始すべき段階ではありません。しかし……」
 担当医は、新堂の顔をメガネ越しに正視すると、
「……敢えて正確な表現をすれば、その帯状疱疹も先日の嘔吐も、ごくごく初期の単発的なエイズ症状の一つと言うことができます」
 口元を捏ねくったように持ち上げて変な小細工をする。微笑みのパーツを、その辺りに作ろうと頑張っているのだろうが、あまりに下手くそなので、新堂は、小馬鹿にされているような気がした。
「じゃ、発症したってことですねっ!?」
 つっけんどんに質問した。質問というより、ふて腐れついでに、毒気をひとかたまり吐き出した感じである。きっと善人に違いないこの医者を、恨もうなどとはちっとも思っていないのに、面白くない気持ちをぶつける相手は、さしあたり、この、きちんと太った人間しかここにいない。毒を投げ付けておきながら、医者というのは因果な商売なんだろうな……と、新堂は心の内で同情もしている。
「むかしだったら、そう告知して、患者さんを脅かしたでしょうね。はははっ。でも、発症したと騒いでも、あまり意味がありません」
(そういう風に、……僕ちゃんはお勉強ができました……っていうツラで喋るな、このデブ野郎!)
「意味ないって、どういうことっ!?」
 俺が生きてても意味なんかねえ……って、そう言いたいんだろ? この優等生のボンボン医者め。お前なんぞに、患者の本当の苦しみが分かってたまるか、馬鹿ったれ。――――大人げないと分かっているのに、新堂は、なかなか冷静さを奪還することができなかった。はけ口が見付からない不満を内部爆発させるように、思いっきり拗ねまくってしまうのだ。
「HIVの影響が……どう出るかというのは、個人個人で、まったく異なります。日和見感染……なんて、言っちゃうぐらいですからね。新堂さんの免疫の、ちょっとした成り行きで、普通だったら取るに足らないような微生物が悪さを起こす場合がある。それを、発症だと定義することはできますよ。だけど、免疫が若干でも上がれば、すぐに鳴りをひそめる。気の小さいヤツらなんですよ、そんな細菌なんて。そいつらを上手に手なずけましょう……っていうことですから……。疲れると誰だって免疫力が低下します。つまり、病気に罹りやすくなる。それと、同じことです。HIVは、CD4陽性リンパ球という免疫の司令官を、どんどん壊してしまう困ったウィルスです。新堂さんは、これから、その免疫司令官CD4をどうにか減らさないように、できれば増やしてゆくように、様子を見ながら生活しましょう……という、それだけの話ですよ」
 新堂の理解は、まだ不充分だった。その上、こうして反抗期の札付きのように、
「だけどさあ。どうっせ、アッという間に悪化して末期状態になっちゃってさ、もう近いうちにダメダメなんじゃないんすか……こんな俺なんて?」
 みっともなく醜態をさらしているのに、
「いいえ。三月の検査時と状況は、ほとんど変化していません。最近は、お仕事がハードだったりしませんでしたか? お疲れ気味だったのでは? ああ、六月に入って急に蒸し暑くなりましたから、それだけでも体力を消耗しますね」
 医師は、決然たる眼差しで、新堂への説明をあきらめなかった。
「そういった、一時的かつ総体的な免疫力の低下が、今回の症状の原因でしょう。来月も検査します。細かく推移を見て、抗HIV投薬の開始時期の検討に入ります。はははっ。安心して下さい。そんなに、すぐの話じゃありませんから。でも……」
 うん……。確かに、そうだったよね。ずうっと、目一杯疲れてたよ……ここ一ヶ月近く。映画の撮影は、慣れない作業の連続だもん。学校の先生よりか、遥かに“ハードなお仕事”なのかも知れないよ。――――新堂は、漠然と思った。
 すると、さっきはついつい理不尽に腹を立ててしまい、
「……覚えておいて下さい。CD4の値が350を下回るようになったら、治療の開始を考える段階です。新堂さんの状態を見極めて、どういう治療方法を採るべきか、慎重に決定してゆきます。いいですね……。…………さて。もう嘔吐感はないようですから、帯状疱疹に関して、対症療法的にお薬を出しましょう。これは、ごく軽度ですから、すぐに問題なく治るはずです」
 決して人相の悪くない……この医師の福々しい顔を眺めながら、
「は……はい。良く……分かりました……」
 新堂は、ようやくその非礼を詫びたい気持ちになってきた。
「それはそうと、新堂さんのお仕事は何でしたっけ?」
 音楽家になり切れずに、音楽教師をしていたが、
「……え……あ……、その……映画を……作ってます……」
 女子生徒を殴って、クビになった……とは言えなかった。
「へえ〜。ほう〜。そうなんですかあ。どんな映画です?」
 こともあろうに、ゲイでHIVポジティヴになった男の物語ですってば。この俺みたいなね。でも、俺なんかとは全然違って、苦労を背負いながらも、ずいぶん幸せなポジティヴ・ゲイの話ですよ。たくさんの理解者たちと、素晴らしい伴侶に恵まれちゃってね……。――――身体を張って打ち込んでいるからには、それ相応に、良くできたストーリー・ムーヴィーに違いないと、新堂は確信しておかない訳けにはいかない。
「いやあ、なかなか一言じゃ説明できないんですが……。そうだな……先生も、きっと……いや、絶対に興味を持たれると思うから……」
「ほうほうほうほうほう」
「……完成したら是非見て下さい。あはは。試写会の招待状とか、差し上げますよ、必ず!」
「そうですか。それじゃ、楽しみにしてますよ。でもね……くれぐれも……お身体のほうね、絶対、無理しないで……ね。立派な作品を、仕上げて下さい」
(もしかして、最高にイイ医者なのかもな……この太っちょ兄さん)
 だが、新堂には、あの映画が仕上がる見通しなんて、全く立っていなかった。



 浄道も言っていたけど、今年の梅雨、東京ではたっぷりと雨が降っているな。シトシトと、正しい降りかたをしているんじゃないかなあ。毎日毎日、こうも雨三昧じゃ、お空も飽きちゃって面白くないんだろうに。――――傘を差すのは面倒だから、あまりひどい降りではない限り、新堂は濡れながら歩く。フードの付いた防水ジャンパーを着るのが好きだ。病院を出てから、立ち喰いの蕎麦屋で、ちょい早めの晩飯にして、そのまま、ソット・ヴォーチェへ向かっている。
 単調な雨模様に飽きたお空が、時々“大気の状態が不安定”というのを愉しそうに演出する訳けさ。むかしから、これを夕立と呼んだもんだが、地球温暖化の影響で、すごい派手になってきちゃった。そんで……大気の状態が不安定となり局地的に雷を伴った激しい大雨が降る可能性があります……とか何とか、妙に理屈っぽく、天気予報をするようになったんだろうかねえ。今日は暑くなったから、この分だと、たぶん夕立があるよ……とか、シンプルに言っちゃえば、それで済みそうなもんだけど。――――梅雨が明ければ猛暑になるのだろう。否が応でも、体力を消耗させることになる。あの……おデブ先生……明確には言わなかったけれど、話の流れから察すれば、この夏には投薬を始めざるを得ない……、きっと、そういう羽目になる……みたいな、ぽっかりとした予感が、新堂にはあった。
 虚ろな眼が、厚ぼったい雨雲の流れを辿っていた。
(もうじき……日が暮れれば、どうせ真っ黒になって、いつもの星のない東京の夜空だ。俺の存在なんてものは、そんな闇に埋没して見分けが付かなくなっちゃえば、それでイイって……)
不意に、ケータイが音を立てた。
(あっ、龍野だ……いっけねえ……)
 関東音大の同期で、指揮者をしている龍野澄央である。ここ数日に亘って、連絡を寄越せ……と、新堂のケータイへ重ねてメールを送ってきていた。すぐに、受話ボタンを押し、
(……放っとき過ぎたな……。まずいまずい……)
 かぶったフードの中に突っ込んで、耳に当てた――――。
〈いったい、どうしてんだよ、新堂。エキストラで良かったら、いくらでもあるんだぞ……バイトの口が。あっはっは〉
「ああ……そうだったよね。頼もうと思ってたんだけど、実は、知り合いの坊さんと映画を撮ることになっちゃって」
〈何じゃ、そりゃ? 映画出演か? 金になるのかよ、それ?〉
「小遣い程度のギャラはくれるけど、きっと……龍野の仕事のほうがまだ全然、金になるさ」
 詳細な経緯までは、話がややこしくなるのでしなかったが、とにかく映画の件に決まりを付けてから、改めて龍野の世話になるかも知れないと話しておいた。
〈九月に、東京文化でドイツ・レクイエムを演るんだが、これは人数を抑えて“精鋭のみ”でいきたいんだな。これには、参加してくれないか。僕のほうから頼むよ。その他大勢で悪いんだが〉
「もちろん、コーラスの補強要員で構わないよ」
〈いや。補強じゃなく、合唱のな……つまり、バリトン・パートのコアになってくれよ。実際は、精鋭と言っても、しっかり歌えるのがいないんだ……。あはは……〉
 要は、そもそも少数精鋭などではなく、もともと、単に人数の足りない合唱団なのではないか……と、新堂は、いささかプライドが傷付けられたように思ったが、
「喜んで、やらせていただくよ……龍野。済まないな。ありがとう」
 偉そうなことが言えた身のほどではない。
〈実を言うとな、僕が温めてる……オケ・アンド付属合唱団みたいなものさ。音大生上がりが中心なんだけど、アマチュアオンリーとは違う。専門教育を受けた集団だよ。僕自身の演奏活動を、これからここをベースにしてやれないかと思ってな。だから、新堂には正規のギャラを払うよ。補強バイト給じゃなく……〉
「本当に、感謝するよ……ありがとう」
 新堂の、正直な気持ちだった。
〈それから、新堂……お前、知ってたか? 吉祥寺に来年の春、関東音大の新校舎が開講するって。声楽科が丸ごと移転するってよ〉
「ふうん、知らなかった。じゃあ、あっちのほうで音大生専用……防音完備のアパート経営でもすっかあ? あははっ!」
〈いや、それよりも何よりも。関東音大声楽科と言えば……地元の市民オペラ活動支援……じゃないか。忘れたのか。ベルカントを習いたい人が増えるんじゃないのか?〉
 ああ……そうだったっけ……なるほどね……などと思っているうちに、新堂は新宿二丁目エリアへ到達した。大した降りじゃなくて良かった……と、心の中で呟きながら、一旦、ビックスビルの正面で雨宿りをして、タバコを一服吹かした。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
      洋一、ゆっくりと顔を上げる。
      少し微笑みを浮かべ、決意したように鼻から息を吐く。
洋一「ノブキさん。僕と付き合ってくれませんか?」
      テナーの詠唱=“ネッスンドルマ”前奏からSE。
      ノブキUP。喜びと落胆。複雑な表情。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「どうでえ秋葉さん。ここはもうさあ、純二さんに大マジで新堂さんを愛して貰うっきゃねえよなあ。はっはっは」
 浄道監督が、すっかり元気になったようなので、
「ひょひょ〜。ボクのアンテナは純二ちゃんって前々から新堂くんのこと大好きだったっていう反応してま〜す」
 秋葉を含めて、例の資金繰り事情を全然知らない一同は、何も変わらぬ楽しげな雰囲気で、撮影に打ち込んでいる。
「べつにさ〜あ。ぼくは新堂さんのこと嫌いじゃないも〜ん。ってか……カッコイイよね、新堂さんって」
 何もこんなとこで、そんな、お世辞まがいを言わなくてもイイのにさ。なんちゃって……。俺としては、当然“嬉しくない一言じゃない”けどな。純二に、カッコイイ……なんて、面と向かって告白されちったぜ。やったね。――――かつて、水泳をやっていたことがあるかどうか、近いうち、純二に訊いてみようと新堂は思った。もちろん新堂は、純二の裸体を見たことがないが、服の上から想像できる純二の肉体は、新堂にとって理想的な水泳体型をしているに違いない……と、加点的判断をしていた。
「簡単なシーンだと思うだろ? ところがおめえよ。そうじゃねえんだ。なんてえかな、これが、その……ビミョーってえやつだ」
 浄道は、何度もテストを繰り返した。
『ノブキさん……僕と……付き合ってくれませんか?』
「ようよう、純二さん。ホントはあんた、新堂さんのこと、大好きなんだろ?……新堂さん、付き合ってくれません……って言ってみな」
 純二は、少し頬っぺたを赤らめながら、
「シンちゃん。ぼくと、付き合ってくんないっすか〜? へへへっ」
 わざと、あっさり目に告げた。
「へえ〜っ。何かイイよね。やっぱ〜。純二さん……その気持ち……マジ入ってるよね。やるじゃん!」
 アッシュが、マイクのコードを束ねながら感心している。
「恥かしい〜。ちゃんと台詞で言う〜」
 新堂は、くにゃくにゃ……と、照れている純二の姿を、複雑な感情で捉え始めていた。――――あんな風に言われて、そりゃあ幸せだけどさ。どっちみち、俺は純二と結ばれることはないんだ。不可能なの。映画の中のノブキと洋一とは違う。こっちは本物の感染者なんだから……、エイズが発症し掛かってる正真正銘のポジティヴさ。そんなこと、もしバラしたら、純二の……あんな軽はずみな気持ちなんて、どうせ、たちどころに豹変しちまうに決まってるぜ。
「はっはっは。その……あんたの本当の気持ちを込めながらな、純二さんよ。ここの芝居は、決心した感じを出してくんな」
『ノブキさん。僕と。僕とっ! 付き合ってくれませんかっ!』
「ええっとねえ。純二ちゃん、ごめん。いまのだとね……硬いよ。やっぱ、ちょびっとだけね。甘える気持ちとか、あったほうがイイ」
 秋葉助監督のアドヴァイスが飛び込んだ。
『ノブキ……さん。僕と、付き合って……くれません?』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
洋一「僕、このおミセに来るようになって、いきなりノブキさんって、すごい、僕のもろイケのタイプど真ん中なんで。一発で惚れちゃって〜みたいな」
      ノブキ、気持ちを振り切るように急な笑顔。
ノブキ「ん〜もう。あはは。困らせないで下さいよ」
      ノブキ、必要もないのに歩き回り、グラスを手に取る。
洋一「大好きになっちゃったんですノブキさんのことを。いっぱいお話してたら、ますます本物の兄さんみたいな感じに思えてきちゃったし」
ノブキ「ダメなんですよ。ほら、第一ほかのお客さんの手前もあるし。ああ、そうだ。思い出しました。あのほら、室生さんがねえ、実は、洋一くんのことを……」
      洋一、さえぎって続ける。
洋一「そんなこと、内緒にしてればいいじゃないですかあ。お客のことなんて、気にすること無いですよ。ねえノブキさん。僕と付き合ってくれませんか? ねえ……。……ああ、それとも……」
      洋一、ガックリと肩を落として哀しそうな表情。
      一層激しくなった外の雨音SE。
遠くのほうで雷鳴が轟くSE。
      洋一、氷だけになっているグラスを小さく回転させる。
洋一「……ほかに、いいヒト居るんでしたっけ?」
      洋一、か細い声で寂しそうに言う。やや虚ろな目。
      香炉の火種を、身動きせずにじっと見詰める。
ノブキ「いやそんな、いいヒトなんて全然居ないんですよ。もう何年も、誰とも付き合っていませんし」
洋一「僕のこと、タイプだって言ってましたよね?」
      洋一、突然立ち上がって後ろの長椅子に移動する。
      横向きになり、両脚を露わに膝を立てて座る。
      ノブキのほうへ誘うような視線を向ける。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 新堂は、懸命に演じたのだが、
『うう〜ん。もう。ははははっ。困らせないで下さいよっ!』
 役どころを“作ろう”と思うから、却って的が外れるようだ。
 秋葉助監督が、首をしつこいほど縦に振り、
「そっかそっか。新堂くんとしては、そこんとこ、チョー軽〜めに交わしたいと思った訳けだね〜。……どうします、浄道監督?……」
 にやにやと困りながら意見を求めた。
「もっと苦しい胸のうちを、隠すんだけど、もうこの際、全部知られてしまいたい……みてえなさ“こんがらがった”芝居は、できねえかい、新堂さんよ」
 じゃあ、それこそ、作った芝居なんてまるっ切りやめちゃって、現在の……俺の気持ちを……直球で、そのまんま……演じることもなく出してしまえば、浄道さんが望む通りになるんじゃないの? だけどそれ、キツイよホント。ノブキって、過去の浮気事件がもとで……心に刻まれた傷の痛みに耐えながら、現在は、抗HIV投薬の副作用で苦しんでてさ、好きな男に……付き合おう……って言われてんのに、全部自己否定して、冷たい態度……しなくちゃいけないんでしょ? まるで、俺……そのもの……みたいで残酷じゃねえ?===
『ダメ……なんですよ……。ほら、第一。他のお客さんの手前もあるし。あ〜あ、そうそう。思い出した! ほら、室生さんがね、実は、洋一くんのことをさあ……』
「そうだそうだ……新堂さん、そういった感じだよ……うめえじゃねえか。なあ……。ノブキってヤツはよ。たった一度だけ、とんでもねえ浮気をしちまった男だ。そうだろ? 一途にノブキを愛していた和久を自殺に追い込んだんだ。イイか。たった一度だけの過ちなんだよ。それが、一人の男の命を奪った。そうしてだ……」
 ===俺なんてさ。いったい、何度間違いを犯したんだろう……。普通のハッテン場に通うようになったのは、二十代の中頃だったっけ。そこでもメチャクチャやってたね。コンドームなんか邪魔臭くって。着けない着けない。全然、着けたことないよ。そんな危険な乱交セックスをし続けて来たんだから、俺なんて、とっくのむかしにHIVに感染していてもおかしくなかったのに。――――厳しい、せめぎ合いだと、新堂は歯を食い縛った。
「……その同じ……たった一度の間違いでよ。ノブキはエイズに感染しちまったんだぜ。悔やんでも悔やみ切れねえじゃねえか……。なあ、そうだろう、新堂さん?」
(高ぶってんなあ、浄道さん……。ちょっと、涙目になってるし……)
『だ……ダメ……なんですよ……。ほら、第一。あはは……。他のお客さんの手前もあるし……』
 言えないよ。黙っていたいし、そのまま一切合財忘れてしまいたい。エイズの薬なんて飲むもんか。治療なんてしなくてイイ。あんな厄介な投薬を始めて、毎日下痢してゲロを吐き続けるよりも……よっぽど……もう一度、ジャンキー・インへ通ってさあ、エスを静脈注射で、しこたま仕込んでさあ、途切れもせず、いつまでも終わらないオーガズムの只中で……、良がり狂ったまんま、悶絶して昇天したいよ。――――新堂の内面に、なおもまだ蔓延っている暗澹たる精神が、ほんの僅かでも心の縛りを緩めると、このように破滅的な衝動となって、遂には活性毒素と化す。
 もしも、その真の深みにまで陥ってしまうと、
(ああ……どう頑張っても救いようがないってさ……)
 おそらく、悲しくさえも、ならないのだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ノブキ「私も……洋一くんのこと好きになっちゃった。洋一くんのことモロイケで、マジ、タイプどんぴしゃりなんだよ。それに、気が合いそうなことも判ったし。だけど付き合えないんです。少なくとも……今は。理由も言えないで、ホントにごめんなさい」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「なあなあ。おいら、ゲイの見方ってえなあ、まだ、あんまり自信がねえんだけどよ。新堂さんのほうから好きになるってえのは、どういった男なんだろうなあ。ちなみに、哲夫の馬鹿が書いてやがった日記によるとな……」
「ちょ……ちょ〜っと待って下さいよ。テツオの日記に、俺のタイプまで書いてあったんですか?」
「そうよ。その……、テエプ……ってえヤツよ」
 純二が、目を輝かせながら、
「知りたいな。新堂さんのタイプって」
 首を左右に傾げる。お遊戯をしている幼稚園児のようだ。
「面白れえことによ、おいらの目にゃあ、そこの純二さんがドンピシャリ、新堂さんの好みに見えるんだあ」
「うっそ〜。嬉し〜。じゃ、相思相愛だね? 新堂さん!」
 夢見心地になっている風な純二の表情を、
「うわあ。純二さん、本当にお幸せそうですのねえ、そのスマイル」
 雪枝が、まろやかな視線で、じっとりとなぞっている。
『洋一くんのことモロイケちゃって、マジ、タイプど真ん中なんだよ……。それに、気が合うことも判ったよね。だけど付き合えないんです。少なくとも……いまは。……り、理由も……言えない……』
 まあね。そうかも。認めますよ、純二は結構イケちゃいます。だけど、俺、もうイイって。HIVのポジティヴなんだから。恋愛とか、あり得ないんだもん。――――新堂の外面は穏やかなままで、表立って何も否定していない。
「お似合いお似合い。ボクちゃん仲人してあげる。純二ちゃんに新堂くん。結婚しちゃってオメデトウ〜。きゃーっ!」
 心優しい秋葉が騒いでくれて、
「……んっなあっ!……んっだろ?……っじゃねえかと思ったんだあ」
 浄道までもが、愉しげにはしゃいでいる。
 通常だったら、取り合えずカップル誕生のように見せ掛けて……お調子に乗り、場合によっては、本物のオメデタ話になることもある……のかな……みたいなところで、テキトウに盛り上がっておくのが賢明な行動選択なのだろう……が……。
“やったね。おめでっとっさん”
“ひゅうひゅう〜。パンパカパーン”
“ようようっ! ご両人!”
 だけどさ……。そうやってガキみたいに“ヒューヒュー”……って冷やかすのも、やめて欲しいんだよなあ。お願いだ。俺……ちっとも、そんな気分じゃないんだから。――――照明の熱気がよろしくないのか……、新堂の帯状疱疹がビリビリと痛みを増してきた。途端に、気分が下がって落ちてゆき、続いて、あの太った医者の……薬の臭いのする声が、新堂の脳裏に蘇る。
“…………新堂さんの免疫の、ちょっとした成り行きで、普通だったら取るに足らないような微生物が悪さを起こす場合がある。それを、発症だと定義することはできますよ…………”
(映画と現実は、全然、違うんだよ……。お話にもならないね……)

【ぶっきら坊主プロジェクト Part7へつづく】

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【小説】ぶっきら坊主プロジェクト Part7
【ぶっきら坊主プロジェクト Part6よりつづき】  * 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 洋一「えっと。えへへ。僕の本当の名前を……そうねえ……明日の朝までに解き明かすことができたら、そうしたらノブキママさんこと、諦めま〜す。あははは」       洋一、いたずらっぽく笑う。 ノブキ「え〜っ。な……何だって? 洋一くんのホントの名前って? どういうこと? 洋一くんってヨウイチくん、じゃなかったの? ホントは?」 洋一「はい。僕の本名は洋一じゃあり... ...続きを見る
仮免作家[ゲイ]―Now On the ...
2006/05/16 04:45

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