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日曜日、葵坂マンションの管理組合総会が開かれた。 予算決算の承認のほか、主な議題は防犯対策についてである。 「各戸の玄関ドアの“修繕”なんですが、管理組合への届け出をお願いしているにも関わらず、最近ご協力いただけないケースが目立っております。あらためて申し上げますが、管理組合規約の…え〜…第四十三条にございます通り…」 理事長は玄関ドアのツーロックやスリーロックの工事をする際は、ルールに従ってきちんと届け出をして欲しいと注意を促していたのだ。玄関ドアは、あくまでマンションの共有部分に属するという原則を伝えて、 「…やはり、外観上ですね、統一感を持たせたいということもありますので、例えばツーロックならツーロックで、形状とか…その鍵穴の位置ですとかね…見た目を揃えませんと…ねえほらその…何だかバラバラに見えてしまってねえ…」 鍵を二重・三重にするならするで、本来ならばマンション全体で取り組みたい意向なのだと、遠回しに示唆している。 「…でも理事長。もうすでにツーロックにしてしまっているお宅もたくさんありますから、今さら統一感と言っても手遅れなんじゃありませんか?…」 門馬卓也は少々憤っているから口ぶりが自然と嫌味になり、 「…私は、何年か前に理事をやらせていただいているときに、全戸一斉でツーロック工事をしたらどうかと提案をさせて貰った覚えがありますが、当時はまるで関心を持たれないで…。先送りにしてしまったら、けっきょくこのありさまなんですから…今頃になって、そんなねえ…」 この程度のことを一つ決めるのに、いちいち合議を経なくてはならないのかと、共同住宅生活の不便さにすっかり厭きれていた。 おかげで、門馬の玄関ドアには未だツーロック工事ができないままだった。 門馬が発言を終えて着席し、出席者が口々に議論を始めた。隣に住む奥本のばあさんは神経質そうにメガネをずり上げると、 「ここだけの話…いかがざんしょ。門馬さんと猪野さんと、あたくしの両隣三軒でお揃いのツーロックに致しませんこと?何なら、さらにその両隣をお誘いしてもようござんしてよ。念を入れて、スリーロックでも構いませんざんしてよ。ホホホッ」 分厚い老眼用レンズを通過して妙に拡大された瞳を門馬に向けた。その顔があまりに滑稽なので、 「えっ?あっ…。ぷふふっ…。そう…ですね…」 咄嗟に吹き出しそうになったのを慌てて堪え、門馬は冷や汗をかいた。 「…まあとにかく…このところ近所で物騒な噂ばかりっすからね。じゃ、早急に検討しちゃいましょうか」 奥本夫人は、定年後も私立中学の雇われ校長をやっている。 「先月でござんしたね。2階の吉江さんのとこ…ベランダ伝いに侵入されたんざんしたわね。5階の大森さんの場合は玄関のピッキングざんした。あれも最近ざんすものね」 ニュースで流された事件だけでも今年に入ってから四件ほどあった。この界隈での侵入窃盗である。河北区は昔から人口の多い住宅地域だったが、明らかにここ三年から五年で空き巣狙いが激増している。三倍ぐらいになっているかも知れない。 「午前中に堂々と入られるって言うじゃないですか。気味が悪いねえ。何でも昼前の時間帯が危ないとかねえ。うちは女房も勤めに出るし、息子は学校でしょ。朝から晩まで空っぽだからね」 猪野のご主人も奥本夫人の提案に乗り気だった。 “…で、ありますからして…え〜…理事会といたしましても、全戸一斉のツーロック工事の…お〜…アンケート調査を行うことから…あ〜…手初めに…い〜…考えたいと…お〜…存じますが…あ〜…” 理事長の采配では全く頼りにならないというのは、暗黙の共通認識のようである。 日頃から、さほどの近所付き合いをしないマンション暮らしの中で、こうして隣戸と何かを一緒にやろうというのは珍しい経験だった。とは言え、奥本夫人も猪野も口裏を合わせたかのように、 「女房に居させますから。工事のほうは土日だったらいつでもイイですよ」 「こういうことは、お若い門馬さんが一番キッチリしていらっしゃるざんすから」 ツーロックの種類や工事業者の選定は門馬に一任されてしまった。 「…はあ…」 どうということもないので、その晩に早速、門馬はサラリと調べてみた。 アメリカ・ググール社の補助錠は4列18本ピンシリンダーを採用しており不正解錠は極めて困難。出張料・工事費・税込みで総額¥28、350なり。 無輪ロック社製は、独自のロッキングバー方式と回転タンブラーを採用したロータリーシリンダー。ドリル攻撃にも万全。総額¥24、150なり。 石垣商店製だと、新構造のデッドボルトと肉厚の錠ケース。バール等の外部からの破壊に対し威力を発揮。純正キー5本付きで格安¥17、850なり。 門馬の見立てでは、鋼板に浸炭焼入鋼を使用した無輪ロック社の最新型補助錠が最も堅牢そうに思われた。 数日後、門馬が勤め先から連絡をとると、 「けっこうざんしてよ、それで。じゃあ、工事はこの次の土曜日…お昼過ぎでよろしいのね」 「中庸の策ですな。異議ありませんよ。あっはっは」 他の二人も満足そうで、これで万事すんなりと済むはずだったのだが…。 その日、帰宅する途中で門馬のケータイへ奥本夫人から電話が入ったのだ。 〈まあまあ本当に、ありがとうございました、門馬さん。おかげさまで、間一髪で被害を免れましたざんすのよ…〉 大慌てで自宅マンションに帰り着くと、 「通帳と印鑑まで持ち出されてしまっていて…。あそこで捕まえていただいたから、ことなきを得ました。ああ門馬さん。本当に弟さんにはもう、何とお礼を申し上げたら良いものやら…」 たまたま表に出てきた猪野の奥さんが、興奮のあまり髪の毛を振り乱していた。 (…弟さん?…) 建物の前には一台のパトカーが赤灯をくるくる回しながら停車していたので、門馬が車内でボケっと座っていた警官に事情を尋ねると、 「ああ…門馬さんですか。いやいやどうも…窃盗犯の検挙にご協力をいただきまして、感謝いたします。弟さん、お強いんですなあ。身体もガッチリしていらっしゃいますし。ハッハッハ」 その華奢な青年は急に姿勢を正して慇懃な笑顔になった。 (何の話だ。俺には兄弟なんていないのに…) 「…あの…検挙にご協力って…いったい何が?」 「ええ…あの〜…門馬さんの弟さんとおっしゃる方が、お宅においでになりましてね…」 青年警官の言葉をさえぎるように、 「…ええ、それで。奥本さんとこと、ウチんとこに入った泥棒を取り押さえて下さったの。もうホントに、ありがとうございますぅ〜…」 猪野の奥さんが深々と頭を下げると、 「…ちょうど窃盗犯が門馬さんのお宅のベランダへ侵入したところを弟さんと鉢合わせになりましてね。それで…」 警官は負けじと説明を加えた。レシーバーから何やら声がすると、 「…ハイ。門馬さんが帰宅されました…」 胸元のマイクに向かって報告を入れてから“どうぞ中へ”と促した。 玄関のドアを開けると、 「…ごめん…」 奥から、シゲルの声が弱々しく聞こえた。 「お…お前のことだったのか?弟さんって?…だけど、どうしてここにいるんだ?いったい、どうやって?」 シゲルとは一年ほど前に別れた。 些細なことで喧嘩になって、門馬がいくら謝っても、シゲルが腹を立てたまま…。門馬は心を開いていたのに、たいそうな負け嫌いの性格からシゲルは、張った意地を緩めるタイミングを逸して、とうとう最悪の選択をした。 そして三年も続いた二人の同棲は終わった。 「…勝手に上がり込んだ…」 久しぶりに見たシゲルの姿は、あの頃と少しも変わっていないと門馬は思った。胸が熱くなった。いたずら小僧のような尖んがった顔付き。それでも、悪いことをしたと思っているから、眼差しはシュンと沈んで叱られるのではないかと怯えている。だが、違う。愛らしくて堪らないのだ…門馬は。シゲルが帰って来てくれたように感じて、舞い上がりそうな気分になっている。 「びっくりさせんなよ…いきなり」 「…だから…ごめん…」 「泥棒を捕まえたんだって?」 「…うん、そう…」 ラグビーと柔道をやっていたから、シゲルの身体には重量感がある上に敏捷な運動能力が備わっている。 「お前なら、どうってことなかったろうな」 「居直り強盗じゃなかったからね。全然抵抗しなかったし」 「そうか…。ま、怪我とかなくて、良かったよ」 「…マジ、ごめん…」 「隣のうちの人たちがな。お前に感謝してるよ。お手柄だったな。最近この界隈で、やたら多くてさ…泥棒。問題になってたんだよ」 「オレ…泥棒なんか…やってないよ。何も盗んだりしてないからね。それだけは絶対だって。信じてくれよ…卓也。本当だって…」 シゲルがやたらと真剣に訴えるので、かえって門馬も気になった。 「そ…そういや…そうだよな…、お前…。どうやって俺の家に入った?」 別れたあのとき、シゲルは門馬に玄関の鍵を返していたのに、 「…合鍵…作ってあった…」 密かに複製を隠し持っていたようだ。 「な…何だと?」 「…ごめんごめん…ごめんって…オレどうしても、本当は…」 焦って、しどろもどろになっているシゲルは、 「…卓也のこと、忘れられなくて…いやホントはさ…別れることなんてできなかったんだって…。だけど…オレ、馬鹿だから…謝れなくて。あまのじゃくで強がりだから…」 門馬に一度も見せたことのない、しおれた横顔を、 「でも、とうとうバレちゃったね…」 何の下心もなく正直にさらして、少しだけうつむいた。 「…ごめんよ…もう…来ない…から…」 しかし、シゲルのその視線の先には、ベランダに設えてあるプランターのスタンド…そしていくつもの青々と繁茂した鉢植えがあった。 「オレ、平日休みじゃん…だから、実はさ…ずっと毎週…ここに来てたんだよ…卓也に内緒でさ…水やりとか雑草を取りに。だって、卓也…絶対やらないと思ったからさ、植物の世話なんて…」 「たまげたな…シゲル、お前。俺の知らないうちに、来てたのか…ここに…」 門馬はベランダのハーブ畑に全く無頓着だった。一緒に暮らしていたときから、シゲルが黙々と世話をしていたから。 言われてみれば確かにそうだ…と、門馬は苦笑いになった。 一切…何の手入れもしていないのに、いつまでもこうして、ローズマリーが三種類とタイムは二種類、ラベンダーも三種類、バジルが二種類、 それにルッコラとサラダバーネット、チャイブ、オレガノ…そんなにたくさんのハーブがまるで枯れることなくスクスクと元気に育ち続けているなんて…。 「シゲルが来ててくれなきゃ…そんなこと…あり得ねえもんな。うっかりしてたよ。はははっ。一年間も毎週忍び込んでたなんて。お前って本当に意地っ張りだなあ。はははっ。あはははははっ!」 玄関のチャイムがピンポンと綺麗に響いた。 ドアを開けると奥本夫人の声から先に飛び込んだ。 「ああら、まあまあ、お久しぶりざんすねえ…弟さん…またお戻りになったのざんすね。本当に助かりましてよ…えっとシゲルさん。泥棒を退治して下さって。ありがとう。いえね、ちょうどこないだの日曜にね。お兄さまとツーロックを玄関に付けようって。オホホホ。そんな話をして段取りを決めた矢先だったんでござんすよ。弟さんがお戻りにならなかったら、それも間に合わないところでござんしたわねえ。オッホッホ。ラッキーでござんしたわ〜。これからも、よろしくお願いいたしましてござんすよ、シゲルさん!」 門馬とシゲルは、やや…はにかんだ微笑みを交わして見詰め合うと、互いに小さく頷き合って、各々心の中でペロリと舌を出した。 |
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うっかり過ぎるだろ!門真!!と思わず突っ込んでしまいました。でも、多分その状態があんまり自然で気付かなかったのかも。。。 |
真名あきら 2006/03/21 18:37 |
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